25:報酬

 率直に言ってしまえば、俺は「生きた探査機」の運用には反対だった。

 とはいえ、エンジニアが作ってきた異界潜航装置がそういうもので、奴曰く今のところはこれ以上に「マシな」方策がないらしい、となれば、それ以上の反対は無意味だということもわかりきっていた。

 何せ、俺たちは手段を選んでいる場合ではないのだ。こんな胡散臭い研究、国からの援助がなければ立ち行かず、そのためには結果を出す必要がある。我らがリーダー様はのほほんとしたものだが、実際のところ俺たち異界研究者は常に崖っぷちに立たされていると言っていい。国の上役と密接に関係を築いていたらしい親父たちが消えてしまった今は、尚更。

 だが、リーダーとして据えたあいつは俺の想像以上の働きを見せている。本人は俺の方がリーダーに向いてる、なんて言うがとんでもない。あいつが上に立ってなきゃ、このプロジェクトがここまで続くことはあり得ない、と言い切ることができる。

 そう、あいつの才覚にはいつだって驚かされてきた。

 頭は切れるし、知識だって人一倍。俺から見たら妹弟子に当たるが、異界研究者としての格は――あいつは頑として認めないだろうが――断然上だ。ただ、俺が何よりも一目置いているのは、実のところそういう「研究者としての才」というよりは、あいつの運の良さ、もしくはより良いものを探り当てる無自覚な嗅覚、みたいなもの。

 例えば、別の研究者についていこうとしたドクターを引き留めた時もそうだし、ほとんど話の通じる状態でなかったエンジニアを反対の声を無視して拾ってきた時もそう。研究者としては駆け出しだった新人の才能を見出し、当初から引き抜く気でいたのもそう。

 そして、Xを「選んだ」ところにも、その才覚が遺憾なく発揮されている。

 俺はXという男個人について思うことは特にない。ただ「生きた探査機」としてのあの男は、極めて優秀だと認めざるを得ない。

 国に「生きた探査機」にできるような人間はいないかと掛け合ったのも、死刑囚を使う許可を得たのもリーダーなのだが、もちろんあいつだって好き好んで人体実験に臨んでいるわけじゃない。本当にこれでいいのかと思い悩んでいたのも知っている。それでもやめようとしなかった、というところがあいつのあいつらしいところでもある。異界研究者ってやつは、いつだって、頭のネジが多かれ少なかれ緩んでるもんだ。

 ともあれ、あいつが最初の異界潜航サンプルとして選んできたのが、Xだった。

 名前はわからないし、経歴も不明。知る必要がない、下手に感情移入してもお互いのためによくないだろうから、とリーダーは言った。つまり、それらが選択の理由じゃないということだ。

「じゃあ、何を見て選んだんだ?」

 俺の問いに、あいつはあっけらかんと答えたものだ。

「資料の、素行についての欄。全く話が通じないのも困るでしょう?」

 後で詳しく聞いてみると、その資料ってやつはろくな内容が書いていなかった上に、あいつは本当に素行の欄しか見ていなかったらしい。

「候補の中でも、問題行動が全く無いって書かれてるのが目に付いて。……そのくらいしか、決め手にできるようなものがなかったの」

 それにしたって、思い切ったものだと溜息まじりに思ったものだ。

 そうやって選ばれたXは、今となってはこのプロジェクトになくてはならない要素の一つとなっている。本来は『異界』で何が起こっても問題ないように、として選ばれた「使い捨て」のはずの駒。だが、奴は自分の役割を理解した上で極めて従順に振舞い、想像の数倍はよく働き、必ず生還してくる。適当な理由で選ばれたとは思えない、それこそ「生きた探査機」のために存在しているかのような男。そいつを一発目で引き当てるあいつの運はまさしく「才覚」と呼ぶべきものだ。

