30:握手

 全くもって損な役回りだ。ついつい溜息をつかずにはいられない。

「大丈夫ですか?」

 こちらを伺う監査官の言葉に「まあな」と肩を竦める。

「薬の効きが悪かったのか、今日は随分落ち着くまでに長かったな。全く、付き合わされる身にもなれって話だ」

「そう言うなら、お前も取り押さえるの手伝ってくれてよかったんだぞ」

「それは俺の役目じゃない。俺が怪我したら誰が他の連中の面倒を見るんだ?」

 ドクターは背筋を伸ばしてきっぱりはっきりと答えた。こいつ、本当にいい性格をしていやがる。確かにドクターが暴れるエンジニアを取り押さえられるかといえば絶対に無理だから、言っていることは間違っちゃいないんだが、ものには言い方ってものがあるだろう。

 もう一度、深々と溜息を吐いたところで、視線を感じてそちらを振り向く。

 寝台に腰かけた姿勢のXが、妙に落ち着きのない様子でこちらをじっと見ていたのだ。そういえば、リーダーもばたばたしていて、Xに次の行動の指示をしていなかったのだな。そのリーダーは今、ドクターと交代でエンジニアの様子を見に行っている。すぐに戻ってこないところを見るに、目覚めたエンジニアと何か話をしているのかもしれない。

 リーダーがここにいない以上、俺がXに独房に戻るよう指示してもいいのだが、何とはなしに、そわそわした様子のXが気になって声をかける。

「発言していいぞ。どうした」

「……怪我、大丈夫ですか」

 こいつ、気づいてやがるのか。思わず舌打ちが出る。怪我、という言葉にドクターが「何だと」と眉を上げたのが視界の隅に見えてしまう。

「どうして黙ってるんだ、さっさと診せろ。どこだ」

 ずいずいとドクターが迫ってくる。だから言うのが嫌だったんだ、面倒くさいことになるのが目に見えているのだから。

「X、余計なこと……、いや、発言許可したの俺だな」

 発言を許可した以上は何を言われてもいい覚悟が必要だったな。ぼんやりした印象に反してめちゃくちゃ観察力に優れている奴だ、ということは『異界』における言動でよくよく理解していたはずなのだが、『こちら側』では自分から発言をしようとしないこともあって、どうしても意識から抜け落ちがちだ。

 そう、『異界』でできていることが、『こちら側』でできない道理はないのだから――俺たちが「観測」されているという可能性は、常に忘れてはならない。

「軽い擦り傷だ。大したことじゃない」

 と、ドクターと、あと心配そうな顔を見せるXに向けて断ったうえで。

「あと、エンジニアが戻ってきても、黙っててくれ」

 そう、付け加える。

 うるさいドクターもこればかりは事情をよくよく理解しているだけに素直に頷いてくれたが、Xが不思議そうに首を傾げる。まあ、Xはそもそも許可がないと喋らないのだから、口止めの必要が無いといえばそうだが、念のためってやつだ。

「エンジニア、たまにああやって、我を失って暴れることがあるんだよ。お前は初めて見たんだっけな」

「はい。驚き、ました」

 意味不明なことを喚いて暴れるエンジニアを取り押さえて医務室に運び込むまで、こいつ、ずっとおろおろしてたからな。自分から動いてはいけない、という与えられた制約と、目の前で暴れ出したエンジニアとそれを取り押さえようと格闘する俺たちを放っておけない、という良心とが相克していたとみえる。Xは基本的にはごくごく真面目で人のいい男だ。殺人鬼という肩書きを忘れかけるほどに。

「彼は、何が……、あったの、ですか」

「あー、あいつには、俺たちの目には見えない『何か』が見えててな。時折、その『何か』に襲われる錯覚に陥るんだと。詳しくは本人に聞いてほしいんだが」

 何せエンジニアの「あれ」はごく個人的な事情だ。俺たちは本人から聞かされてある程度は把握しているが、本人を通さずにXに話すのは違うだろうとも思うから。

「とにかく、あいつも別に好きでやってるわけじゃないし、俺たちに迷惑かけてるって、内心めちゃくちゃ気にしてんだよ。俺たちはその可能性も織り込んで付き合ってんだから、別に気にするこたないんだけどな」

 ただ、あいつが気に病むのは当然だとも思う。いくら望んでそうしているわけじゃないとはいえ、自分が周りの人間に迷惑をかけていると思えば、それだけでしんどいもんだ。どれだけ周囲から許されていても、自分で自分が許せない。そういうものだというのは、俺にだってわかる。俺が同じ立場なら同じように思っていただろう。

