13:流しそうめん
「何ですか、それ」
僕の問いに、エンジニアは色鮮やかなアロハシャツの胸を張って答えた。
「流しそうめんよ!」
いや、それは、半分に割った竹を斜めに渡した、見事な流しそうめん装置を見ればわかる。質問が悪かった。
「どうして、突然流しそうめんの準備を始めたんですか」
「だって空調が壊れてるんじゃ仕事にならない、ってよくよくわかったでしょ。中にいたって外に出たって暑いんだから、気分だけでも涼しくしたいと思わない? アタシはしたい!」
いつだって口数の多いエンジニアだが、話す内容自体はいたって理路整然としている。故に今回も、僕の質問に対して正しい回答を寄越してくる。
そう、研究所の空調が壊れたのだ。
すぐにリーダーと僕とで修理の手配をしたが、少なくとも今日一日はどうしようもない。僕ら人間はともかく、精密機器で熱に弱い異界潜航装置が保たない。
そんなわけで、今日一日は『潜航』を中止して各々が個人的に抱えている作業をやろう――ということになったのだが、どうにも蒸し暑くて、だらだらと作業しているうちに昼休みになって。いつの間にか研究室から姿を消していたエンジニアが、うきうきの表情で僕らを外に呼び出したと思ったら、これだ。
「私、流しそうめんって初めてだわ」
「いやー、準備いいっすね」
「ふふん、先見の明と言いなさい」
目をきらきらさせて竹を眺めるリーダーと新人に、エンジニアは鼻が高そうだ。ただ、その様子を一歩離れて――僕の横で見ていたサブリーダーが、ぼそりと言う。
「でも、こいつ、空調が壊れなくても絶対に何かしら理由をつけて流しそうめんする気だったぞ。ここ一ヶ月くらい、地下にあの竹放置されてたからな」
「どうしてあるのかと思ったら……!」
というか、よく考えたらどこから持ってきたんだその竹。エンジニアは研究所に住み込みのはずで、外出許可の打診だってここしばらくはなかったはずだが。お得意の通販か? 通販なのか? もう何でもありだな通販。
エンジニアの奇行はこのプロジェクトにはよくあることだが、今回のように他のメンバーを巻き込む類の奇行は初めてかもしれない。エンジニアの行動は特にしっかり監視しろ、というお達しを受けてはいるが、果たしてこれも上に報告すべきなのだろうか。かなり悩ましいところだ。
そんな僕の前に、ずい、と割り箸と器が差し出される。めんつゆを満たした器には、ご丁寧にも氷が浮いている。
「なーに難しい顔してんのよ、そんな辛気臭い顔されてちゃ、美味いもんもまずくなるってもんだわ」
「誰のせいだと思ってるんです?」
「しらなーい」
にぃ、とエンジニアが笑う。この人が何を考えているのかは、いつだって僕には測りきれない。
僕が箸と器を受け取ると、満足げに頷いたエンジニアは他の面々にもめんつゆを渡しに行く。
その、ハイビスカス模様の背で躍る尻尾髪を眺めていると、いつの間にか僕のそばに来ていたリーダーが微笑みかけてくる。
「たまには、こういうのもいいんじゃないかしら。彼なりに気を遣ってくれてるんだと思うし」
「そうですかね? ただ遊んでるだけに見えますけど」
軽く肩を竦めて返すと、リーダーは「ふふ」と笑みをこぼして。それから、柔らかな――けれど、凪いだ海のような目で、エンジニアの背を追う。
「彼、結構気にしてると思うの。今日のこともそうだけど、近頃、『潜航』があまり上手く行ってないこと」
確かに、ここしばらくの『潜航』ではあまり有用なデータが得られていない。それは『異界』の環境もあり、『異界』におけるハプニングもあり、潜航装置のトラブルもあり。最後のことだって、別にエンジニアに責はない。どれだけ慎重を期してもトラブルは起き得る、それは僕だって承知しているし、織り込み済みだ。
それでも――、それでも、気にしないでいる、というのは難しいのかもしれない。正常の範囲ではあるが普段以上にテンションの高いエンジニアを見ていると、リーダーの言葉もそう的外れではない気がしてくる。
「だから、今日くらいは大目に見てあげて、ね」
リーダーは本当に甘いのだから。プロジェクトを守るために対外的には強かに振る舞う一方で、プロジェクトメンバーにはめっぽう甘い。
それに――。
「あ、そうだ」
リーダーの視線が僕に向く。絵に描いたような美しい顔をしたリーダーは、しかしどこかいたずらっぽい表情を浮かべて言うのだ。
「せっかくの夏の風物詩だし、これ、Xにも差し入れられないかしら? 流さないまでも、そうめんだけでも」
X。異界潜航サンプル。生きた探査機。
今は『潜航』の中止に伴い研究所地下の独房にいるはずの、それ。
僕は、正直、リーダーが何故あれを気にかけるのか、不思議でならない。
ただ、今までの経験からリーダーがそう言い出すのは想定の範囲であったから。
「……いいんじゃないですか? 刑務官に渡せば届けられると思いますよ」
僕も、上には黙ってますから、と付け加えると、リーダーはぱっと笑顔になった。
「ありがとう」
感謝されるいわれなどない。僕は実際に何をしているわけでもないのだから。
「それじゃ、流すわよー!」
エンジニアの声が響く。
……まあ、今は、何も考えずに楽しむのがよいのだろう、きっと。
めんつゆを満たした器を手に、浅く水を流している竹の樋の前へと。
真夏の、ささやかな一時が、始まる。
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