23:静かな毒
「どうぞ、座ってください」
「なーに、改まっちゃって」
「一応これは改まった場なので」
「ほんと、どいつもこいつも真面目よねえ」
言いながら、用意された椅子に座る。机越しに座っているのは、いつものことながら不安な顔色の監査官だ。ドクターからいい胃薬紹介してもらったって言ってたけど、果たして効いてるのやら。
アタシらプロジェクトのメンバーは、定期的に監査官との面談がある。普段はほとんどプロジェクトのメンバー同様の扱いの監査官だが、「監査官」の呼び名の通り所属はお上の側であって、アタシらがきちんと仕事してるか、そして妙なことを企んでないかを監視するのが本来のお役目だ。
特にアタシに対しては後者の意味合いが強いだろう。他愛ない質疑応答の間にも、監査官の目がそう言ってるのは、よくよくわかっちゃいる。
そりゃそうなのよね。例えば、他のメンバーが許可のない『異界』行きを企んだところで、実行に移すのは難しい。でもアタシは容易いとまでは言わなくとも不可能じゃないわけで。何ならそれらしい前科付きだ、プロジェクトに参加する前のことだけども。そんなわけで、監査官はアタシのことを他の誰より警戒してしかるべきで、しっかり仕事をしている、と評価されていい。お上からきちんといい給料もらってるのかしら、他人事ながら不安になっちゃう。
監査官は、手元の書類を落ち着きなくめくりながら質問してくる。
「近頃、体調はどうですか」
この場合の「体調」っていうのは、アタシの場合「頭の調子」という意味合いが大きく含まれる。
「ぼちぼち。良好とは言い難いけど、悪化もしてないと思うわよ、あくまでアタシの主観だから他の意見は欲しいとこだけど」
「いえ。僕から見ても、そう大きな変化はないと思いますので。上司にもそう報告しておきます」
「ならよかったわ」
何せアタシの主観はあてにならない。突然頭の中をめちゃくちゃにかき回されることもあれば、アタシは冷静だと思っていても、気づけばまるで頓珍漢なことをやらかしていることもあるのだ、アタシ自身よりいつもアタシを見てるやつの方がよっぽど信頼がおける。
「正直、『異界』の知識を頭の中に流し込まれている状態で、話が通じる方が驚きなんですからね」
「そういうもんなんだ?」
「あなたと同一の症例は記録にないですが、いくつか、似たような話は。そもそも『異界』に行って帰ってきたと言われている人々は、大概が気が触れてしまっているか……、その時は話ができても、やがて狂気に侵されて廃人になってしまう。『こちら側』の人間は、ほとんどが『異界』に耐えられるようにはできていない、のだと思っています」
アタシは現実に『異界』に行ったことはない。試したことはあるけれど、それは未遂に終わっている。ただ、ひょんなきっかけで『異界』にまつわる知識を叩き込まれてしまった。今もなおそれは続いていて、常に頭の一部が『異界』に接続しているようなもの、なのだと思っている。
「『異界』とは、まるで、毒のようですよ。静かに、ゆっくりと、人の正気を奪う毒」
「まあ、そうかもねえ。遅効性で、かつ依存性も高い毒よ。異界研究者って呼ばれる連中は、その毒を好きで摂取したがる連中ってことだけど」
アタシは特殊例中の特殊例だけど、『異界』に魅入られた連中ってのは、結局のところアタシを狂わせた毒を飲むことを厭わない奴らだ。いや、既に身の内に毒を飼ってると言った方がいいのかもしれない。遅かれ早かれ、『異界』に魅入られている時点でアタシと同じような道を辿るに違いないのだから。
――その一方で、アタシのようになってほしくない、とは、思うけどね。
そう祈る程度には、アタシはこのプロジェクトの面々を気に入っているし、もはや人としてろくに使い物にならないアタシを拾い上げてくれた恩義もある。そういうことだ。
アタシは今こそ監査官曰く「話が通じる」が、それだってアタシと周囲の努力の賜物でしかないし、それがずっと続く保証はこれっぽっちもない。だからこそ、だからこそ、祈ることくらいは許してほしい。
「……そう考えてみると、Xは……、相当特異ではありますね」
ぽつり、と。監査官の唇から零れ落ちる言葉。
X。異界潜航サンプル。生きた探査機。
本来は「使い捨て」を想定されていたはずの『異界』への『潜航』というお役目を、今もなお毎日遂行しながら顔色一つ変えない、いっそアタシよりよっぽど「異常」な鋼のメンタルの持ち主。
「確かに、慣れもあるかもだけど、最初から全然堪えてる感じなかったもんなあ。あいつの図太さはマジでアタシの理解の範疇も超えてるわよ」
もしくは、……一つだけ、「図太い」だけでは説明しきれない部分を補強する説を、アタシは持っている。
――あいつは、最初から『異界』を知っていたのかもしれない。
Xの片目は見えていない。それはドクターも保証しているし、アタシだってXの視覚に合わせて異界潜航装置を調整しているからよく知っている。だから、今のXはアタシのように常に『異界』の事物が重なって見えていたりするわけじゃないことも、知っている。
ただ、あいつの見えない方の目は妙な力を秘めているらしい。『異界』において一部の連中が欲し、一部の連中が破壊をもくろむレベルの、不思議な何か。
いや、内心ちょっぴり気づいてはいたのだ、アタシの目に映るあれこれは、不思議とXを避けて通る。要するに、Xには『異界』から漏れだす連中が嫌う何かがあるのだ。その「何か」こそがXがどうしても手放せないと言い張る片目ではないかと、アタシは考えている。
とはいえ、その辺りはどこまでもXが語らない以上、アタシの想像、もしくは妄想に過ぎない。もしくは、本人に聞かなくとも、アタシの頭に――正確には、アタシの頭と接続している
だから、監査官にもこの推測は語らない。正確に「そう」と言えること以外は、それこそ狂気に満ちた戯言と何も変わらないのだから。
ただ、ひとつ、冗談交じりに言えることがあるとすれば。
「既に狂ってる奴は、もう狂いようがない、とは言うけどね」
「……それは、Xが、ですか」
露骨に眉を寄せる監査官の言葉には軽く肩を竦めて返す。
だってほら、アタシはXの経歴を知らない――ってことに、なってるから。実際は調べちゃってるんだけどね。だって、「死刑宣告を受けた、片手の指で足らない人数を殺した殺人鬼」なんて、ここ数年に限ればそれこそ片手の指で収まるんだから、特定にはまるで苦労しない。
その上でアタシはXという奴に興味がある。Xの生真面目さやワーカホリックぶり、他者に対する親切さ、度を越した奉仕の精神は語られている経歴に相応しくて、だからこそ、どうして致命的なまでに足を踏み外してしまったのか。時折『異界』でも覗かせる「己の手を汚す覚悟」がどこから出てきているのか。
それこそが、『異界』の毒よりもずっとXを深く深く侵している、静かな毒なのではないか、とも思うのだ。もちろんこれだって、妄想に過ぎないわけだけども。
監査官は溜息をつきながら言う。
「Xについての話は、貴重な意見として受け取っておきます。プロジェクトの遂行に関わる不安要素は把握しておくべきですから」
「真面目ねえ。そんなんだから胃ぃやられるのよ、あんた」
「真面目、っていうなら、研究所に住み込んで、昼夜、確実な『潜航』のための調整を続けるあなたも相当ですからね」
……まあ、そりゃ否定はできないわね。
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