 だから、きっと、自分のせいで俺が怪我をしたなんて聞かされたら、元より落ち込んでるところに追い打ちをかけるようなもので、いつもの姦しい声もぴたりと止んでしまうに違いない。エンジニアは、あれでなかなかに繊細な男なのだ。故にこそそれだけは避けたい。

「そんなわけで、エンジニアには言うなよ。いいな」

「はい」

 こくりとXが頷く。物わかりがよくていいことだ。

 ただ、それだけで終わりではなかったらしく、Xは改めて俺を見上げてくる。

「もう一つ、よろしいですか」

「いいぞ、好きに喋れ」

 そもそも別に俺たちはXに発言を禁じているわけではないのだ。自分から喋らない、というのはあくまでXが自分に課している制約だ。お互いに余計な話をしないで済む、という点ではいい手段だとは思っているが。リーダーは何故かことあるごとにXと話をしたがるが、俺はサンプルとの対話は最低限であるべきだと思っているから。使い捨てのサンプルとの積極的な交流は、いざという時に捨てるべきはずのものを捨てられなくすることに他ならない。

 ただ、その一方で、別にXとの会話を拒む気はない。Xが話をすることを望むなら聞くのはやぶさかではない。それもまた、円滑な『潜航』のために必要な行為だろうから。結局のところ、何事もバランスということだ。

 Xは手錠で繋がれた己の両手を見つめて、それから俺に視線を戻して言った。

「可能なら、手を、触っても、よいですか」

「はあ?」

 何だそれ、という気持ちが露骨に声に出た。しかしXはまるで動じた様子もなく、真顔で淡々と続ける。

「……少しでも、問題があるなら、忘れてください」

「いや、問題は……、無いが」

 本当は、「無い」と言い切るのは嘘になる。俺たちはXへの積極的な接触を禁じられている。明確に禁じられてるというよりも、「誰も責任が取れない」というやつだ。Xは手錠こそかけられているが、この状態からでも暴力に打って出ることはまるで不可能でない、ということは『異界』でのあれこれで明らかだ。故に、必要以外の理由でXへの接触を避けているのは認める。

 ただ、気になったのだ。Xが何故そんなことを言い出したのか。

「これでいいか」

 Xの前に手を差し出す。Xは手錠をかけた両手で、俺の手を握る。Xの手は大きくはなく、指がやや太く、かつ短い。そして、ただでさえ無骨な見た目以上にごつごつとした手触りをしていた。皮が随分と厚いようだ。それだけ、己の手を使ってきたらしい、ということ。

 ほとんど無意識に、その手を握り返していた。こいつが何を考えて、そうしているのかは全くわからない。ただ、自分の手よりも遥かに大きな俺の手を握るその指先は温かくて、こいつが人並みの温度をしているのだという当たり前のことを、思い知らされた気分になる。

 こいつだって人間なのだ。俺たちと何一つ変わらない、人間。それを認めてしまうとやってられないから、「異界潜航サンプル」「生きた探査機」なんて呼んで誤魔化しているだけで。

 しばし、俺の手を握っていたXは、やがてそっと手を離した。

「ありがとうございます」

 ぺこ、と白髪交じりの頭を下げるX。俺はXの体温が残る手を握り、開いて言う。

「それで、何だったんだ?」

 一体何がしたかったんだ、と思っていると、Xがぽつりと言った。

「触れると、目で見ているよりも、多くのことが、わかります、ので」

 抑揚の薄い、言葉を選びながらの下手くそな喋り方で。

「よく、鍛えられているのですね。武道……、特に柔道、ですか」

 ぞくり、とした。確かにエンジニアを取り押さえる時に、多少はそれらしい動きをしたかもしれないが、そのちょっとした挙動と手を握っただけで言い切れるものなのか。こいつの異常な観察力の一端を垣間見せられて、背筋がぞわぞわする。

 頷くことも、首を横に振ることもできないままでいる俺に対して、Xは少しだけ――ほんの少しだけ、口の端を歪めたように、見えた。

「もし、このような立場でなければ、手合わせ願いたかったです」

「俺は嫌だ」

 だってこいつの格闘、明らかに実践にして実戦寄りなんだ、趣味で柔道やってる俺が敵うわけないだろうよ。

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