第二章 身代わりの花嫁

第4話 姉の秘密

 帝国の使者との話し合いはすぐに終わり、彼らは七日後にまた来ると言い残して例の飛行機に乗り、飛び立っていった。

 よっぽど頑丈な作りをしていたのだろう、神殿は白亜の石造りにもかかわらず、飛行機が体当たりした部分が欠けており、神官や女官たちがぷんぷんと怒っていた。


「この程度の損害で終わってよかったのよ」


 使者との会見を終えたエルヴィラはげっそりとした様子で神殿の人間を諫め、すぐに評議会のメンバーを呼び集めた。

 今後について話し合うためだ。

 アイリーンは女王の妹だが、国の政に関わる立場にはない。


「これからどうなると思う?」


 エルヴィラのつがい、つまりそのうち義兄になるノエルをつかまえ、たずねてみる。


「わからないな」


 ノエルの顔にも疲労が濃い。


「まあ、じたばたしてもしかたがない。もう遅いから、アイリーンは先にお休み」


 ノエルに言われ、アイリーンは頷いて踵を返した。生家が焼失していること、エルヴィラ以外に家族がいないことから、アイリーンは神殿の中に私室をもらっている。


 部屋に戻り、寝間着に着替えてベッドにもぐりこむ。疲れているはずなのに、目が冴える。頭に浮かぶのはあの男。


 ――あいつのせいだ。


 アイリーンは自分の右腕を掲げて眺めた。手首の少し上にくっきりと靴の痕が残っている。あの偉そうな男――将軍と名乗ったか――に踏みつけられた場所だ。

 か弱い乙女の細腕を思いっきり踏むなんて、と憤慨するが、手加減されていたことにアイリーンは気づいていた。

 体格と体力の差を考えれば、アイリーンの骨を砕くことだってできたはずなのだ。

 つまり、アイリーンはあの将軍に弄ばれたわけである。


 ――あいつ、笑ってたよね……。


 耳に将軍の低い声が蘇る。思い出した途端、頭の後ろや首筋あたりの毛が逆立つような、妙な寒気が体を走り抜けた。

 あいつは油断ならない。

 別にあの男を殺すつもりはなかった。ただ聖なる場所を土足で踏みにじられた怒りを示したかっただけだ。


 ――少しくらい驚いてくれてもいいのに、なんなんだよ、あいつ……。


 ひっくり返る前に見た、ニヤリと笑う顔を思い出してしまうと、もう、あのニヤニヤ顔で頭がいっぱいになってしまった。

 ああ~、ムカつく……!

 デカイ男に上からエラソーにされてムカつかないわけがない!!


「なんなんだよ、あいつ!!」


 あのニヤニヤ顔を追い出したかったが、出来事が強烈すぎてうまくいかず、ついにアイリーンは叫びながら体を起こした。

 あいつはこの地に用がある。用があるやつは追い払ったって、またやってくる。ということは、あのニヤニヤ顔をまた見ることになるわけだ。そうと思うと、さらにムカムカしてきた。

 眠気が吹っ飛んでしまったアイリーンはそっとベッドから抜け出ると窓から身を乗り出し、神殿の中央部に目をやった。

 評議会が開かれている部屋は、まだ、明かりがついている。


 ――どんな結論になるのかな……。



   ***



 翌朝。


 いつもの起床時間よりもずっと早い時間に目が覚めてしまったアイリーンは、朝靄が覆う湖の近くまで降りていった。

 竜神の住む湖はとても大きく、岸辺には小さな波が打ち寄せている。

 岸辺の近くは浅いが、あるところから急に深くなっており、深みにはまるとそのまま水底に引きずり込まれ、浮いてくることができない。


 湖畔にたたずんでいると、軽い足音が背後から聞こえてきた。

 振り返ると、エルヴィラがこちらに歩いてくる姿が見えた。

 服装が昨日と同じ。顔も疲れている。


「……姉さん、もしかして、徹夜で会議をしたの?」

「……夜明けまではしてないけれど、そうね、ずいぶん遅くまで話をしたわ。結論は出ていないけれど」


 アイリーンの隣に立ち、朝の風に髪の毛を揺らしながら、エルヴィラが目を閉じる。

 次の言葉を待ったが、エルヴィラはその姿勢のまましばらく黙っていた。

 もしかして立ったまま寝てしまったのかと不安になってきたころ、エルヴィラが目を開く。アイリーンと同じ藍色の瞳は、暗く翳っていた。


「やっぱり、あなたには話しておくわ。私の家族はあなたしかいないもの」

「……?」

「ヴァスハディア帝国は竜の国を属国にしたいんですって」

「……っ。なんで!?」


 竜の国は辺鄙な場所にあるおかげで、建国から一度として他国の侵略も支配も受けたことがない。その代わり、竜の国も他国に不干渉だ。


「このところ、グラード王国との関係が悪化していて、ヴァスハディア帝国とグラード王国の境目にあるこの国は、どちらの国からも狙われている状態なんだそうよ。グラード王国のものになってここに前線基地を作られてしまうと、帝国内への攻撃が容易になる。それは避けたい。逆に、帝国が手に入れれば、グラード王国への攻撃が容易になる」

