12:門番

 今日も今日とて、新人がXに彼女とののろけ話を語っている。Xに話す理由はいたってシンプルで、他に聞く耳を持つ人間がこの場に存在しないからだ。

 彼女の料理が美味いだの、彼女とちょっとした痴話喧嘩をして仲直りしただの、デートの行き先がどうだの、クソどうでもいい新人の話をクソ真面目なツラで聞いてるXの内心はいかほどか。嫌なら嫌って言っていいんだぞ、いくら『潜航』のインターバルで暇だからって、つまらん話に付き合う義理はお前にだってないだろう。

 そんなことを思っていると、不意に。

「そういや、ドクターは付き合ってる人とかいないんすか?」

 新人とXのやり取りをぼんやり眺めていたことがあだになった。こっちに話を振るな、という特大の嫌気を込めた舌打ちは、しかし新人には通用しない。というか、このプロジェクトの面々は既に慣れきってしまったと見える。唯一怯んでくれるのは監査官くらいか。全く、やりづらいにもほどがある。

 新人は肉付きのよすぎるツラで笑いかけてくる。

「黙ってさえいればモテそうなもんすけど」

「お前、随分言うようになったな」

 つまり、口を開けばろくでなし、って意味だろうがそれは。今更否定はしないが。それにしたって先輩を敬う心ってものがないのか。

 まあ、そのくらい図太くなければ異界研究者なんて務まらない、といえばそう。結局どいつもこいつもろくでなしなんだ。『こちら側』に背を向けて、ここではないどこかに魅入られるやつなんて、ろくなやつがいないに決まっている。

「今は独り身だよ」

「今は?」

 新人が怪訝な顔をする。

「数年前に離婚届書かされてそれきりだ。……まあ、養育費は入れてるが」

 新人のツラに浮かんでいた怪訝さが驚きに変わる。そんなに驚くことか、とは思うが。

 ――こいつには言ってなかったか、そういや。

 それより、新人よりXの方が驚いてないか? 普段どんな時でも仏頂面を崩さない、それこそ、俺に噛みついた時ですら表情自体はごく平坦だったXが、だ。お前は本当に、俺のことを何だと思っている?

 新人はそんな世にも珍しい顔をしているXには気づいていないらしく、ずいっと俺に近づいてくる。

「いやっ、結婚できたんすか? 子供作れたんすか? マジで!?」

 寄るな寄るな、お前はただでさえ存在に圧迫感があるんだ。

「全部過去の話だがな」

 ひらひらと手を振って返す。とはいえ、新人の言葉に込められた「ドクターがそんなことをしていたとは信じられない」という意図を否定する気はまるっきりない。事実は事実だ、何もかも、何もかも。

「お前の言うとおり、らしくなかった。向いてなかった。それだけだ。俺がプライベートまで他人と足並みを揃えられるわけがない」

「ドクター、もしかして、仕事では足並み揃えられてると思ってるんすか!?」

「お前、さっきから相当失礼だな」

 睨んでやると、ひえっ、と新人がわざとらしく身を引く。だが、この感じだと全然堪えてないな。その証拠に、俺の過去に対する興味がありありとその面に浮かんでおり、ここで話を切り上げる気がないことがよくわかる。

「でも、養育費ってことは、ちゃんと金払う意志はあるんすね」

「金なんてろくに使わないんだ、必要な奴のとこにあった方がいいだろ」

「あー」

 ドクターは金遣い荒いイメージないもんなぁ、と新人は謎の納得を見せる。そう、お前とは違うんだよ、彼女のために車を買ったとか、彼女のリクエストで海外に遊びに行きたいとか、彼女と同棲するならどんな部屋がいいだろう、なんて日頃からのたまってる奴とは。

「っつーか、ドクター、そこまで自分のことわかってんのに、どうして結婚して子供まで作っちゃったんすか」

「当時付き合ってた相手の意向だ。俺も別に嫌ではなかった。その時はな」

 だが、正直まともな夫婦生活は成立していなかった、と今なら認めることができる。俺は仕事一辺倒でほとんど家に寄り付かず、その間、相手は一人で言葉もろくに通じない子供を育てていたわけだ。それは嫌にもなろう。この点において、相手からは「その他人事のような態度が気に入らない」というありがたいお言葉を頂戴している。

 かくして、ある日、門番のように待ち構えていた相手に離婚届を突き付けられ、閉ざされた玄関の扉の前で離婚届を書かされる羽目になった。そう、その頃には俺はもう家の人間だと認めてもらえなかったわけだ。

 結局、最後まで俺は、当事者であるという意識を持てなかったのだ。今だってそう。

「ぶっちゃけ、訴えられなかっただけよかったよ。まあ、文句を言われないよう金を積んだってのもあるが」

「いやっほんとドクター顔がいいだけのクズっすよね!? こう、責任感とかなかったんすか!?」

「責任という名のもとに親権やら何やらを振りかざさないだけマシだろ」

「底の方でマシさを競っちゃダメです」

 これで仕事はめちゃめちゃできるんだもんなぁ……、と遠い目をする新人。能力と人格とはどこまでも無関係だ。少なくとも、この異界研究という仕事においては。

 まあ、俺を客観的に底辺のクズだと思える奴なのだから、こいつの彼女はまだ幸福ってことなんだろう。これからも俺みたいな『顔がいいだけのクズ』には引っかかるなよ。一寸も心配はしていないが。

「じゃあ、……離婚以来、その、お嫁さんだった人と、お子さんには会ってないんすか」

「そうだな。定期的に金を入れているだけだ」

「会いたいとは、思わないんすか?」

「別に」

 かつての結婚相手はもはや他人であるし、子供だって俺の遺伝情報を持ってはいるが、全く別の人間だ。俺みたいな奴に関わらずに生きていられるならその方がいい。そう思う。

「まあ、向こうがどう思っているかは、知らんが」

 金を振り込む際に、ひとつ、ふたつ、メールでのやり取りはしているのだ。普段はお互いにそっけない業務連絡でしかないのだが。

 子供が、いない父親のことを気にしているのだと、つい先日のメールに付記されていたことを、思い出す。

 それは、もしかすると「会ってほしい」という意味だったのだろうか? 俺には判断がつかない。

 まあ、仮に頼まれたところで叶えてやる気はない。俺に会ってもいいことなど何一つないだろうから。

 ――と、いう旨のことを告げると、新人はすごい顔をして俺を見ていたし、Xに至っては手錠で繋がれた両手で顔を覆っていた。

 本当に失礼だな、お前ら。

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