第6話 姉の決意
評議会後、エルヴィラは神官長に呼び止められた。神官長は評議会のメンバーではないが、女王が帝国に行くのか否かについては強い関心を寄せていて、議場の外で待ち構えていたのだ。
「なぜアイリーンを外に出すことにしたんだ?」
単刀直入に切り出される。
「私の身代わりたりえる人物が、アイリーンしかいなかったからです」
エルヴィラは表情を押し殺し、淡々と答える。
神官長は苦手だ。伝統から外れることを許さないし、物事をすべて自分の思い通りにしたがる。女王に選ばれたころ、儀式の手順を覚え切れていないとか、弱音を吐くとか、少しでもエルヴィラが「女王らしくない」姿を見せれば厳しく叱責されたものだった。今の「凛とした女王」像は、神官長のおかげとも言える。
「もし竜神の花嫁なら」
言葉を続けようとした神官長にスッと、手のひらを向ける。それ以上話すな、のサインだ。
エルヴィラは鋭い目つきで神官長を睨みつけた。
「百年に一度、竜神の力が弱まる。その時に現れるという『竜神の花嫁』。その血はどんな傷も、病も、治してしまうという。その特別な娘が弱った竜神に力を与える。竜神の花嫁が現れたら女王は確実に花嫁を竜神のもとへ送らなければならない……と、私は伝え聞いております」
「……それならばなぜ、アイリーンを国の外へ出した。もし竜神の花嫁なら」
「アイリーンが竜神の花嫁ではないからです」
エルヴィラはきっぱりと言い切った。
「理由は簡単なこと。竜神の力は弱まっていない。この通り、私は今でも竜神の声が聞こえております。アイリーンはただのつがいのいない娘。余命一年の、私の妹です」
「おかしいとは思わんか。あいつらがあっさりこの国に入って来れたことが。それに、おまえも予見できなかった。竜神の加護があるのなら、侵入者を察知できるはずなのだ」
窺うように神官長が見つめてくる。
なるほど、この人はエルヴィラのことを「竜神の声が聞こえなくなっているが、それを黙っている」と疑っているらしい。
やはり帝国の使者が妨害もなく、よりによって竜神の湖に降りてきたことがまずかったのだろう。神官長も竜神の花嫁のことは知っている。しかし、認めるわけにはいかない。
エルヴィラは表情を微動だにせず神官長を見つめ返した。
「竜神は強い存在ですが完璧ではありません。予見できないこともあります。私は竜神の声を一言も漏らさず隠さず、皆に伝えてきました。使者の登場はむしろ、竜神の意思なのではないかと思いますね」
「なんだと?」
「航空機が竜の国の上空を飛び回っていることはご存じでしょう? 偵察者の報告とゲルトの話から、グラード王国、ヴァスハディア帝国、どちらから見ても私たちの上空が山脈を飛び越えるのに最も適したルートになるそうよ。大国のはざまにある私たちが科学技術を発達させていく大国の思惑に飲み込まれるのは、時代の流れというもの。今まで通りではいられません。竜神もそうお考えなのでは」
竜神の声は、女王にしか聞こえないから、ハッタリをかますことなんて慣れっこだ。
弱まる竜神の声、いつまでもつがいが見つからない妹。いやな符号に気づき始めた時、アイリーンが竜神の花嫁であってはいけないから……と、エルヴィラは「竜神の声が聞こえるフリ」をすることに決めた。
アイリーンはエルヴィラにとってたった一人残された家族なのだ。
つがいがいない者は短命。それだけでも悲しいのに、その上、竜神の花嫁だったら、エルヴィラ自身がアイリーンの命を奪わなくてはならない。
そんな運命、耐えられない。
「……だが、妹を溺愛するおまえが、余命一年もない妹を遠くにやるとは考えにくい。何か理由があって妹を遠くにやったと考えるのが自然だろう」
「議会で説明した通り、私の代わりができるのがアイリーンしかいないからです。ほかに代わりができる者がいれば、その者を行かせたに決まっているわ。アイリーンの命はあと一年もないのよ」
「竜神の花嫁なら、女王が花嫁を竜神のもとに送るのがしきたり。おまえは妹に天寿を全うさせたい。生贄にはしたくない。違うか」
「……私は竜の国の女王よ。国を守り導くのが私の役目。アイリーンが本当に竜神の花嫁なら、ちゃんとこの手で私があの子を竜神のもとへ送るわ」
エルヴィラは神官長を睨みつけた。
「神官長の期待に添えなくて残念だけれど、私は今も変わらず竜神の声が聞こえているの。竜神の力は弱まってなどいない。だからアイリーンは竜神の花嫁ではない。言いがかりも甚だしいわ」
それでも神官長は納得がいかないのか、怖い顔でエルヴィラを見つめる。
「お話はそれだけですか?」
「……」
「では、失礼させていただきます。私は忙しいので」
そう言うと、エルヴィラは女王の衣装を翻して神官長の前を立ち去った。
「……もし女王の立場を利用して竜神の花嫁を逃がしたとなると、おまえは国を滅ぼした大悪女になるぞ」
背中から神官長の言葉が飛んでくる。エルヴィラはそれを無視して歩を進めた。
