第12話 アイリーンの波乱万丈な帝都生活二日目

 翌日、アイリーンは二日酔いでがんがんする頭を抱えながら、ヴァスハディア帝国の皇帝に謁見することになった。


「妃として上がるので、まずは身体検査がある」

「……身体検査?」


 皇帝への謁見に向かう馬車の中。昨日に引き続き、車窓から外を眺めていたアイリーンに対し、はす向かいに座るジェラルドが今日の流れを簡単に説明する。


「そうだ。そのあと、皇帝陛下と謁見になる」

「身体検査って、武器を持っているかどうか、ってこと?」


 車窓からジェラルドに視線を移して問いかけると、


「……それもあるがな」


 ジェラルドがどこか含みを持たせた答え方をする。


 ――武器以外にも調べられるってことか。


 アイリーンは再び窓の外に視線を戻して、がんがんする頭のままそんなことを考えた。

 皇帝の側に上がるのだ、絶対に安全だと判断する必要があるのだろう。だがこの検査は、妃として上がる娘全員に行うのだろうか? たとえば、この国の有力貴族の娘にも?


 ――しないよねぇ。つまり僕は侮られているというわけだ。


 皇帝の妃に、というのは帝国側からの提案だと思っていたが、案外、自分は招かれざる客なのかもしれない。……本当は「そんな提案は受け入れかねる」と言わせたかったのかも。帝国の訪問の本当の目的が、竜の国を焼き払うことだったとしたら。


 ――だとしたら、この人も僕のことを邪魔者に思ってるのかな。


 アイリーンは窓に映るジェラルドに目をやった。相変わらずすまし顔で、感情は読み取れない。

 邪魔者に思っているのなら、初対面の時のあの不遜な態度を崩さないでほしかった。優しい姿を見せられたら、……この人だけは自分を見下さないのかもしれない、なんて、期待してしまうではないか。


 ――帝国の人間が、まして将軍を名乗る人が、そんなに優しいわけないよね……。




 やがて馬車は宮殿にたどり着く。

 さすが帝国の中心部。壮麗という言葉がぴったり当てはまる、それは巨大な宮殿だった。宮殿そのものは見えているのに、塀が長くてたどり着かない。ようやく門が見えてきたと思ったら、今度は大きな庭園。そこからがまた長かった。


 やがて宮殿正面に馬車がつけられる。

 人がやってきて馬車のドアを開けてくれた。降りればいいのかと思い腰を浮かしかけたアイリーンを手で制し、先にジェラルドが降りる。そしてアイリーンに手を差し伸べた。


「……いらない」

「そう言うな。これが礼儀だ」


 そう言われたら、ジェラルドを無視して降りることもできない。アイリーンは手を差し出した。ジェラルドは手袋をしているが、布ごしに彼の体温が伝わる。自分のものとは違う、骨ばって大きな手。自分の手が小さいとも細いとも感じたことはなかったが、ジェラルドと比べたらやっぱり華奢だ。

 その手に力強く握られ、心臓が大きく跳ねる。


 ――まただ。


 また、心の中のざわざわが大きくなる。これはなんなんだろう。

 長衣の裾を反対側の手で持ち、足に引っ掛けないよう気をつける。

 地面に降りたら、手が離れる。そしてジェラルドが何事もなかったかのように歩き出す。アイリーンはジェラルドのあとを、おとなしくついていくことにした。


 それにしても、広い背中だ。体格のよさなら「クマ男」ことドルフも似たようなものだが、あいつの背中を見たところで、なんとも思わない。なのにどうして、目の前を歩く黒衣の将軍の背中から目が離せないのだろう。




