第7話 ジェラルド

 竜の国を手に入れろ。

 それが父であるヴァスハディア帝国の皇帝から下された命令だった。


 ジェラルド・イル・バステラール、二十五歳。ヴァスハディア帝国の皇帝、グレアム・サナ・バステラールの十番目の皇子であり、帝国の北部軍の総司令官として、国防の一翼を担っている。

 さらさらと癖のない黒髪は短く切り、前髪は額の後ろに撫でつけている。黒曜石を思わせる黒色の瞳に鋭い目つき、体格も武人らしくがっしりと大きい上に、普段から黒い服ばかりまとっているので、大変な威圧感がある。

 ついたあだ名は「黒衣の将軍」

 いかつい見た目にぴったりな名前が付いたものだと、自分でも思う。

 竜の国の女王への「挨拶」と「(かなり一方的な)一回目の交渉」を終えて帝都フォンテーンに帰還し、宮殿で皇帝に首尾を報告する。


「そうか」


 父たる皇帝は玉座に座り、床に膝をついて頭を垂れるジェラルドに対し鷹揚に声をかける。


「向こうはどうするつもりだと思う?」

「おそらくこちらの要求を飲むのではないかと」

「竜族の女王は、どんな娘だった?」

「……美しい娘でした」

「竜族の血には不思議な力が宿ると聞いている。我がバステラール家に竜族の血が入ればさらなる繁栄を手に入れられよう。わざわざ女王を差し出すことに同意したのだ、丁重に迎えなければな。そういえばジェラルド、おまえの縁談はどうなった?」

「仕事が詰まっており、なかなかレティシア嬢にお会いできず残念です」


 ついでのように聞く父に、冷笑が浮かばないよう気をつけながら答える。


「ヴァイス公爵も楽しみにしていると聞いている」


 ヴァイス公爵は父の腹心とも呼べる人物だ。そこの娘であるレティシアが、ジェラルドの縁談相手として名前が挙がっている。

 腹心の娘を嫁がせてわかりやすくジェラルドに首輪をつけ、鎖につないでおこうという魂胆だ。

 少し前までジェラルドを排除することばかりに目を向けていたのだから、ずいぶんな心の変わりようだなと思う。ジェラルドをがんじがらめにする鎖が増えるということは、それくらい、ジェラルドの将軍としての存在感は高まってきているという証拠でもある。

 この事態を喜ぶべきか憂えるべきか。

 それ以上の報告はないので形式的な挨拶を述べ、父の前を辞す。


 ――息子に嫁をとるよう勧めながら、自分も新しい花嫁を迎える……か。


 婚姻は外交手段のひとつだから、まあ別にいいが。

 脳裏に竜の国の女王が浮かぶ。二十歳そこそこに見えた。


 ――六十に近い父に嫁ぐなんて、哀れとしかいいようがないな。


 その上、バステラール家に竜族の血を入れてさらなる繁栄を? バステラール家を始めとするこの国の支配層、ルーシス族は純血至上主義だ。なかなか矛盾している。もっとも竜族の血に不思議な力が宿るという噂は広く信じられているものではある。竜族が住処を出てくることは珍しいので、竜族ならばルーシスの血に混ざることを許容されるのかもしれないが、まあ女王の出方次第か。


 そういえば、と、ジェラルドはついでのように女王にそっくりな顔の少年を思い出した。

 女王によく似ているし、女王に危害が加えられると思って飛び掛かってきたのだろうから、彼は女王の弟に違いない。


 ――イキがよかったな、あいつ。


 そのわりには、足払いした時の体の軽さや、つかんだ腕の細さが気になる。年齢は十代半ばくらいか。体を作る時期だ、もっとしっかり食べないと。

 それにしても、なかなかいい動きをしていた。真正面から斬りかかってくるものだから避けずに、こちらも正面から相手をしてやろうと思ったのだった。

 あっさりひっくり返った時の、驚いた顔もかわいかった。続いて悔しそうにする姿も。

 なんとなく、あの少年の笑うところが見てみたいな、と思った。あれだけ素直に感情を表に出す子だ、きっと……。


 ――きっと?


