09:肯定
「俺は、確かに医療分野のスタッフとしてここにいるが」
目の前のそいつに、重々しく告げる。
「他のスタッフの健康管理は専門じゃない。ましてやあんたはスタッフですらないだろ」
「すみません……、仰るとおりです……」
俺の前で縦に長い体を縮めている男は、俺たちの間で監査官と呼ばれている。四六時中俺らを監視するように国のお偉方から命令を受けて派遣された、いわゆる宮仕えってやつだ。
ただし、当プロジェクトは少数精鋭――と言えば聞こえはいいが、慢性的な人材不足。本来、たった五人で回せるようなもんじゃないだろ、こんなプロジェクト。
そんなわけで、リーダーの要請というか懇願もあり、監査官もここでは俺たちと同程度に働かされている。スタッフですらない、とは言ったが、それはあくまで建前だ。実際のところはすっかりプロジェクトに組み込まれてしまっている、今更欠かすことはできないメンバーの一人だったりする。
「とはいえ、だ」
俺は椅子を回して真っ向から監査官を見据える。俺より幾分か若い――つまり宮仕えとしては若手と言える――そいつは、普段からお世辞にもよいとは言えない顔色を、数段悪化させている。
「調子の悪い奴に目の前をうろつかれる方が鬱陶しい。どこが悪いんだ」
俺がそう言うと、監査官は明らかな驚きの表情で目を見開いた。何だその反応、と思っていると。
「ドクターって、案外親切なんですね」
「無駄口叩くと追い出すぞ」
ここは俺に与えられた部屋だ。いざって時に異界潜航サンプルに医療措置を施す目的で用意された部屋だが、Xが無駄にタフな奴だってのもあり、もっぱら俺が上に提出する書類を書くのに使っている。つまり、俺による、俺のための部屋だ。邪魔するつもりなら出て行ってもらいたい。
そんな俺の切なる気持ちが届いたのか、監査官は慌てた様子で首をぶんぶん横に振る。
「いえっ、すみません! その、症状なんですが」
言ったところで、少しだけ声のトーンを落として、生白い手で己の腹部を撫ぜる。
「最近、どうも食欲がなくて。この辺りがじわじわ痛んでくるし、変な汗は出てくるしで」
「……それは、もう普通の医者を頼った方がよくないか?」
俺だって医師免許は持っているし、一通りの分野を網羅した上で、常に知識を更新し続けているという自負もあるが、反面、これといった専門分野があるわけじゃない。異界潜航サンプルの状態を診断し、求められた際に応急処置ができればいい、というのが当プロジェクトの医療スタッフの要件であるから、広範な知識を必要とされる一方で「対処」に関してはその場しのぎのものしか提案できない。
「しかし、近頃急に症状が悪化しているので、まずは、ドクターに相談してみようかと」
「まあ、ここでの何かが影響してないとも言い切れんからな」
俺たちは直接『異界』には潜らない。だが、日々『異界』との境界線を踏み越えるXの側にいること、そして境界線を曖昧にする異界潜航装置と同じ空間にいることは確かで、それらが人体に害を及ぼさないとも言い切れないのは、そう。
「一応、診るか。もし影響がある、ってわかればお前も立派なサンプルだ」
「あの、言い方ってものがありません?」
監査官の訴えは黙殺し、診察に移る。
この場で診られる内容は、設備の都合もあってたかが知れているが、それでも下手な診療所よりは充実しているかもしれない。俺が必要なものを申告すれば、ああ見えて強かなリーダーがお偉方から予算をもぎ取ってくるから。そのたびに微妙に監査官の顔色が悪化してたような気もするが、気づかなかったことにしている。
聴診、触診、あと簡易ながらも機器を使った測定。それらを経た上での俺の見解といえば、
「特別にまずい症状はなさそうだな。胃が少し荒れてるようだが、薬と食生活で改善できるだろ」
と、いうことだ。
監査官はクソ深刻そうなツラで俺を見ていた。
「本当にそれだけ、ですか」
「疑うか?」
もちろんどこまでも俺の見解であり、他の医者が何と言うかはわかったもんじゃないが、と付け加えると、監査官はゆるゆると首を横に振る。
「疑ってるつもりはありません。ただ、それならどうしてこんなに調子悪いのかなって。体調崩してる場合じゃないんですよ、上からはとっとと結果を見せろって言われるし、でもそう簡単に結果が出るようなもんじゃないってのは、ここで見てりゃ嫌でもわかるってもんです。リーダーからも頼まれてますし、僕が矢面に立つのは全然いいんです。国とプロジェクトの間に立つのが僕の仕事ですからね。でも日々上から圧力かけられてるとなかなか、こう、こうですねえ!」
「……原因、それじゃないか?」
心底の呆れを込めて、深い溜息と共に言葉を吐き出す。
「つまり」
監査官がうっすら口の端を歪める。その青ざめたツラに、諦めのような表情を張り付かせて。
「単なるストレス、ですかね」
ひとつ、頷きをもって、肯定した。
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