15:解く

 ひとたび『潜航』が始まってしまえば、僕らはXに干渉することはできない。僕らの声はXには届かず、手を貸すこともできない。唯一できることは、Xを『異界』から引き上げることだけ。

 故に、こういう時はもどかしいのだな、と、ディスプレイを眺めながら思う。

 Xの行く手に立ちはだかっていたのは、土を捏ねて作られたと思しき、巨大な人型の像だった。ただし、その像がまるで人間そのものであるかのように動いている。かろうじてうっすらと目鼻を示す凹凸のある顔をXに向け、地を震わせるような声を出す。

「ここに、十七頭の家畜がいるとする。三人の兄弟が家畜を受け取ることになったが、長兄は全体の二分の一を。次兄は全体の三分の一を。そして末弟は全体の九分の一を受け取らねばならない。この時、家畜を傷つけてはならない。どうすれば十七頭を正しく分けられる?」

 Xは答えない。じっと、土塊の像を見上げている。

 ――先ほどからずっと、こうなのだ。

 今回Xが降り立った『異界』は、大きな石材を組み上げた建物の中だった。壁に設置された燭台の灯りだけを頼りに前に進んでいくと、突如として道を塞ぐようにして現れたのがこの動く像だった。

 そして、像はXに通じる言葉で語りかけてきた。

「智者か愚者か、それとも勇者か。汝に問う」

「質問、ですか。どうぞ」

 土塊の像が突然語りかけてきても全く動じないあたり、Xも随分『異界』に慣れてきたと見える。肚が据わりすぎてどこか頓珍漢ですらある返答を聞いていたのかいないのか、像が言った。

「朝に四本足、昼に二本足、夕に三本足。これは何だ?」

 有名な謎かけ。この問いに対する解は流石にXも知っていたのか、わずかに首を傾げる気配とともに答える。

「人間、ですよね」

『こちら側』ではそれが正解なわけだが、果たしてここでも同じなのか? 僕の疑問に対する回答は得られなかった。Xの答えが果たして正解か不正解か、像は教えてはくれなかったからだ。

 代わりに、というわけではないのだろうが、Xが答えた直後に次の謎を投げかけてくる。それは即座に答えられるような単純なものから、画面の向こうのXが頭を捻るものまで。

 そして、今の問いかけには、相当悩まされているようだった。しばらく、問いを繰り返す像の声だけがスピーカーから響いている。

「外から一頭加えると十八頭になって、計算が可能になる。そして、うち十七頭の分配が終わってからその一頭を引き上げるのよね? 古典的な論理クイズよ」

 既にリーダーは答えを出している。この人はどのようなジャンルの設問を投げかけられても大概のものには対応できる。そもそもあらゆる『異界』に直面する異界研究者は、当然求められる知識も多岐に渡る。この人がここに集う研究者たちの「リーダー」を務める理由のひとつは、この守備範囲の広さにある。

「わかってるのに伝わらんのは苛々するな」

 白衣のポケットに手を突っ込んだまま、ドクターが舌打ち混じりに言う。もどかしい、と思っているのはやはり僕だけではなかったらしい。どれもこれも、異界潜航装置の仕組み上仕方のないことではある、が。

 その時、ディスプレイに映っていた景色がぐるりと巡り、像の姿が視界の外に出る。

 ――諦めたのか?

 確かにXには難しい問いだったかもしれない。また、Xの目的は『異界』の観測であり、必ずしも目の前の障害を突破する必要はない。ただ、Xが来た通路は一本道だったから、観測を続けるならあの像の向こうに行くことが要件になりそうだが……。

 サンダル履きの足元が視界の下の方にちらつき、像の問いかけの声を背に、しばし来た道を戻っていく。

 そして。

「まさか」

 リーダーの声は、僕の気持ちをそっくりそのまま代弁していた。

 かくしてXは再び像の前に戻る。

「ここに、十七頭の家畜がいるとする――」

 先ほどと変わらぬ問いを投げかけてくる像。Xが解を出すまではずっとそうしているつもりに違いない。

 そう、その手に何が握られていようとも。

 Xが、その手の――通路に放置されていた、錆びた剣を振り上げても、だ。

 見るからに切れ味は期待できなかったが、その重量とXの膂力で振るわれる剣は、ただでさえあちこちにひびの入った像の片腕をあっけなく叩き潰した。返す刃で胴を叩く。流石に一回叩いた程度でどうにかなるとは思えなかったが、二度、三度と、刃先がこぼれるに構わず叩き続ければ自然とひびが深くなっていく。

 その間も異変を感じていなかったのか、無防備に問いを投げかけ続けていた像は、とどめの一発を受けて上半身と下半身が泣き別れになる。

 それが引き金になったのか、今まで人の形をしていた像が、砂のように崩れはじめた。分かたれた胴から崩壊が進み、やがては喋り続けていた頭部も砂と化し、問いかけの声は聞こえなくなった。

 Xは持ち上げた錆びた剣を肩で支え、もはや像の原型が欠片も残っていない細かな砂を踏み越え、軽々とした足取りで通路の先へと歩んでゆく。

「暴力で解決させたらXの右に出る人、いないっすよね……」

 呆然と呟く新人に、リーダーが「そうね」と苦笑する。Xという男は、普段はいたって物静かで理性的だが、時には僕らが想像もしない思い切った行動に出る。大概それは極めて暴力的な手段であり、Xの中にある選択肢には常に暴力が含まれている、という事実をまざまざと理解させられるわけだが――。

「でも、今回はこれで正解だったのかも」

 という、リーダーの言葉に驚く。

「そう、ですか?」

「だって、『謎かけに答えろ』とは言われてなかったもの。あくまで、問う、としか言っていない」

 ――智者か愚者か、それとも勇者か。汝に問う。

 確かに、土塊の像はそのように言っていたと思い出す。

 もしかすると、Xは謎かけを解くために黙っていたのではなく、この膠着した状況を打開する方策を考えていたのか?

「そうやって、自らの持てる力で道なき道を切り開くような人を、『勇者』と呼ぶのかもしれないわね」

 リーダーはそう言ったけれど、もちろん、『異界』が答えを教えてくれるわけではない。

 いつだって僕らは目に見えているものから推測を重ねていくだけ。

 そして、Xの道行きの先で、推測するだけの材料を得られることを祈るだけなのだ。

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