 ふと我に返り、ジェラルドは「きっと」の先に浮かんできた考えを打ち消した。

 きっと楽しそうだなんて……何をボケたことを考えているんだ。あの少年と関わることは、もう、ない。




 謁見からの帰り、今日も黒を基調とした軍服に黒いマントを翻せて歩くジェラルドに、すれ違う人間が驚き固まる。

 きらびやかな宮殿に軍装の自分が浮きまくっていることは、痛いほどわかっている。

 皇子という身分ではあるが、ここにジェラルドの居場所はない。




 この国は一夫多妻制をとっている。皇帝には服従の証しとして大勢の娘たちが捧げられ。その中の一人、そう身分が高くない側妃の間に十番目の皇子として生まれたジェラルドは、皇位継承権からも遠く、つまり、いてもいなくてもいい皇子だった。


 皇子は皇太子を除けばほとんどが武人に、皇女は政略結婚の駒にされる。だからジェラルドは父の指示で武人になるように育てられた。母からも「皇帝の目に留まるように励みなさい。でなければ私たちは捨てられる」と脅されていたことから、自分でも努力を重ねてきたと自負している。


 父である皇帝とは年に一度、年始の挨拶ぐらいでしか顔を合わせない。幼い頃はその年始の挨拶で頑張りを褒められるのが楽しみだった。父に認められる武人になるのが目標だった。そうすれば父は助かるし、母も幸せになれるだろう、と。


 しかし、そんな気持ちは次第に踏みにじられていく。長じるほどに、父はなぜかジェラルドを嫌うようになっていった。


 ――頑張りが足りないから?

 ――もっと努力したら、立派な武人になったら、父上に褒めてもらえる?


 そう思い、様々な武術の習得に励んだ。指導してくれた大人たちからは素晴らしいと絶賛されるのに、父の眼差しはだんだんと冷たくなっていく。その割には十六歳で成人の儀式を済ませてすぐ、帝国北部の国境警備の責任者に任命されるので混乱した。周囲は喜んだし、自分も認められたようで嬉しかったが、実際は実戦経験どころか従軍経験すらない、右も左もわからない若造が任される役職ではないからである。


 それでも侵攻してきた北の蛮族を追い払うことに成功したのは、小さい頃からジェラルドを指導してくれたイヴァンがそばにいてくれたからだ。

 皇子。ものを知らない、帝都育ちの若造。現場の人間と何度となくぶつかった。指揮官が向いていると思ったことは一度もない。それでも役目を放棄することはできない。自分の働きに母と、その背後にいる母の一族の生活がかかっている。


 北の守りを鉄壁にし、北の蛮族から「黒衣の将軍」と恐れられるようになったころ、ジェラルドは昇進して帝国の北の防衛を一手に任される北部軍の総指揮官となった。

 二度目の大抜擢である。


 十六歳の時は認められて嬉しい気持ちが強かったが、今はあの時の抜擢が異例すぎることを知っている。そして二度目の大抜擢。イヴァンは「陛下がジェラルド殿下をお認めになった証拠です」と誇らしげに言ってくれたが、ジェラルドはどうしてもそうは思えなかった。


 同じ軍務に就いている皇子たちは、名誉職を与えられ帝都でぬくぬくと暮らしている。だが自分は国境にある防衛の前線基地。敵の弾が飛んでくる場所だ。母の身分が低いことを差し引いても、おかしい。待遇が違い過ぎる。まるで「おまえは弾に当たってもいい」と言われているようなものだ。


 ジェラルドなりに調べてみてわかったのは、ジェラルドが父の兄、つまり伯父に似ているということだった。

 知的で温厚、武人としても申し分ない実力の持ち主。何代か前の北部軍司令官も務めており、当時を知る人間が伯父の話をしてくれた。彼は、父が帝位を手に入れるために陥れられていた。もちろんはっきりと証拠が残っているわけではないが、そう信じている関係者は多かった。


 事実なのだろうと思う。

 その人物に顔が似ている。仕事ぶりも似ている。その程度の理由で?

 そう思ったが、それを裏付けたのが、総司令官の任命式。久々に会った父の目はどこか怯え、警戒していた。廷臣たちも動揺していた。

 成長した姿はどうやら本当に、父が葬った伯父とやらに似ているらしい……。


 以後、父と顔を合わせるたびに、ジェラルドはあからさまに警戒されるようになる。

 伯父と自分は違う人間だ。

 そう、声高に叫べればよかったのかもしれない。だが、何も言えなかった。今まで一度として、父がジェラルドの声に耳を傾けてくれたことがあっただろうか、と気付いたからだ。

 ジェラルドが任されている国防の責任者とは、失敗すれば責任を取って自らの首を差し出さなければならない地位だ。

 それが答えなのだろう。


 あの人はジェラルドにとって「父親」ではなく「皇帝」だった。自分には初めから父などいなかった。

 だからジェラルドは皇帝の命令におとなしく従う。反意ありと見られないように。何しろ相手は大帝国の皇帝だ、一介の将軍でしかない自分がかなう相手ではない。

 皇帝の寵愛を受けたことがあるとはいえ、身分の低い側妃の母を、母を側妃として出すことで皇帝の庇護を受けている一族を守れるのは、今やジェラルドだけだ。


 小さい頃からよくしてくれた者たちもいる。ジェラルドのためにと動いてくれる者もいる。異民族の襲撃を追い払うたびに、その地に住む人々からは感謝された。

 自分には守りたいものがある。誰にも奪わせる気はない。

 それが実の父親であっても。

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