 謁見というのだから皇帝に会えるのだと思っていた。ジェラルドもついてきてくれるのだと。

 だが宮殿に入ったところでアイリーンは女官に引き渡され、たどり着いたのは小さな部屋だ。中にはこれまた女官が二人。


「服を脱いでください」


 女官の一人が藪から棒にそんなことを言う。アイリーンは目が点になった。


「皇帝陛下のおそばに上がる方には全員行われている検査ですので」


 側妃は身分の高い貴族の令嬢も含まれているだろうに、全員に対してこの態度なのか? いや違うだろう。


「ねえ。あなたたち、誰に対してそういう物言いをしているの?」


 アイリーンは大きな藍色の瞳に怒りをともして、女官二人を睨んだ。


「ぼ……私は、これでも一国の姫という立場。私が異国人だから? 見た目が子どもっぽいから? あなたたちよりも私のほうが立場は上のはず」

「お言葉ではございますが、わたくしどもは誰に対しても態度を変えることはございません。わたくしどもがお仕えするのはこの国の皇帝陛下、ただお一人だからです」


 アイリーンの抗議に女官たちは動じるどころか、「取るに足りぬ存在のくせに偉そうな」と言い放つ始末。


「……」


 にらみ合いが続いた。

 このままここで口喧嘩をしても時間の無駄だろう。

 向こうは折れる気配がない。埒が明かない。検査とやらを受けるしかなさそうだ。

 気に食わないが、アイリーンのほうから折れることにした。


 ――こんな人たちに囲まれて過ごすことになるのなら、たまったもんじゃないわ。


 しかたなく装束を解いて下着姿になってやる。袖なしの、頭からかぶるゆったりとしたタイプの肌着に、紐で両側を縛るタイプの下穿き。なんとも頼りない姿。屈辱的だ。

 だが、これで武器を持っていない証明はできる。


「これでいいの?」


 下着姿になったアイリーンを、二人がぎょっとしたような顔で見つめる。凝視しているのは、アイリーンの真っ平な胸。


「あなた、本当はいくつのなの? 十一? 十二? そもそもあなたは本当に竜の国のアイリーン様なのですか?」

「私は正真正銘、竜の国のアイリーンです」


 年齢だけでなく、本人ですらないと疑われるとは。ジェラルドは見た目の報告をしていないのだろうか。


「もともとは竜の国の女王陛下がこちらにおいでになるそうでしたが、直前になって妹姫に代わったと聞いております。その妹姫の代わりにあなたが寄越されたのだとしたら、これは我が帝国や皇帝陛下への侮辱です」

「……何が言いたいの? それほど疑うようなら、ここに私を連れて来た将軍に聞いてみたらどうなの? まったくの他人を連れてきたら、あの方も罪に問われるのでは?」


 アイリーンが言い返すと、女官がぐっと言葉を飲み込んだ。アイリーンの言い分のほうが正しいと気付いたのだろう。だがアイリーンに言い負かされたことは彼女にとって屈辱的なことだったようで、顔つきがますます険しくなる。


「本当に生意気ね。自分の立場をわかっていないようだわ……こんな娘を陛下のおそばに上げるなんて」


 一人が言葉を震わせながら言う。いかにも怒りを堪えているという風情だ。


「……まあ、いいわ。私たちはこの娘の体が健康かを調べることが役目。すべて脱いでください。すべてですよ」


 女官が言う。


「すべて?」

「そう。裸になっていただきたいのです」


 アイリーンは眉をひそめた。

 意味がわからない。

 だが恥じらっているとさらにナメられそうなので、アイリーンは気前よくシャツも下穿きも脱いで素っ裸になり、女官たちを正面から見据えた。絶対に視線を自分の体には向けなかった。

 この体に劣等感があることを女官たちに知られるのは、アイリーンのプライドが許さない。招いてきたのはそちらなのに、呼び出した本人に会う前にいきなり衣類をひん剥く人たちだ。弱みなんて見せるものか。


「これは……」


 近づいてきた女官たちがそろって険しい顔つきになる。

 そして最初に声を出したほうがキッとアイリーンを至近距離から睨みつけた。


「これは何なのですか」

「何……って」

「このあざです。ひとつやふたつではない」


 女官がアイリーンの胸元を指さした。

 え、と思って自分の体を見下ろしてみる。

 昨日は風呂に入ったあと、この下着を着て寝た。朝もこの下着の上から装束をまとった。さっきは視線を下げないようにしていたので、アイリーンが自分の体を見下ろすのは、昨夜の入浴時以来だ。


 胸元にいくつもの赤いあざ。


「え、何これ」


 こんなあざができているなんて知らなかった。昨日の夜は何もなかった。あれば気付いたはずだから。

 アイリーンはそのあざを指先でなぞってみた。

 痛くもかゆくもない。どこかにぶつけたわけでも、虫刺されというわけでもなさそうだが……?


