第8話 将軍の思惑
山の天候は変わりやすい。七日後にまた来る、とジェラルドは竜の国の女王には告げたが、七日後に行けるかどうかはわからなかった。
しかし、きっちり七日後の同じ時刻。ジェラルドの乗った飛行艇は標高一千メートルを超える場所にある竜神の湖に着水していた。
高地にある湖は凪いで、非常に透明度が高い。覗き込めば底まで見えそうだが、相当に水深があるらしく、湖の底は真っ暗だった。
この湖には竜神が住むという。その竜神と人の子孫……それが竜の国の人々。外界との接触を断って生きているのは不思議な力を持つためだと言われているため、過剰なくらい武装した兵士を護衛として連れていったのだが、ざっと見た感じ、彼らには噂されているような恐ろしげな力などはなさそうだった。
そんな力があるのなら、銃を向けた時点で発動していてもよさそうだからだ。
自分たちに驚いて集まってきたとき、構えていたのは長剣だった。女王もそこにいたし、女官たちの姿もあった。
見ず知らずの武装組織が乗り込んできたのに、女たちが逃げ出さないなんて、危機感がなさ過ぎる。
そして今日もまた、背後に剣を持つ男たちが控えているとはいえ、女王が先頭に立って出迎えてくれる。こちらの兵士が手にしているのは小銃だ。
――まさか小銃を知らない、なんてことはない……よな?
「お待ちしておりました」
女王エルヴィラが軽く頭を下げる。
ジェラルドは横柄に頷きながら、サッと周囲に視線を走らせる。
出迎えの集団とは少し距離を置き、広間の壁際に、女王によく似た藍色の髪の毛と瞳のほっそりした少年が立っていた。
前は普段着といった質素な装いだったが、今日は女王の意匠に合わせた装いをしている。女王は体の線に沿ったロングドレス、彼はチュニックに細身のズボン。前に見た時とは違い、襟が四角く切り取られた感じのデザインなので、首筋から鎖骨にかけての肌の白さや華奢さがより際立つ。
色づきのいい唇と、紺色の髪の毛。どちらとも白い肌に映える。
男にしておくにはもったいない。
なぜかそんなことを考えてしまう。
ふと、ジェラルドの視線に気づいた少年が、ムッとした顔になる。
招かれざる客に対してムカついているというのがよくわかる。なんて素直なんだ。
なぜだか嬉しくなり、ジェラルドは返礼とばかりに笑顔を浮かべてみせた。まあ、あまり印象のいい笑顔でなかったことは認めよう。荒くれものが多い軍隊をこの年齢で統率するため、尊大に振る舞うことは習い性となっている。
少年の神経を逆撫ですることには成功したようだ。大きな瞳でこちらを睨みつけてきた。
思わず小さく噴き出す。
「どうかしましたか?」
正面で歓迎の口上を述べていた女王が不思議そうに聞いてきた。
「いえ、なんでもありませんよ」
至極真面目に対応する女王のはるか後方で、よく似た弟が「イーッ」と口の端を両手で引っ張って舌を出しているなんて、この女王は予想だにしていないのだろう。
おもしろい。実におもしろい。
一通り歓迎の言葉を述べた女王に案内されながら、先日通された応接間に向かう。
少年はついて来ないようだ。
少年の横を通り過ぎる時にちらりと目を向けたら、フンッ、とそっぽを向かれた。短い藍色の髪の毛がパッと広がり、雪のように白い頬にぱらぱらとかかる。
その色彩の対比の美しさに、気持ちが固まる。
――姉と一緒に連れて行こう。
これは決定事項だ。
あれが近くにいたら、絶対楽しい。こんなにわくわくする気持ちは久しぶりだ。
