06:アバター
「もっと安全な形での『潜航』はできないのかしら」
今日の『潜航』を終え、ドクターからのバイタルチェックを受けているXを横目に、リーダーがふと口を開く。
「と、いうのは?」
そう返したのは装置のコンソールから顔をあげたエンジニアだ。何せ、異界潜航装置の開発はエンジニアに一任されている。……というか、「この人にしかできない」のだ。誇張なく。
「今はXが『潜航』してくれているけれど、私たち自身が安全に『潜航』する方法は本当にないのか、っていうことは前々からずっと考えているの。未だに答えは出ないけど」
リーダーの言うことは、俺にもよくわかる。
いつまでXがここにいてくれるかわからない、というのもそうだが、そもそも『異界』の観測は「俺たちの仕事」であって、他の誰かに任せるようなものでない。いや、もっと正しく言えば「方法があるなら、自分で行きたい」のだ。異界研究者っていうのは、揃いも揃ってそういう連中なのは嫌ってほどよく知っている。
ただ、その一方で慎重にならざるを得ないのは――、現実に、帰ってこなかったからだ。俺たちの先達に当たる連中が、ごっそり、丸ごと。
そんなわけで、お偉方からも勝手なことをするなと口酸っぱく言われているし、監査官がここに常駐してるのは、俺らが勝手に『潜航』しないかどうかを見張るのが理由の一つだ。異界研究者はただでさえ人数が少ないのだ、唯一残された若手の俺らまで消えたら、『異界』の研究がまた一歩遅れることになるわけで。それだけは国のお偉いさんも避けたいんだろう。
とはいえ、『異界』へ安全に向かう方法を考えるだけならタダだし、仮に絶対安全なやり方が編み出せるのならば、当然行きたいと思う。そういうことだ。
「現在のやり方だと、『潜航』する人間の肉体は無事でも、意識が危険にさらされるわけでしょう。それなら、こちらから自由に操作できるアバターを持ち込む、というのは不可能なのかしら」
「あー、できなかないと思うわよ、仕組みはイチどころかゼロから組み直しだから時間はかかるけど」
「今の異界潜航装置とはそんなに別物?」
リーダーが問いかけると、がりがりと頭を掻きながら、エンジニアはぎょろりとした目をリーダーに向ける。
「コンセプトそのものが違うのよ。アタシは『サンプルが実際に行って帰ってくる』ことを最重要課題にしてたからこの形にしてるけど、あんたのそれは単純に『異界』を『こちら側』から観測できればいい、ってことでしょ」
「なるほど、それはそうね」
「ついでに、こいつは、接続した人間に情報の選別を依存してるからここまでスリムにできてるの」
こいつ、とエンジニアが指したのは、もちろん、鎮座まします異界潜航装置だ。ものものしい存在感のサーバーラックは、研究室の空間のうちかなりの割合を占めている。このただでさえでかいサーバーマシンを「スリム」と言ってのけるからには、下手するとこの研究室を埋め尽くさんほどの大規模な装置になりかねない、ということだ。
「人間の感覚――脳が取捨選択する感覚だけじゃなくて、それこそ、第六感っていうか。科学の分野からは離れた領域も含めた『感覚』の話なんだけど、それって、他のもんで代替するのは極めて難しいのよ。例えば視覚情報一つとっても、今の仕組みならXの目を通して、Xがそのように認識しているものを観測することができる。でも、実際に誰かが『異界』に赴くことなく『こちら側』からアバターだけを持ち込もうとした場合、アバターには、『異界』で得られる情報をアタシらに理解できる形に取捨選択する機能を取り付ける必要がある。それって、『異界』に送り込んだアバターの内側に、人間の視覚をそっくりそのまま再現する必要があるってことなの。その仕組みが仮に実現したところで、はちゃめちゃにリソースを食うのは間違いない」
エンジニアはやたら早口に、まくしたてるように言う。この人、一度喋り始めると止まらないんだよな。話そのものはわかりやすい方だと思うけど、とにかく立て板に水って感じで俺らが口を挟む隙を与えてくれない。
唯一――生来のマイペースさゆえに人の話の腰を折ることを恐れぬリーダーは、エンジニアが喋り続けている只中に言葉を差し挟む。
「つまり、現実的ではない、と」
「そゆこと」
エンジニアもリーダーの言葉を受けて口の端を持ち上げ、その一言で口を閉ざした。
どうやら、エンジニアは、とっくにリーダーの言うやり方を考えたことがあったのだろう。だから、これだけスムーズにリーダーの提案に回答できたに違いなかった。
それでも、エンジニアはリーダーの提案を「無理」だと嘲笑し棄却することは決してしない。現実的ではないとは言ったが、できなくはない、と言った。エンジニアの中では、とにかく実現までに時間はかかるし物理的にも制約は大きいが、それらを一旦横に置けば「不可能ではない」方法だということ。
「アタシは、今のやり方がコストパフォーマンス、それからリスクとリターンを天秤にかけたときに一番丸いと思ったからこうしてる。……でも、アプローチの方法は多い方がいい。アタシの考えつく方法が全てじゃないのも、もちろんそう」
考え続けることにも、アイデアを述べることにもでっかい意味があんのよ、とエンジニアは笑う。
その点、リーダーは理想的な人物なのだろう。常に今よりもよいやり方を考え続け、己の認識誤りを恐れない。それは、誤りであると気づけば即座に訂正する力がある、ということでもある。それって、意外と難しいんだよな、自らの間違いを認めるってことは、どんな些細なことでも、結構なストレスだから。
そういうところも全部ひっくるめて、リーダーは俺たち異界研究者のリーダーであり続けている。そういうことだ。
「なら、そうね」
リーダーは口元に指を寄せて、しばし考える素振りをして。
「意識を分割するというのは? 今の話では、人間の感覚に依存していた部分を他に委ねるのが難しい、って聞こえたから。なら、意識の一部を切り取って『人間の感覚を持つ子機』として送り込むことができれば、新たに処理を追加することもないし、仮に子機が潰されても意識の全体が失われることはないのかな、と思ったのだけど」
「うーん、その発想はなかったわね。問題は、意識を一部分切り落すことができたとして、切り落とされた側も、残りの側も正しく機能するかってこだけど。誰もやったことないから、未知もまた未知ってこと」
人間の意識って繊細だからさあ、とエンジニアは肩を竦める。
「でも、そうね、実験が許可されればやってみたいところではあるわね。そのためには、意識を切り刻まれてバラバラにされても文句を言わない、都合のいい人間が必要ってことだけど」
と言いながら、エンジニアの視線はリーダーではなく、ましてや横で聞いている俺でもなく、装置の横に置かれた寝台に向けられる。
「発言を許可するけれど、どうかしら、X?」
リーダーの涼やかな視線もまたⅩに向けられる。やっとバイタルチェックという名のドクターからの言葉責めから解放され、寝台の上に身を起こしたXは、じっとリーダーを見据え、一拍の後に口を開く。
「嫌、ですが?」
正直でよろしい。
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