「あなた、国を出る前に男と会っていたのでは? そしてその情事の痕跡をつけたまま陛下のおそばに上がろうなんて、恥を知りなさい!」

「……は?」


 女官にものすごい剣幕で怒られたが、何のことだかわからない。


「ああ、こっちにも!」


 もう一人がアイリーンの下半身を指さして叫ぶ。


 は? と思って目をやると、内股にも同じようなあざが浮かんでいた。肌の色が白いので、あざがかなり目立つ。

 こちらも胸のもの同様、痛みもかゆみもない。いつできたのか、やっぱり心当たりがない。


「なんて破廉恥な。これは、皇帝陛下への侮辱にほかならないわ! わたくしどもは見たままの報告をします。あなた、打ち首になっても文句は言えないわよ」

「は……は?」

「念のため、内側も調べますか?」


 怒り狂う一人に対し、もう一人が問う。


「……いいえ、ここまで侮辱されたのですから処女だろうがそうでなかろうが、もはや問題ではありません」


 女官がアイリーンを睨む。


「田舎者のくせにヴァスハディア帝国に盾突くなんて。その気になれば、我が帝国はあなたの国など丸ごと焼き払えるのよ?」

「なぜそこまで言われなくてはならないの!?」


 アイリーンは思わず叫んだ。


「いずれにしてもこのことは宰相閣下と皇帝陛下に報告します」


 ぽかんとしたアイリーンに、女官の一人が「服を身に着けるように」と言い残して出て行く。もう一人が冷ややかな目で見ている前で装束を身に着けると、女官がドアを開けて誰かを呼んだ。

 すぐに宮殿を守っている兵士と思わしき男が二人やってきて、その部屋からアイリーンを連れ出す。ドアの外に待機していたのだろう。

 そしてどんどん歩かされ、なぜか半地下の薄暗い部屋に放り込まれる。

 あれ、と思った時にはドアが閉められ外から鍵がかけられた。


 ――僕は、皇帝に謁見するためにここに来たのではなかったっけ?


 もしかして招かれざる客かもしれないとは思ったが、これはあんまりなのでは?

 部屋はあまり広くない。薄暗さに目が慣れてくると、部屋の隅には埃の固まりのようなものが山を作っているのが見てとれた。床も壁も一応は板張りであるが、あちこち反り返って、手入れなどされていないことがわかる。

 じめじめしていて、いるだけで不愉快になる部屋だ。


 何もない部屋だが、なぜか片隅に取っ手が付いた壷のような容器が置いてある。なんだろうと思って手に取ってみたら、ツンといやなにおいがした。


 ――おまるかよ、これ……!


 あわてて元あった場所に置く。

 部屋には明り取りなのだろう、天井部分に少しだけ開口部があり、空が見える。ガラスの類ははまっていない。

 寒い日や雨が降る日に滞在すると大変そうだ。

 ここは明らかに人を閉じ込めておくための部屋。それもかなり待遇が悪い。ものを知らないアイリーンでもわかる。ここは、一国の姫(と言っていいのかどうか)が案内されるような場所ではない。


「なんなんだよ、これ!!」


 罪人扱いではないか。

 心当たりのないあざが原因であることは察しがついた。心当たりがないのに弁明の余地もなしで閉じ込めるなんて。竜の国もずいぶんナメられたものだ。

 そのことに気づいたアイリーンは、ガン、と思いっきり鉄製のドアを蹴り上げた。


「僕が何したっていうんだよ!! ここから出せ!」


 ガンガンガン!

 続けて蹴りを入れるが、外からはなんの反応もない。


「――クソッ」


 アイリーンは叫ぶと、最後にもう一度、ドアを蹴り飛ばした。鉄製なので、痛い痛い。

 こんな汚い場所に、せっかく作ってもらった美しい装束で座ったり寝転がったりなんかしたくない。


 狭い部屋の真ん中に突っ立ち、アイリーンは途方に暮れた。

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