だがジェラルドの思惑は、女王との話し合いでおかしなことになる。
***
今回、アイリーンは遠く離れた場所から彼らを観察することにした。
今日は予告なしの訪問ではないこと、あとで帝国の使者たちと面通りする予定があることから、アイリーンはエルヴィラと意匠をそろえた服を用意してもらっていた。といっても、女性らしい体つきを強調するエルヴィラの装束に対し、アイリーンは相変わらずチュニックに細身のズボンだ。生地と刺繍、飾りなどで雰囲気を似せているが、アイリーンはアイリーンらしいデザインの服だった。
予告通り、あの偉そうな男が現れる。前回は飛行艇から兵士たちがわらわらと飛び出してきてずらりと並び、小銃を一斉に構えてきたが、今回は偉そうな男が真っ先に降り、兵士たちはその後に続く。前回と逆だ。
偉そうな男が、出迎えたエルヴィラと言葉を交わしている。
あの偉そうな男の名前はジェラルド。ジェラルド……なんとか。長い名前だった。覚えられない。
そのジェラルドなんとかは皇帝の皇子の一人で、帝国軍の将軍なのだとエルヴィラに教えてもらった。
武人だったわけか。どうりで体も大きいし、飛び掛かったアイリーンに焦ることなく、手加減しつつ対処もできたわけだ。
――こういう人間ばっかりだったら、そりゃこの国はかなうわけがないよね……。
アイリーンは、ジェラルドとその向こう側にずらりと並ぶ兵士、そして神殿に横付けされた飛行艇を見つめた。
この国の人が持っている武器はせいぜい剣、そして弓やボーガン程度だ。
評議会の「人質を出す」という決断は正しい。帝国が竜の国を潰すと判断したら、一瞬で消し飛んでしまう。アイリーンにもわかる。
ふと、そのジェラルドが自分を見つめていることに気づいた。
――なんで僕を見てるんだ?
前に斬りかかったからだろうか。
ジェラルドもアイリーンが見返していることに気づいたようだ。不意にニヤリと笑う。
――ッッッ。ムッカつくううう!!
ばかにしてた。今のは絶対にばかにしてた!
アイリーンは両手で唇を引っ張り、「イーっ」と舌を出してみせた。十九歳のやることではない。わかっているが、この距離で「ムカついた!」を表現する方法がほかに思いつかない。
アイリーンの仕草の意味は、ジェラルドにも伝わったようだ。思わずといった感じで小さく噴き出す。
――あいつ、笑うんだ……。
アイリーンの仕草を理解して笑ってくれるなんて、なんか、意外だ。
「どうかしましたか?」
エルヴィラが怪訝そうに問いかける。おっと、やりすぎた。アイリーンは指を離して顔を取り繕った。
――あいつは僕たちを服従させることが目的で……敵で……でも……。
一瞬だけ浮かんだ笑顔は、何度か見た偉そうな笑い方とは違っていた。
優しそう、なんて思っちゃいけないんだろうけど、でも、とても優しそうに見えた。
あんな笑顔を見せられるなんて思っていなかったから、胸がドキドキする。
そのアイリーンの前を、挨拶を終えたエルヴィラと帝国の使者たちが通り過ぎる。アイリーンは、ドキドキしているのを悟られないように、おとなしく彼らを見ていた。ジェラルドが通り過ぎざま、突然こちらに視線を向ける。
驚きのあまり固まってしまったが、見返したジェラルドの顔はどこかからかっているような表情だった。アイリーンは慌てて「フンッ」とそっぽを向く。
さっきの「イーっ」への意趣返しだろう。からかわれたのだ。
――おもしろくない。おもしろくないぞ!