「ちょっと待って。なんでそんな自分勝手な……! この国はあいつらの庭じゃないんだから!」

「それが大国の考え方なのよ。なんでも、飛行機がこの山脈を超えて飛ぶには、燃料が足りないの。グラード王国もヴァスハディア帝国も、山脈の中に補給基地がほしい。それができる場所はここしかないんだそうよ」


 ふう、と疲れたようにエルヴィラが息を吐く。


「それでね……、ヴァスハディア帝国の皇帝が言うには、抵抗して滅ぼされるか、おとなしく支配を受け入れるか、どちらかしか選択肢はないんですって。おとなしく支配を受け入れる場合は、私たちを尊重すると」

「尊重って……」

「その場合」


 エルヴィラは言葉を切り、湖をじっと見つめた。


「……その場合は、女王を、皇帝の側妃として差し出すように、と」

「ちょっと待ってよ」


 アイリーンは混乱する頭のまま思わず、湖を見つめたままでいるエルヴィラの腕をつかんだ。


「なんで支配を受け入れるのに女王を差し出す必要があるのさ。それも皇帝の側妃として?」

「尊重するためには、女王が皇帝の身内になってもらわねばならない、と。でも正妃はもういるから側妃。要するに人質よね……竜の国がグラード王国に寝返らないための」

「どうして女王なんだ!? それに、単なる人質なら別に妃にならなくても」

「婚姻をもって同盟を結ぶというのは、よくある話よ。竜の国の女王は未婚の娘が務める、というのも外では知られている情報らしいし。女王を指名したのは、私がこの国でもっとも人質として価値があるからでしょうね」


 ふふ、とエルヴィラが虚ろな目のまま笑みをこぼした。

 エルヴィラにはノエルというつがいがいる。竜族にとってつがいの存在は絶対だ。つがいがいるのに別な人間と結婚することはできない――いや名義上の結婚なら可能だが、名実ともにというのは無理だ。お互いがお互いの唯一無二であり、代わりはいない。それがつがいというものだから。


 エルヴィラが、ノエルと結婚できる日を支えに女王を務めていることを知っている。本当だったら、長くても四年程度で次の女王と交代するはずだったのだ。だが現実として、次の女王が生まれない。代わりを務められる人間がいないため、エルヴィラは女王の役目を降りることができないし、女王は独身という決まりがある以上、結婚もできない。


 エルヴィラはもう二十六歳。本来なら母親になっていてもおかしくない年齢なのだ。国民に動揺を与えないために表には出さないが、エルヴィラはずっと我慢をしている。

 それなのに、そのエルヴィラを皇帝の側妃に?

 なんという要求を突き付けて来たのだ、ヴァスハディア帝国は!


「……待って、姉さん。結論は出ていないんでしょ?」

「ゲルト老を招いて帝国の話を聞いたの。帝国軍の技術院にいた方なのね。アイリーンはよく話しているから、知っていたのかしら?」

「ゲルトじいさんが飛行機の開発をやっていた、というのは聞いた。でも密偵の疑いをかけられて、その、目を……それで仕事ができなくなった、らしいね」


 言葉を交わすうちに、アイリーンはゲルトの視力がかなり弱いことの理由を聞いてはいた。


「目がほとんど見えないのは知っていたわ。だから私たちは彼を受け入れたのよ、あの目では一人で山越えをすることはできないから。……とにかく、ゲルト老の話を聞く限り、帝国軍の軍事力に私たちは太刀打ちできそうにはないの。竜神が姿を現して彼らを焼き払ってくれるなら別だけど、ですって。私は、竜神の声を聞くことはできても、姿を呼び出すことまではできないわ」


 エルヴィラは諦めをにじませた声音で呟いた。


「見たでしょ、あの飛行機。湖に降りることができる飛行機は、飛行艇というらしいわ。あれでも小型なんですって。もっと大型の爆撃機がたくさんの爆弾を積んで、この地を焼き払うことは、私たちが朝食を作るよりも簡単なんだそうよ」

「ええっ!? そんな……!?」

「あの国に対して抵抗しても無意味なことくらい、物事をあまり知らない私にでもわかる。今の女王は私だもの……私がこの国を守らなくてはならない」


 エルヴィラが再び湖に視線を戻す。

 その口調から、エルヴィラはすでに覚悟を決めていることがわかる。

 ノエルを残して、帝国へ赴くつもりだ。請われるままに側妃として。

 正妃ではなく側妃。帝国から見たこの国の扱いがわかるというもの。そんなところに行ったらエルヴィラが不幸になるのは、目に見えている。第一、エルヴィラには将来を誓い合った人がいる。


「だめだよ」


 アイリーンはぎゅっと拳を握り締めた。


「姉さんはだめ。ここにいないとだめ。竜神の声が聞こえるのは姉さんだけじゃないの」

「……それなんだけれどね。本当は、竜神の声なんてもう聞こえていないの……」


 エルヴィラの告白に、アイリーンは息を飲んだ。

 姉の藍色の瞳にみるみる涙が盛り上がり、珠を結んで白い頬を滑り落ちる。


「え? だって。……え? 今までのお告げは」


 エルヴィラは女王になってからずっと、竜神からの声をお告げとして国民に伝えてきた。そのお告げは外れたことがない。

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