第三章 将軍の思惑
第11話 将軍の謀
「異国から連れてきた娘は、私に挨拶もしないものなの?」
私室にて、アイリーンにつけた使用人から彼女の様子を聞いてきたジェラルドのもとに、この屋敷の「真の主」たる母、コンスタンツェが訪れる。
「ただいま入浴中だそうですので」
「うちに来ていきなり風呂!?」
ジェラルドの報告に、コンスタンツェが目を吊り上げる。
皇帝の何番目だかの側妃で、男子を生んだ報酬として屋敷を与えられた。宮殿から追い出されるあたり、皇帝の寵愛ではなく気まぐれで相手を求められ身ごもったということがよくわかる。それでも母には側妃、自分には皇子としての地位を認めてくれたのだから、父たる皇帝には感謝するべきなのだろう。
「まあ、遠くから連れて来ましたのでね。母上も、埃だらけの娘が屋敷の中をうろつくのは気に入らないでしょう?」
「それは、そうだけれど」
「明日の朝にはここを出ます。母上が相手をするまでもありませんよ。それに……とても賑やかな娘です。母上の持病の頭痛が悪化してもいけませんし」
「賑やか?」
途端に母がいやそうな顔をした。コンスタンツェはうるさいとか落ち着きがないとかいったものが苦手なのだ。片頭痛云々より、自分のペースが保てないからである。
「それでも礼儀でしょうに」
「母上の健康のためですから」
ぶつぶつ言う屋敷の女主人の母にそう言えば、
「そういえばジェラルド、ヴァイス公爵閣下のレティシア様とお会いする話はどうなったの? よい縁談ではないですか。なぜお受けすると即答しないの」
なぜかいきなり嫁取りの話を振られた。見ず知らずの娘を招きながら、見合い話を宙ぶらりんにしているジェラルドに腹が立っているのだろう。
「ヴァイス公爵の大切なご令嬢に一度もお会いせず話を受けるのは、ヴァイス公爵に対してもレティシア嬢に対しても失礼だと思うからですよ。結婚を申し込むなら私の方から直接、レティシア嬢に申し上げたい。……私としてもレティシア嬢にはお会いしたいのですが、なかなか都合がつかず」
何しろ相手は今をときめく宰相のご令嬢だ。社交界での約束が立て込んでいる。加えてジェラルドも軍務で国内をあちこち移動するため、見合いの話が持ち込まれたにもかかわらず実際に顔を合わせることができていない。
もっともジェラルドは意図してレティシアを避けていた。
ヴァイス公爵は皇帝の腹心だ。レティシアをあてがわれるということは、首輪をつけられ死ぬまで忠犬として働かされるということ。
忠犬のフリはいい。だが首輪をつけられるのだけは断固拒否したい。
ジェラルドが忠義を尽くすのはこの国であり、そこに住む人々に対してであり、決して皇帝ではないからだ。なぜ自分を嫌っている皇帝に忠義を尽くす必要がある? おとなしくしているのは、「敵に回すと面倒だから」でしかない。
「レティシア嬢との縁談がまとまれば、我が家も安泰だわ」
特に強力な後ろ盾がないコンスタンツェは、ヴァイス公爵家とのつながりを欲しがっている。ヴァイス公爵としても、ジェラルドを掌中に収めれば皇帝に恩を売れるので願ったり叶ったりだろう。皇帝もジェラルドが歯向かわないようにしたい。皇帝、ヴァイス公爵、母、三者に利益がある縁談だ。貴族の娘であるレティシアの気持ちは無視されるだろうから、これは自分が頷けば動き出す縁談。
絶対頷くものか。
まだ何か言いたそうにしている母を「仕事が残っている」と方便を繰り出して追い返し、ジェラルドは今日のできごとを反芻してみる。
優美な民族衣装に身を包んだアイリーンは、美しかった。普段のアイリーンは男の子にしか見えないが、今日のアイリーンは、体つきがすらりとしている以外は女性に見えた。十九歳と聞いているが、それよりはもう少し若い……十代半ばから後半に差し掛かる、少女のような初々しさがあった。
それに飛行艇の窓からの眺めに食いつく姿は、本当にかわいかった。何より驚いたのが、ジェラルドに対して笑いかけてくれたことだ。
皮肉っぽくニヤリとする顔なら見かけた。でも今日の笑顔は本物の笑顔だ。嬉しそうに笑っていた。
あの笑顔には衝撃を受けた。
嫌われていると思っていたから。
髪を上げ、化粧をしていると竜の国の麗しき女王エルヴィラの妹だということが、よくわかる。そのアイリーンが、あの父親に捧げられる。
皇帝一族、バステラール家に竜族の血を入れると言っていた。つまり父は竜族から捧げられた娘に子を生ませる気なのだ。
アイリーンを、父に。
そういう約束で連れてきた。そういう約束であの国の安全を保障することになっている。だが、気に入らない。
――どうするか……?
ジェラルドは考えを巡らせた。
婚姻で同盟関係を強化する。大切なのは「結婚」という結びつき。皇女たちが政略結婚させられるのはつまりそういうこと。
――確か皇帝の側に上がる娘は、身体検査があったはずだな……。
母が、側に上がる際に絶対必要だと言われて受けた検査がとても屈辱的だったとこぼしていたことを思い出す。
皇帝の側に上がる娘がほかの男の種を孕んでいないことは、絶対条件だ。……つまり、処女でないといけない。
――それなら話は簡単だ。
あとは自分がうまく立ち回れば。
ジェラルドは部屋に残ったままだった使用人に、アイリーンの夕食に甘口の発泡酒を出すように指示をした。果実の味わいが強いものなら、アイリーンが酒を飲み慣れていなくても大丈夫だろう。あの娘があまり酒に強くなければいいのだが。
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