ドクターの章

ドクターと呼ばれる彼の話

 我々の常識とはかけ離れた世界である『異界』への『潜航』が、異界潜航サンプルにどのような影響を及ぼすのかは未知である。故にこそ、我がプロジェクトは人体の専門家であるドクターを抱えている。

 医師免許を持つれっきとした医者であるドクターが『異界』を知った経緯について、私は詳しいことを知らない。ただ、医学生時代に『異界』の影響を受けた人間を目にしてから、この道に進むことを決意した、ということは間違いないようだ。我々は多かれ少なかれ『異界』に縁があり、その存在を知るからこそ、異界研究者としてこの場にいる。

 プロジェクトにおけるドクターの役目は『潜航』前後の異界潜航サンプルXの心身のチェックとデータの収集、そして円滑な『潜航』のためのXの体調管理も含まれる。前者はとにかく、後者に関してはXを正座させて説教しているドクターをよく観測できる。

 どうも、無理を押してでも『潜航』を強行するタイプのXと、健康第一のドクターとは極めて折り合いが悪いようだ。Xが、表向き従順に見えて全然懲りないタチなのもドクターの神経を逆撫でしているのかもしれない。今日も今日とてドクターはXの頭の上から極めて乱暴な――しかし、いたって正論の言葉を投げかけている。

 死刑囚の殺人犯に説教する医者、というのもなかなか奇妙な光景であるが、Xという優秀なサンプルを維持するためにドクターも一生懸命なのだ。単に説教が好きなだけ、という説はちょっぴりあるが。

 だから、Xは、助けを求めるようにこっちを見ないでほしい。ほら、よそ見するなって怒られてる。この調子だと、あと三十分くらいは解放されないのでは……?

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