03:文鳥

「わ、」

 何かを言いかけた声は羽音と囀りに飲み込まれた。

 ――旅の人かい? では、面白いものを見せてやろう。

 そう促されて扉を開けた瞬間、文鳥、のような形をした鳥が、一斉にXに向けて飛びかかってきたのだった。文鳥と言い切らないのは、どれだけ『こちら側』のそれと似ていたとしても、『異界』の存在が『こちら側』のものと全く同じとは言い切れないからだ。

 実際、Xに無数の鳥をけしかけた張本人である爺さんは、愉快そうに笑って言ったのだ。

「いやはや、こうなるとはな。随分とイシチョウに好かれるな、お前さん」

 イシチョウ。耳慣れない名前だ。俺の耳でも聞き取れる音の響き、それからXがこの『異界』の爺さんの言葉をきちんと理解できているところから考えると、日本語に当てはめられる言葉かもしれない、とは思うが。

 Xは手のひらサイズの鳥に群がられ、あちこちを容赦なくつつかれながら、それでも何とか爺さんの方に向き直って言う。

「この、鳥は、イシチョウ、という、の、です、か」

 普段から喋る時には、考え考え言葉を選びながら喋るため、口調に妙なたどたどしさがあるXだが、今のこれは単に頬をついばまれながらかろうじて絞り出した言葉ってだけだろう。いやはや、見てるだけでちょっと肌がちりちりしてくるなこれ。

 Xの問いに「そうさ」と言った爺さんが皺だらけの手をぱんぱんと叩く。すると、鳥たちは突然我に返ったようにXから飛び立ち、天井近くに渡された紐に留まった。文鳥じみた鳥が鈴なりになっている、という光景だけでもなかなか壮観だが、一瞬前までこの鳥全部がXをつついてたのだな、と思うと変な笑いが出る。エンジニアなんて変なツボに入ったのか、さっきからずっと腹抱えて笑っている。

 やっと鳥の猛攻から解放されたXが、深く息をついて額を拭う。その手も徹底的にやられたらしく、嘴の痕跡がそこかしこに残っている。

「イシチョウはな、生き物の弱っているところを察して、そこをつつく性質がある。古くから、このあたりじゃ未知の症状の病人に向けてイシチョウを放って、患部を探ってもらったもんだ」

「なるほど?」

「だから、こいつらはイシチョウって呼ばれてる。鳥の姿をした、ちいさな医者ってことさ」

 つまり、〈医師鳥、、、〉ってことか。

 こりゃドクターあたりが嫌な顔しそうだな、とちらっと見れば、案の定めちゃくちゃ嫌な顔をしていた。そんな胡散臭いやり方許容できるか、ってツラだ。

 当然、ドクターとて俺とはジャンルが違うとはいえ、このプロジェクトに所属する異界研究者だ。『異界』には『異界』の理があり、それは『こちら側』とは当然異なる、というのは重々承知だろう。が、自分の持つ知識や論理に反したものを受け入れられるかどうかといえば別、っていう思想が、その綺麗なお顔にありありと浮かんでいる。そんな怖い顔ばっかしてるからXに避けられるんだぞ、ドクター。

 そんな、普段以上の威圧感を伴うドクターをよそに、ディスプレイの視界がわずかに傾く。Xが首を傾げたに違いなかった。Xは、何もかもが顔に出るドクターとは対照的に表情には極めて乏しいが、体の動きできちんと見せようとするので、ツラから受ける印象よりも意思疎通には困らない。

 疑問、のジェスチュアを伴いながら、Xは今度こそ言葉を選び選び言った。

「しかし、私は……、別に、どこも悪くはない、と思っていますが」

 そう、それはそうなのだ。

 リーダーはその言葉を受けて、相変わらず不機嫌そうなツラを隠さないドクターに問いかける。

「Xはこう言ってるけど、ドクターとしても、同意見かしら?」

「ああ。心身共に問題は見受けられないし、『潜航』前後での異常な兆候も見られていない。こいつの百倍は健康だ」

「いやっ、俺を指さすのやめてもらえないっすかねぇ!?」

 比べるんじゃない! 言われなくともわかっちゃいるんだよ! このままだと高血圧やら糖尿病やらにまっしぐらだってことくらいは! わかっててもそう簡単に痩せられれば世話はないんだよ!

 その点、Xは本気で健康に意識を払った生活をしている。毎食決まったカロリーの食事をきっちり食べ、しっかりと睡眠時間を確保し、空いた時間では常に筋トレをしている。そのため、見た目の冴えなさとは裏腹にめちゃくちゃ引き締まった体をしているし、身体能力も抜群に高い。こと「健康」に関しては人一倍うるさいドクターのお墨付きをもらえるレベルの健康体、それがXというおっさんだ。

 だが、爺さんの話を聞く限り、この〈医師鳥〉とやらは「弱っている部分」に群がるという。Xには似合わないにもほどがある、と思ったのだが。

「なら、そうだな。お前さんには、『そうなる予定』があるんだろうな」

 ぽつり、と。落とされた言葉に、どきりとする。

 予定。一体、何の?

「ここ最近わかったことだが、医師鳥は実際に患部を探り当ててるわけじゃあない。実際は、いたって健康な場所を示すこともあるんだ。だが、医師鳥につつかれた部位は、必ずそう遠くないうちに何かが起こる」

「……それは、つまり、悪化を予測している、ということですか」

「単に悪化だけじゃあない。弱る、衰える、機能が失われる。指をつつかれた奴が、数日後には工場の事故で指を失う、そんな話も枚挙に暇がない」

 だから、と。

 老人は天井近くに群がる〈医師鳥〉を見上げる。Xの視線も、自然とそちらに向けられる。

「こいつらには、運命、、が見えてる、のかもしれないな」

 まん丸い〈医師鳥〉の瞳が、じっとXを見つめている。Xが抱えているらしい「何か」を見つめている。運命なんて馬鹿げている、そうやって笑い飛ばしてくれるような奴だったら、見てる俺も幾分気が楽なんだが、いかんせんXはそんな男ではない。

「なるほど、確かに、それならば、納得はできます」

 ごくごく生真面目に爺さんの言葉を受け止めて。運命を見据えているという鳥を見上げて。

「私も、きっと、遠くないうちに」

 それ以上の言葉は、言葉にならなかったのか、耳に入ったはずなのに聞かなかったことにしたのか。そのどちらなのか、俺は考えないことにした。

 ただ、そう、厳然たる事実として、Xは俺らの前からいなくなる。

 どこかの『異界』で命を失うのが早いか、刑が執行されるのが早いか。

 それはまだわからないけれど、いつかは――必ず。

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