 だから、わからなくはないのだ。

「ねえ、Xは何を喜ぶと思うかしら」

「どういうことだ?」

「彼はいつも頑張ってくれてる。でも、私たちは彼の働きに報いているとは言えないと思って。何かしら報酬があってもいいと思っているのだけど」

 ――こいつが、そんなことを言い出すのは。

 俺は腹の底から溜息をつく。そして、コンビニ弁当についてきた醤油の小袋と格闘している我らがリーダー様の、やたらと綺麗な顔を見る。ドクターは表情も相まって見るからに近寄りがたい雰囲気の美形だが、こいつは綺麗だが柔らかな面構えをしており、それもまたこいつの「とっつきやすさ」に一役買っていることを、俺はよくよく知っている。相手の警戒を解くことにかけて、こいつの上に立つ者はいない。

 ただ、言動までふわふわなのは、ちょっとどうかとは思うわけで。

「元よりそういう契約だろ。ついでに、お前の提案を突っぱねたのはXの方だ」

「それはそうなんだけど……」

 当初、こいつはXにいくつかの提案をしていた。どれだけ働いたところで、刑を取り消すことも、執行までの期日を延ばすことも、できない。死をもってしか償いようがないほどの罪を犯した以上、俺たちにどれだけ貢献したところで今更覆りやしない。そりゃそうだ。

 だから、せめて自分たちにできる範囲の便宜は図る、と。何も同情したわけじゃない、何かしらの報酬が無ければ過酷な『異界』での活動のモチベーションが無いだろうし、旨みが無いという理由でいざという時に反発されても困る、という現実的な判断だ。

 しかし、Xはぼんやりとした、何を考えているかさっぱりわからない冴えないツラで首を横に振った。

「お言葉は、嬉しいの、ですが」

 低く、呟くようでいて、よく通る声。

「特に、思いつきません」

 あの時は、俺とこいつで顔を見合せたものだ。結局、拘置所の独房より少しだけ広い部屋を用意して、日々の食事に色を付けたが、その程度。上からの指示もあって、『潜航』以外は拘置所と何一つ変わらない生活。それでもXは文句ひとつ言わず、不服の表情ひとつ浮かべず、「生きた探査機」としての貢献を続けている。

 これに関しては、俺はもはや「そういう奴」だと思うことにしている。不可解なのは変わらないが、本当にそういう奴としか言いようがない。強いて言えば、「働けること」それ自体が報酬になるような人種ってことなのかもしれない。『潜航』が中止になると目に見えて落胆するのだから、そのワーカホリックぶりは折り紙付きだ。

 だから、問題はXというよりもこいつの方にあるのかもしれない、と最近は思い始めている。

「お前は、少しばかりXに肩入れしすぎじゃないか」

「そうかしら」

「確かにあれは異界潜航サンプルとしてはとびきり優秀だ。規格外と言ってもいい。だが、『いつか失われるもの』だってのも、忘れるなよ」

 どれだけ優秀であったところで、俺たちはXを使い続けることはできない。『異界』で死を迎えるにせよ、期日が来るにせよ。

 我らがリーダー様は、俺の言葉に苦笑いを浮かべてみせる。

「わかってる、つもりなのだけどね。難しいわね」

 まあ、わからなくはないのだ。Xを見てりゃ、こいつじゃなくてもそういう気持ちにはなる。だが、入れ込みすぎて、Xがいなくなった後に困るのは他の誰でもない、こいつ自身だ。だから俺は釘を刺していく。こいつには、これからも――次の異界潜航サンプルを探す段になっても、俺たちの上に立っていてもらわねばならんから。

 そいつの憂いを帯びた顔が、うつむいて。その視線の先には、既に見る影もなくぐちゃぐちゃになってしまった、しかしなおも開くことのない醤油の小袋。

「開けるか?」

「ありがとう。おかしいな、どこからでも切れるって書いてあるのに」

 お前が不器用すぎるんだよ。その言葉はかろうじて飲み込んだ。

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