第3話 帝国の使者
神殿の大広間に駆けつけてみれば、アイリーンの心配は的中していた。
飛行機は湖に着水しており、大広間の湖面の上にせり出した部分にどんどん近づいてくる。
その様子を、騒ぎを聞きつけて集まってきた神官や女官、そして警備隊たちと女王である姉のエルヴィラが一緒に見つめていた。
「姉さん、無事!?」
アイリーンの声に、はっとエルヴィラが振り返る。
「どうしてここへ来たの。あなたは逃げなさい」
長い藍色の髪の毛に藍色の瞳。顔立ちはアイリーンによく似てはいるが、エルヴィラはアイリーンとは違ってちゃんと成人女性の姿をしている。白い女王の装束に身を包み、額と胸元には女王の印でもある飾りが輝いて、大変優雅な外見だ。
エルヴィラにはつがいの男性がいるが、女王は独身の娘が務めることになっているため、結婚はずっとお預けになっている。
アイリーンがさっと視線を走らせると、警備隊の中に姉のつがいであるノエルを見つけることができた。腰に佩いている剣に手をかけている。
「それを言うなら姉さんこそ逃げなくちゃ。なんなの、あいつら」
「私はだめよ……女王ですもの。ここに用がある人間は私に会いに来るのよ、例外なく」
エルヴィラが女王然として答える。
やがて、どん、という軽い衝突音が響き、湖にせり出したテラスに大きな飛行機が横付けされた。
姉と手と手を取り合い、アイリーンは飛行機を見つめていた。機体の横に並んだ窓から、内側に大勢の人たちがいるのがわかる。ノエルを含む警備隊員たちが一斉にエルヴィラとアイリーンを庇うように前に立ち、剣を抜く。
飛行機の重そうな扉が開き、わっと黒づくめの兵士たちが小銃を手に飛び出してきて一列に並ぶと、自分たちに向けて一斉に銃を構えた。
アイリーンはとっさにエルヴィラの体を押しやり、背中に庇った。
痛いほど空気が張り詰める。
その張り詰めた空気の中、飛行機から最後に一人だけ、背の高い男性が姿を現した。
兵士たちとよく似たかっこうをしているが、黒を基調とした軍服には豪華な金糸の装飾がついているし、一人だけ長いマントを翻している。そして何よりすぐ脇に小銃を構えた兵士が付き従っているところを見ると、彼が「一番偉い人」であることは間違いなかった。
癖のない短い黒髪は額の上に撫でつけられているから、顔がはっきりと見える。整った顔立ちには甘さがなく、精悍という言葉がふさわしい。切れ長の瞳は黒。背が高く、胸板も厚く、武人という風格を漂わせている。
癖のない黒髪に切れ長の黒い目は、山脈の東側に広がるヴァスハディア帝国の人間の特徴。つまりこいつらはヴァスハディア帝国の人間!
アイリーンは責任者の男を睨んだ。真正面から歩いてくるその男も、アイリーンの視線の鋭さに気づいたようだ。不意に、面白そうに口角をわずかに上げる。
――ばかにされた!
カッとなり、アイリーンは思わず近くにいた警備隊の腰に下がっている短剣を引き抜くと走り出した。
背後で警備隊が慌てる気配がする。
「やめて、アイリーン!」
姉の声もする。
目の前の兵士がアイリーンに照準を合わせ引き金に指をかけるのが見えた。だがアイリーンはまっすぐ、真ん中の偉そうな男を睨んでいた。
あいつは気に食わない!
――よくも、神聖な湖を汚したな!
短剣を振り上げる。男は護衛のために飛び出そうとする兵士たちを手で制し、アイリーンに向かってニヤリと笑った。正面からかかって来いというわけだ。
――ムッカつく!!
次の瞬間、アイリーンは見事に床にひっくり返っていた。
「いったあ……」
固い床でしたたかに背中や腰を打ち付ける。何が起きたのかわからないまま、アイリーンは自分を見下ろす人影に目を向けた。
「威勢がいいな、小僧」
そこには例の偉そうな男が立っていた。
護衛をどかして前をがら空きにするなんてどんなバカ者なんだと思ったが、違ったようだ。
この男に腕をつかまれたところまでは覚えている。まさか得物を握った腕をつかまれるとは思わず、ぎょっとしたところを足払いされた。そのあとは世界がぐるんと回って、床に伸びていた次第。
はっとなって飛び起きようとしたが、男の大きな足にぐっと腕を踏まれる。痛みに顔をしかめると、アイリーンの腕を踏んでいた足がどいて、つま先がその手に握られていた短剣を蹴り飛ばした。踏まれた痛みで力が緩んだのがバレていた。
「勘違いするな、俺はおまえたちを皆殺しにするために来たわけではない。いきなり飛び掛かられるのは心外だ」
「いきなり神聖な湖に降りたり武器を持って神殿に踏み込んできたりするくせに、何を言うんだ!」
見下ろされながら偉そうに言われ、アイリーンはひっくり返ったまま叫び返す。
「話し合いを求めているならちゃんと頭下げて表から入って来るべきだ! 礼儀知らずめ!」
「……我が軍の飛行艇が降りられる場所が、ほかになかった。畑に降りてもよかったが、機体を傷つけたくなかったのでな。この建物も、横付けするのにちょうどいいと選んだだけなのだが、そうか……神殿か」
ふむ、と呟き、男が屈みこんでアイリーンの腕を引っ張る。
ぎくりとなった時には助け起こされていた。
「……おまえ、ずいぶん細いな。まるで女みたいだ」
意外そうに呟く男の腕から自分の腕を引き抜き、アイリーンは男を睨みながらじりじりと後ずさって距離を取った。
よく見れば男の背後にいる兵士たちはまだ、アイリーンに銃口を向けている。
――何者だ、こいつ……。
警戒心を解かないアイリーンに気づき、男が手を挙げて兵士たちに何か合図した。
「しかし、殿下」
「よい」
誰かの問いかけに男が答えると、兵士たちが一斉に銃を下ろす。
「私はヴァスハディア帝国の軍で将軍を務めている、ジェラルド・イル・バステラール。我が帝国皇帝より竜の国への親書を持参した。女王猊下へのお目通りを願いたい」
男の低くよく通る声が神殿の中に響き渡る。
「……私がこの竜の国の女王、エルヴィラです」
ややあって、エルヴィラがそう言いながら前に歩み出る。本人があっさり出ていくとは思わなかったのか、神殿の警備隊たちに小さく動揺が広がるのが見えた。
「何の用でいらっしゃったのかはわかりませんが、今すぐお引き取りを、と申し上げても聞き入れていただけないのでしょう。ですがせめて、後ろに控えている者たちを下がらせてください。ここは私たちにとって神聖な場所なのです。竜の国の人ですら、限られた人しか立ち入ることができないのですよ」
「それでしたら、私のほうからも。あなたのそばに控えている者たちに、剣をしまうようにお伝え願えますか」
「いいでしょう。あなたには供を一人だけ許します。親書とやらを見せていただきましょう」
エルヴィラが凛と受け答えする。美しくて威厳がある、人々から尊敬される女王の姿がそこにあった。だが、姉の指先が震えていることに、アイリーンは気づいた。
こちらへ、と案内するエルヴィラに、当然のようにつがいであるノエルが付き従う。
国の代表同士の話し合いに、女王の妹とはいえ関係者とは言えないアイリーンが同席することはできない。
銃を下したもののこちらを睨んでいるヴァスハディア帝国の兵士たちにちらりと視線をやると、アイリーンはそのまま警備隊たちに促されて神殿の広間をあとにした。
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