20:甘くない

 やってしまったなぁ、と天井を見上げて思う。

「気分はどう?」

 覗き込んでくるリーダーの顔が直視できない。いや、だって、やってしまったって自覚してるんだから、それは酷な質問じゃない?

 とはいえ、意識が戻ってるのは完全にバレてるのだから、黙ってるのはフェアじゃない。

「最悪よぉ」

 喉ががらがらでろくな声が出ないな、アタシはただでさえ声が悪いってのに。

「っつーか、アタシ、何してた?」

 記憶を手繰ろうとしても、ある時点からすとんと記憶が切り落とされてて、次に意識がはっきりしたら天井を見上げていたのだ。つまり、アタシはまたもやぶっ倒れて医務室に運ばれていたらしい。ここはお前のための部屋じゃない、ってドクターにこっぴどく叱られるんだろうな、と思うと気が重いにもほどがある。

 さて、リーダーはその綺麗なお顔をちょっぴり歪めて、苦笑いを浮かべるのだ。

「そうね、今日はいつもより酷かったかも。サブリーダーに取り押さえられてやっと落ち着いたみたいだったから」

「あーん」

 サブリーダーにも頭を下げなきゃじゃんよ、憂鬱にもほどがある。最近かなり発作が少なくなったと思って油断してたところでこれよ。

「薬、飲んでたのよね?」

「飲んでた飲んでた。ただ、朝からちょっと嫌な予感はしてたから、調子悪かったんだろうな」

 風邪や腹痛と違って症状やその予兆がはっきりしない、それがアタシの「持病」の困ったところだ。しかも現代の――『こちら側』の医学じゃ解明不可能だっていうんだからどうしようもない。頭の働きをちょっと鈍らせる薬で誤魔化すくらいしか対処のしようがないわけだけど、飲みすぎたらもちろん仕事に支障をきたす。

「嫌な予感がした時点で休んでもよかったのよ、私は無理される方が心配だわ」

「ごめんて。次は気を付ける」

 まあ、気をつけててもダメなときはダメよ、だって自分の頭そのものがまともじゃなくなるんだから。だから、頭が働いてるうちに先んじて打てる手は打っているつもりだけど、それにだって限界はある。

 起き上がろうとしたところを「もう少し休んだ方がいいわ」と制されて、大人しく従う。実際まだ頭がぐらぐらするから、その方がいいんだろな、きっと。

 薄目で天井あたりを見るともなしに見ていると、リーダーが言う。

「Xもとっても驚いてた。そういえば、あなたの発作を見るの初めてだったと思うから」

「あー、そうかも」

 確かに仕事中におかしくなって倒れるのは久しぶりだし、Xが来てからは一度もなかったはず。

「見ものだったわよ、目まん丸くして、どうしよう、ってわたわたしてて」

「それはめちゃくちゃ見たかったわ」

 あのXが本気で動揺してるところなんて、『異界』でもろくに観測できないのだから。片腕を取られたって痛がりはしても悲鳴一つあげずに苦悶の声を噛み殺してたような男だよ、あいつ。

「心配もしてた。大丈夫なのか、無事なのか、ってしきりに聞いてた。……流石に、詳しいことは説明してないけど」

「そっかあ」

 まあ、Xに詳細を話したところで何一つアタシに害はないんだろうけど、何が変わるわけでもないから、リーダーの采配は正しいんだろう。きっと。

 でも、Xが心配してたってのは少し驚き。あの男は、アタシたちにはさほど関心がないみたいに見えてたから。アタシらにとってXが真面目で従順な扱いやすいサンプルであるように、Xにとってアタシらは自分を使って仕事する人たち、以外の何でもないとばかり思っていた。要はアタシらをろくに個人として認識してなくてもおかしくない、と。

 だけど、まあ、その一方でわからなくもないのよね。Xは目の前の人間が突然おかしくなってるのを見てほっとけるようなタチでもない。それは、今までの『潜航』でも散々思い知らされてることだ。

「X、優しいわよね」

 優しい。……本当にその言葉が適切かどうかはアタシにはわからない。あいつは人を殺したという。それも、片手の指で数え切れないくらいには。人としてなんか大事なものを欠いてるくらいじゃないと、到底実行に移せるとは思えない。

 でも、あいつが心配してるって言ったらほんとに心配してるんだろうな、って思うのも確か。そういう奴なんだよな、X。

「早く元気なとこ、見せないとな。心配かけさせっぱなしでも、よくないでしょ」

 主に『潜航』に挑むXの心境的にも。ついでに、アタシが満足に動けないとそもそも『潜航』になんないしね。ワーカホリックのXにとって、働けないことはかなりのストレスになるだろうから。

「そうね。だから、今はゆっくり休んで。ドクター呼んでくるわね」

「呼ばなくていいんだけど?」

「そうはいかないわ」

 苦笑いを深めて、リーダーは医務室を去っていく。

 そして、アタシは、気を逸らすものが消えたことで、改めて自分がどうしようもなくおかしいということを理解する。

 天井にはなんとも形容しがたいものが這い回り、天井と壁の境目が裂けて直視してはいけない何かがこんにちはしている。リーダーの顔が真っ直ぐ見られなかったのは、その背後に見えてるものを目に入れたくなかった、というのも大きい。

 いつだって見えてるけど、普段は意識から外してるもの、意識しないように努めてるもの。アタシの頭はとっくにまともではなく、Xと違って『こちら側』から一歩も離れないまま、『異界』から漏れ出す何かを察知してしまう。

 こんな頭を抱えて、人並みに生きていけるほど現実は甘くない。それはわかっちゃいるけれど。

「やめらんないのよねぇ……」

 瞼を閉じる。視界に映るあれそれを、一旦シャットアウトする。それで、アタシの頭の中にとめどなく「流れ込んでくる」ものが止まってくれるわけじゃないけど、そうと意識できていれば、気に留めないよう努めることはできる。

 呼吸を整えて、それから、扉の外に響いてくる高らかな靴音に、ドクターの説教を覚悟する。

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