神官長は、竜神の加護がなくなっていることに気づいている。だが竜神の声が聞こえるのはエルヴィラだけだから、確証がないのだ。
――でも、私は竜神の声が聞こえなくなる前にお告げを受けている。嘘はついてないわ。
実は、エルヴィラはずいぶん前に竜神からのお告げらしき夢を見せられている。声ではなく夢として風景を与えられたのは初めてだ。お告げとして夢を見ることはあるかと女王経験者たちに聞いてみたことがあるが、全員一致で「声以外でのお告げはない」と答えた。もし何か見たのなら、それはエルヴィラ、竜神のお告げではなくてあなたの夢よ、と。
しかし、鮮やかで生々しすぎる内容に、エルヴィラは「自分の夢ではない」と確信していた。
神官長がアイリーンをめった刺しにして湖に投げ込む様子。
アイリーンが燃え盛る瓦礫の中で血だらけになっている様子。
エルヴィラが血だらけの短剣を手に、呆然となっている様子。
そして大人になったアイリーンが、異国の街並みを歩いている様子。
きっとそれは、これから訪れる未来に違いない。何通りかあるのは、未来が確定していない証拠だと思う。血だらけになる未来はすべて竜神の花嫁の最期を彷彿とさせてゾッとする一方、妹に「大人になる未来」があるのかもしれないと思うと、どうしても期待してしまう。
アイリーンはおそらく、竜神の花嫁。そのアイリーンには、血だらけになる未来と、大人になる未来がある。アイリーンがただのつがいがいない者なら竜族の運命として二十歳そこそこで命を落とすが、竜神の花嫁なら特別な運命が待ち受けていてもおかしくはない。生贄にされなければ、二十歳で死なない未来があるかもしれない。
――竜神は弱っているのは事実。花嫁を捧げなければ、竜神はどうなるのかしら。
それは気になるところではある。
力を取り戻せないまま、この世界から消えてしまうのかもしれない。そんなことになったら、神官長が指摘したように、エルヴィラは竜神を見殺しにした大悪女ということになりそうだ。
――けれど私たちはいつまで、こんな山奥に隠れるようにして生きていかなければならないのかしら。
……とも、思うのだ。
各国に放っている偵察者たちの話を聞く限り、少なくとも偵察者たちは問題なく外の世界で暮らしている。外の世界でつがいを見つけることはできなくても、それ以外は外の世界の人間と何ら変わらない。ただ、竜族の血は猛毒で、外の世界の人たちが触れることはできない、という点は気がかりだが。
何より、ここにいては未来がない。
平和で閉じられた世界。でも、未来がない。
――このままずっと、ここにいることが果たして幸せなの?
偵察者たちによると、外の世界の科学技術の発達はすさまじいものがあるそうだ。竜の国に舞い降りた飛行艇もそう。人の手が作った道具で空が飛べるようになるなんて。
竜神は決して万能ではない。大けがをした人間を治したりはしてくれないし、重い病の人間も同じ。自分たちの上に加護という傘をかけて、外からの雨が入らないようにしてくれるだけ。
いつか、人の手が作り出す科学技術が竜神の力を凌駕する日が来てもおかしくない。
この国を導くのがエルヴィラの役目でもある。外の国に対して無関心になっている竜族の目を覚まし、外に向けることも自分の役割なのではないか。このままでは、この山奥で自分たちは世界から取り残されたまま緩やかに死んでいきそうな気がしてならない。
すでに竜の国は大国に目をつけられた。これから、今までに経験したことがないことが押し寄せてくるはずだ。
今が竜の国の正念場なのだ、という気がする。
ここでゆっくりと滅びるか、新しい世界に飛び出していくか。
その鍵を握っているのはアイリーン。竜神の花嫁の運命を持つ、エルヴィラのかわいい妹。
竜神の見せてくれた夢の中にひとつだけ、大人になったアイリーンが異国の街を歩いているものがあった。偵察者から聞くヴァスハディア帝国の都市のよう。
この夢を見ていなければ、エルヴィラはなんとしてもアイリーンを引き留めていたと思う。
どうするのが正しいのかわからない。
ただ、アイリーンがエルヴィラの身代わりになると言い出した時に思い出したのが、この夢だった。
皇帝の側妃なんてろくなものではない。その条件でアイリーンを帝国に出すことに対しては不安が大きい。だがここにいてはアイリーンの運命は変わらない。
あの夢が現実のものとなりますように。
アイリーンの未来がヴァスハディア帝国で変わりますように。
そう願いながら、エルヴィラはアイリーンの帝国行きを許可したのだ。
きらきらとまぶしい光に気づき、エルヴィラは足を止めて光がするほうに目を向けた。
窓の外にはいつものと変わらない、静謐さをたたえた湖が広がっていた。竜神が眠ると言われる湖が。
その湖面に太陽の光が反射して輝いている。
今日もいつもと変わらず、湖は穏やかだ。
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