26:すやすや

「我々の主食は夢なんですがね」

「はあ」

「お客さん、夢ってわかります? 寝ている時に見るアレのことなんですけど」

「それは、わかっている、つもりです。多分」

 本当か、と問いただしたくなる、どうにもあやふやなXの返事。

 まあ、「夢」って単語からイメージされる意味はいくつかあるからな。Xが予防線を張るのはわからなくもない。ただ、今回に限っては「眠っている間に何かを見聞きする現象」のことを指すようだ。

 ディスプレイ越しのXの視界に映るのは、籐の椅子に腰かけた、奇妙な生物だ。熊のような体格で、頭が小さく鼻の長い、まだら模様をした毛むくじゃらの獣。夢を食べるって言うからには、もしかすると『こちら側』でいうところの「獏」なのかもしれない。もちろん、「かもしれない」という但し書きが取れることはないが。

 その、不可思議な獣が、妙に人間臭く肩を竦めてみせる。

「お客さんはよく寝てます? 夢って見ます?」

「よく眠れているとは思います」

 そういや、Xは当初リーダーに「何か特技はある?」って聞かれた時に、真顔でこう答えたんだったな。

「どこでも、深く眠れます。あと、起きると決めた、時間に、起きられます」

 それは日常生活の上ではかなり有用な特技だ。『異界』を観測する能力には一ミリも関係無いが。ついでに今のXは『潜航』以外は拘置所にいる時と同じスケジュールで動いているはずだから、睡眠の時間も元よりきっちり定まっている。つまり、その特技が生かされるタイミングはほぼ皆無ということだ。

 とはいえ、深く眠ることが得意なのは間違いないようで、一拍置いて答える。

「しかし、夢は、ほとんど見ませんね。見たとして、覚えていないだけかもしれませんが」

「なるほどなるほど。いえ、いいのですよ、日々しっかり眠ってくださるだけで十二分というものです。お客さんはとてもいいお客さんのようだ」

「……そうでない、客もいるのですか」

「ええ、もちろん。そういう、困ったお客さんを相手にするためにこの店があるとも言いますが」

 と、獣のどこか金属じみた光沢を帯びた爪があちこちに向けられて、Xの視線が律儀にそれを追いかける。

 うっすらと煙をたなびかせる香炉、絵に描いたようなナイトキャップ、絹のような光沢のある布で作られた枕、ぐるぐるとした紋様が織り込まれた布団、小人サイズと思しき寝台もある。

「近頃、眠りが浅いどころか、ほんのちょっとの睡眠で寝た気になってるお客さんが多いこと多いこと。芳醇な夢はよい眠りから。眠らないお客さんが増えてしまっては、我々はすぐに飢えてしまいます」

「だから、『眠り』に関わるものを取り扱っている、というわけですか」

「その通りです。こちらは我々夢喰いの技術の粋を尽くした品でしてね、どれもこれも、快適な眠りをお約束いたしますよ。眠れぬ長い夜も、これさえあればすやすやです。と言っても、今のところお客さんには必要なさそうですが」

「そう、ですね」

 Xが頷いたのを見て、獣は笑ったようだった。人間のそれとはまるで違う顔が奇妙に歪められたところから、笑ったのだろう。きっと。

「ああ、しかしお客さんはよく眠れているかもしれませんが、もしかすると、身近にいるんじゃないですか、睡眠が足りていないお友達が」

「お友達、ですか……」

 その言葉に首を傾げたのがディスプレイの動きから察せられた。今のXに友達と呼べるような奴がいるとは思えないし、X自身もそう思っているに違いなかった。

 それでも、Xは改めて獣を真っ直ぐに見つめて、言うのだ。

「お友達、かどうかは、わかりませんが。睡眠が足りていないと思われる方は、何人かいますね」

 その「何人か」というのが俺たち研究員たちを示しているのは、言われるまでもなくはっきりしていた。規則正しすぎる生活を送るXから見たら、俺たちの生活は相当ぐだぐだに見えているに違いない。朝と夜が逆転する、とまでは行かなくとも、朝やたら早いと思えば、日を跨いで仕事をしていることもある。仕事が忙しい時には当然睡眠を削ることになるし、そういう時に限ってなかなか寝付けなかったりするもんだ。

「睡眠が、大切なのは、私も、よく知っています、ので。特におすすめの品物とか、ありますか?」

 持ち帰れるわけではないので、冷やかしになってしまいますが、と、Xは申し訳なさそうに付け加える。現在の異界潜航装置は、あくまで意識体を送り込むだけであり、『異界』のものを持ち帰ることは不可能だ。俺たちができることは、Xの目と耳を通して『異界』を観測する、それだけ。

 それでも、店主の獣はXの言葉に嫌な顔一つせず――いや、獣の顔から表情を判断できていないだけで、嫌な顔だったのかもしれないが――、明るい声で言う。

「なーに、ご紹介いただくだけでも十分ですよ。では、こちらはいかがですかね」

 そう言って、獣の爪が指したのは、天井からぶら下がるモビールだった。きらきらと煌めく素材で作られた、奇妙な形のモビール。揺れるたびに、きらきらと光が零れ落ちて消えていくのが、何とも幻想的だ。

「眠れない夜のお供です。お部屋を暗くして、この煌めきを見つめていると、いつの間にか眠りに誘われるという寸法です」

「これは、……何で、できているのですか」

「ああ、こちらは妖精の羽ですよ。妖精の羽からは眠りの粉が取れますが、これは羽をそのまま加工しているんです。ひとつ揺れるたびに眠りへ誘う光が零れるつくりですね」

「妖精の、羽……」

 妖精なんて『こちら側』では架空の存在って扱いだからな。だが、Xが立っているのは『異界』であって、それが実在していたところで何も不思議ではない。

 ディスプレイの中で、モビールが揺れる。妖精の羽が、揺れる。光を零しながら、ゆらゆらと。

 ――ゆらゆらしているのは、何も画面の中のモビールだけじゃない、と一拍遅れて気づく。

「おい」

「はわっ」

 少し強く隣のリーダーの背を叩けば、びくっ、と体を震わせてこっちを見た。その目は明らかに堪えきれない眠気に満ちていて、今にも瞼が落ちてしまいそうだ。

「寝るなよ、一応仕事中だ」

「見てたらこっちの方が眠くなっちゃって……」

 そりゃそうだ、昨晩終電ぎりぎりまで居残って、上に提出する資料をまとめてたんだから。俺たちの仕事は観測だけではない、というか実際のところ観測した結果をまとめる作業の方が時間としては長い。

 あと、散々つつかないと絶対に資料を出してこない上にその資料がずたぼろなエンジニアはどうにかならんか? ならんのだろうな、その話題をすると世界の終わりみたいな顔で「アタシに人に読める資料作らせるのは諦めて」って言ってたもんな。難儀な奴だよ、いちいち清書させられる新人の気持ちにもなれ。

 とにかく、どたばたとした夜を過ごした反動か、また船を漕ぎ始めたリーダーの後ろ頭を軽く小突く。

「今日はきちんと寝ろよ。あの毛むくじゃらに美味い夢でも食わせてやれ」

「ええ、そうするわ」

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