そしてその三十分後、アイリーンは両国の代表の話し合いの場に呼ばれた。座る場所がないのでドア近くに立ったまま、四人を見つめる。
女王が「私の代わりに実妹のアイリーンに、帝国に赴いてもらうことにしました。理由は、この国の女王は祭祀をつかさどり、代わりを務められるものがいないからです」ときっぱり宣言すれば、当然、ジェラルドとその側近は驚いた顔をする。
「……女王猊下、からかっているのではありますまいな? 我々は一国の長であるあなたに敬意を表して、皇帝の妃の座を用意したのですぞ」
側近が怒気を孕んだ声で言う。年かさの男で、頭髪とひげは白いが顔はよく日に焼けていて、眼光は鋭い。油断ならない人物、という感じがする。
「先ほども申し上げた通り、この国における女王は祭祀の主宰者であり、女王の代理人は存在しないのです。女王はこの地に留まることが肝要……アイリーンは女王の実の妹です。友好の証しとするには十分と判断しました」
議長が静かに答える。
「妃にと申したのに、なんなんだ、この者は。男ではないのか!? 我々への侮辱は許さんぞ。第一この者は先日、殿下に斬りかかってきた無礼者ではないか!」
側近が叫ぶ。
まあね……言われるとは思った。
「祭祀の主宰こそ代理を立てればよかろう! ヴァスハディア帝国をばかにするのもいい加減に」
「イヴァン、少し黙れ」
激昂する側近の声を遮ったのは、黙って成り行きを見つめていたジェラルドだった。
「おまえ……いや、そなたは、女だったのか」
ジェラルドが呆然と呟く。ジェラルドのびっくりポイントはそこだったらしい。
「殿下、何を感心しておられるのですか。女だとしても、明らかに子ども……」
「我々がほしいのは諍いではなく協力だ。……彼らは大切な姫を差し出そうとしている。こちらの言い分ばかりを通すのはどうだろうか?」
ジェラルドが立ち上がり、ゆっくりとアイリーンの前に歩いてくる。背が高いので威圧感がすごい。
思わず一歩下がれば、ジェラルドはそれ以上に近づいてくることはしなかった。だが、アイリーンの視界はジェラルドの体によって、すっかり埋め尽くされていた。その向こうにいる大人たちの姿は全く見えない。
「ヴァスハディア帝国と竜の国は、国の代表者の婚姻をもって友好関係を作ろうとしているわけだ。女王の妹であれ……誰であれ、この国を代表する姫が我が国に嫁ぐことが重要。そうだろう? イヴァン」
ジェラルドはアイリーンを見下ろしたまま背後のイヴァンに語る。
「……しかし、こんな子どもでは」
「子どもじゃないよ。こう見えても十九歳だから」
「えっ!?」
側近の疑問に答えたら、なぜかジェラルドが驚きの声をあげた。
「……え?」
ジェラルドの驚きに対し、アイリーンが今度は驚く。
「十九歳? それで?」
「……悪いかよ……」
ジェラルドの口ぶりからして、きっと彼らは竜神の末裔がつがいを得ないと大人になれないことは知らないのだろう。
アイリーンを見つめ、ジェラルドがしばらく思案する。
「……いいだろう、そなたを我が皇帝の花嫁として招待する。驚かないところを見ると、覚悟はできているようだな?」
「あ……当たり前だ。僕は、こう見えても女王の妹だ」
確認してきたジェラルドに向かい、アイリーンは精一杯偉そうに胸を張って答えた。
「見上げた根性だ。さすが、いきなり斬りかかってきただけはある。だが皇帝に向かって同じ真似はするな、あやしい動きをしただけで頭と胴体が離れるぞ」
「う……しないよ、さすがに」
ばつが悪そうに答えると、ジェラルドがふと目元を緩めた。人をばかにした感じの笑みではない。いきなり優しげな表情を向けられ、アイリーンの心臓がひとつ大きく跳ねる。
――なんなんだよ、急に! 今日はおかしいぞ、こいつ!
先ほども笑みを向けられた。
ばかにしたり、優しげに笑ったり、今日はいったいなんなんだ。前回と態度が違いすぎやしないか!?
ジェラルドがアイリーンに背を向け、側近や姉、議長と話を続ける。その間、アイリーンはなぜかジェラルドから目が離せなかった。
撫でつけた黒髪は、意外に長いということを発見する。男らしい輪郭の鼻、少し薄い唇。がっしりした体つき。鋭い目つき。……見つめていると、どうしようもなくドキドキする。わけがわからない。なんでこの人を見るとこんなにドキドキするんだろう。
不意にジェラルドがこちらを向く。アイリーンはあわてて顔を逸らした。見つめていたなんて知られたくなかった。どうか気付かれていませんように。
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