21:朝顔

 柱に絡まって咲くのは、色とりどりの朝顔だ。

 Xの『潜航』の間、アタシは異界潜航装置が吐き出すログの監視につきっきりで、Xの視界を映すディスプレイを注視できない。一応新人もアタシと大体同じことができるけど、アタシが息をつきたい際、もしくは緊急時の交代要員であって、基本的にはもっぱらアタシの仕事。

 だから、ディスプレイいっぱいに映る鮮やかな花々も、今のところはちらちらと横目で見るだけに止まる。

 Xが歩いているのは、緑あふれる庭園だった。本来は立派であったのだろう庭園を囲む建造物も、植物にすっかり侵蝕されている。そこここに花々が咲き乱れる中、特に目立つのが朝顔――らしき植物。『異界』の事物を『こちら側』の言葉に当てはめるのはナンセンスだとわかっちゃいるけど、『こちら側』の住人である以上、自分の経験から来る知識、語彙に依存してしまう。それは『異界』の知識を握ってるアタシだって同じことだ。

「綺麗な場所だけど、……何があったのかしらね」

 ぽつり、リーダーが呟く。おそらくこの『異界』には、かつては何者かが住んでいた。植物の間から覗く建造物の感じからしても、相当高い文明を持つ、それでいて我々『こちら側』の人間に近しい何者かが。だが、Xの視界を通して見る限り、植物以外の生物は絶えて久しいようだった。

 ――そう、本当に、植物以外の生物の気配がしないのだ。

 小さな獣や鳥の姿を目にすることもなければ、それこそ、虫の羽音すら聞こえない。『こちら側』の常識が全て『異界』に通用するかといえば否だが、それでも異様に思う。

 アタシはよくよく知っている、いくら完全に同じではありえないとはいえ、『こちら側』と似た環境にあるものが似た形を持っているなら、似ていることにもそれなりの理由がある。Xが問題なく行動できているということは、大気の組成や重力、降り注ぐ光などなど諸々の環境がXに悪影響を及ぼすようなものでない、ということ。『こちら側』と近しい、ということ。アタシの頭の中のあれこれと照らし合わせても、百パーセント同じとは言えないが、「似ている」と言うことはできる。

 だから、この場において「おかしい」という感覚は、そうそう的外れにはならない。

 例えば、どうやってこの植物はここまで爆発的に広がっているのか。もちろん風媒花と呼ばれる種類もあるから必ずしも他の生物の媒介を必要としないのは『こちら側』も一緒。だけど、それだったらこのような美しい見かけである必要がない。花が美しいのは、それに伴う機能があるからだ。

 Xも知識はなくとも、感覚的に「おかしい」と気づいてるのかもしれない。視界の端に映るディスプレイから読み取れるのは、濃い青紫をした大輪の朝顔の一つに近づくXだ。普段なら一気に踏み込むところをじりじり間合いを測ってるところから、奴の警戒がよくよく読み取れる。

 その時、がくん、とディスプレイの視界が揺れて地面に落ちる。転んだ? いや、何かに引っ張られて体勢を崩したか。

 思わず持ってかれてた意識をコンソールに戻す。流れるログを見れば、意識体に微量なダメージあり。傷が付くほどではない軽微なもの、が、これは。

「……蔓?」

 リーダーの声を聞きながら、コンソールにもう一つ窓を開いて、ディスプレイの画面を同期する。Xが見つめているのは己の足。サンダルの脱げた裸足に、うっすら毛に覆われた緑の蔓が絡んでいる。

 いや、絡んでいる、なんて生っちょろい表現はやめよう。食い込んでいるのだ。痕がつくくらいには、強く、強く。Xの手が蔓を引きはがしにかかる、が、視界の外から飛び込んできた蔓が手首に巻き付き、それを拒む。

 ざわり、風も吹いてないように見えるのに、視界の葉が、花が、蠢く。まるでそれは、緑色の巨人が大きく腕を開いて、地面に縫い留められているXを抱きしめんとするかのよう。

 なるほどね、植物自ら動ければ、繁殖やら養分の取得やらを動物に頼る必要はない。けれど、きっとそれは奴らにとっちゃ結構な労力であるようで、故に――美しい見目で動物をおびき寄せるんだろう。それはもちろん、人間だって同様に。

 這い回る蔓が、抵抗するXをさらに絡め取る。それはディスプレイ越しには細く頼りなく見えるけど、生きた植物って思うよりずっと頑丈なのよね、人よりずっと膂力があるはずのXでも、そう簡単には振りほどけずにいる。

「……っ、ぅ」

 スピーカーから、わずかに、Xの呼吸と、何かを噛み殺しているかのような声が、漏れる。

 もう一つの窓では激しく流れていくログ。その中でも見逃せないアラートがいくつか。

「リーダー、ヤバいかも。意識体に結構ダメージ来てるわこれ」

 いくら本物の肉体を伴わないとはいえ、『異界』において意識体が感じるダメージはそのまんま脳にフィードバックされる。下手すりゃそのままショック死ってわけ。なのにX、苦痛を堪えるクセがあるから傍目にわかりづらいんだよなあ。確かに本当に無理なときは無理って言ってくれるけど、その判断がいつだってぎりぎりなのだ。見てるしかできないこっちの身にもなってほしい。

「止めるか?」

 サブリーダーの言葉に、リーダーも浅く頷いて言う。

「ええ、続行不能と判断するわ。引き上げシーケンス、開始して」

「オーケイ」

 シーケンスの起動コマンドを入力。あとはほとんど自動ではあるが、監視は怠ることができない。

 引き上げが始まる。『こちら側』に残した肉体とのリンクを命綱に、『異界』に投げ込んだ意識体を引っ張り上げる手続き。

 それでも、それでも、Xは「観測」を止めない。めちゃくちゃな痛みを感じててもおかしくないのに、瞼を閉ざすことなく、今にも自分を飲みこもうとする薄青や青紫の朝顔を見つめている。堂々と咲くそれらは、Xを見下ろして笑っているかのようだ。そいつらに人並みの感情なんかありやしないんだろうけど。

 ――ねえ、X、怖くない?

 だって、話も通じない、情に訴えられない、今回はお得意の暴力だって通じそうにない。いくらいざって時に『こちら側』から引き上げができるって言っても、リーダーが判断を誤ったら一発でアウト。それをわかってないほどの馬鹿じゃないはずだけど、Xはいつだって、悲鳴一つ上げずに限界まで観測を続ける。どれだけ痛い目に遭っても、理不尽な目に遭っても、次の『異界』では背筋を伸ばして、やっぱり最後の最後まで見据えることをやめないんだろう。

 ほんと、アタシには真似できないよ。かつて、途中で正気を手放しちゃったアタシには。

 次の瞬間、ふつりとXの視界を映していた窓が暗くなる。瞼を閉じたというよりは、意識そのものが闇に落ちた、という感覚。

 引き上げシーケンスのログに異常なし。これなら、問題なくXの意識は『こちら側』の肉体に戻ってくるだろう。

 引き上げが終わったら、Xは嫌がるかもしれないけど、ドクターには念入りに診てもらわないとね。変な後遺症とか残っちゃったら、いくら「使い捨て」を想定されている異界潜航サンプルとはいえ、やっぱ寝覚め悪いし。

 その程度には、アタシだって、Xのこと気に入ってるのよ。

 その目で『異界』を見てる、っていう仲間意識もあるかもしれないけど、ね。

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