第五章 選択の刻

第25話 令嬢の襲来 1

 アイリーンが目を覚ますと、正午をとっくにまわっていた。

 寝室には誰もいない。

 ジェラルドが休みとってからこっち、アイリーンはほとんどの時間をジェラルドの私室で過ごしている。服装だってだらけきっていて、今日なんてジェラルドのシャツを羽織っているだけだ。そのシャツ姿のまま、アイリーンはそっと居間へ続くドアを開いてみた。

 居間にも人の気配がない。


「ジェラルド?」


 呼びかけてみても、返事はない。

 と、その時である。

 ノックというにはけたたましい音で、居間のドアが叩かれた。


「アイリーン様、起きていらっしゃいますか?」


 マリエの声だ。どことなく切羽詰まっている。


「何?」


 アイリーンは慌ててドアに近づくと、そっとドアを開いた。


「ああ、よかった。起きていらっしゃいますね」

「……な、何?」


 アイリーンはドアを細く開けて対応したのだが、マリエによってバッと開かれた。自分の服ではなくジェラルドの服を羽織っている姿を見られるのは、猛烈に恥ずかしい。


「実はアイリーン様に会いたいというお客様がいらっしゃっているんです。急いでお支度を」


 真っ赤になって縮こまったアイリーンを意に介するともなく、マリエがまくしたてる。


「えっ? 僕に会いたい人……?」


 一番に思い浮んだのは、竜の国からの使者だ。姉は定期的に使者を寄越すと言っていた。姉が持たせてくれたお香はひと月分くらいと言っていたから、タイミング的にはちょうどかなと思う。


「はい。ヴァイス公爵のご令嬢、レティシア様です。公爵令嬢ですから、あまり長くお待たせすることができません。コンスタンツェ様がギャラリーで時間稼ぎをしてくださっていますから、できるだけ急いで!」

 だが、マリエの口から飛び出してきたのは予想外の人物だった。


 ――ヴァイス公爵のご令嬢って確か、ジェラルドの縁談相手だよね。


 ジェラルドはこの縁談を嫌がっていたが、コンスタンツェは乗り気だった。とても面倒な気配がする。


 ――まさか僕に宣戦布告とか……?


 うわああどうしよう。

 アイリーンが内心で焦っているとは知る由もないマリエは、アイリーンの腕をつかむと部屋から連れ出し、風呂場に押し込んだ。嫌がるアイリーンに有無を言わせず洗い上げると、ものすごい早さで支度を整える。


「これ……?」


 手渡された服に袖を通して気が付いたが、デザインこそアイリーンにとっておなじみのチュニックと細身のズボンであるものの、アイリーンが見たこともない華麗な刺繍が施された生地で仕立てられてある。持参してきたものじゃない。


「ジェラルド様が急ぎご用意されたものですよ。アイリーン様のお洋服の数が少ないので」

「うう、それはどうも」


 確かに最低限しか持ってきていない。ジェラルドに気を遣われたらしかった。

 帝国風の華やかな模様が入っているので、チュニックとズボンといういで立ちであってもじゅうぶん、立派に見える。生地ひとつでこんなに雰囲気が違うものなのかと、アイリーンは驚いた。


「お似合いですよ」


 マリエは頷き、再びアイリーンの腕をつかんで足早に廊下を移動していく。


「お待たせしました、アイリーン様をお連れしました」


 建物の西側、コンスタンツェのエリアにあるギャラリーにて。マリエが声をかけると、その奥にいた二人の女性が振り返る。一人はコンスタンツェ。もう一人は、絢爛豪華としか言いようがない装いの美貌の女性。

 黒い巻き毛は高く結い上げて、きらきらとまばゆい輝きを放つ髪飾りが差し込まれている。ドレスは、目の覚めるような鮮やかな緑色の生地に、前身ごろは淡いオレンジ色のリボンをいくつも重ね、袖には繊細なレースが幾重にも、裾には豪華な刺繍とともに赤やピンク、オレンジなど色とりどりのバラがあしらわれたデザイン。裾が大きく膨らんでいることもあり、なんとも華やかだ。

 それほど贅を尽くしたドレスであっても、彼女自身の美貌がかすむことはない。見事だった。


「あたしはここまでです。ここからはお一人で行ってください」


 マリエに促され、アイリーンは若干こわばりながら足を進めた。


「あなたが竜の国のアイリーン姫?」


 ヴァイス公爵令嬢レティシアが、じろりとアイリーンを見つめてくる。


「そ……そうですけど」

「ちょっと、アイリーン! 失礼な物言いをするものではありませんよ。こちらは」


 慌てたコンスタンツェを遮り、レティシアが微笑む。親しみのこもらない、冷たい微笑だった。


「わたくしはレティシア・ガラ・ヴァイス。あなたにお話があって来ましたの」


 レティシアがつかつかとアイリーンの前に歩いてくると、上から下までじろりと眺める。


「わたくしは自己紹介をしましたわよ。名乗らないなんて失礼ではなくて?」


 そして睨まれた。


「私は竜の国の女王エルヴィラの妹、アイリーン。どうぞお見知りおきを」


 アイリーンはにっこりと笑って、かつて神官長に叩き込まれた「女王の妹」らしい口調で名乗った。

 その様子を見てまたレティシアが顔をしかめる。


「帝国に輿入れしてきたというわりに、作法がなっていないわね。コンスタンツェ、あなたはどういう躾をしているのかしら。嫁をきちんとしつけるのも姑の務めではなくて?」

「そ……それは……。私のほうでもしつけをしたのですが、力及ばず」


 コンスタンツェがうろたえる。それはそうだろう、使用人として扱われた覚えはあってもこの家の嫁としてのしつけを受けた覚えはない。

 だが粗相をしたわけでもないはずだが、なぜこの人はこんなに怒るのだろう。

 まあ、何をしても難癖をつけてくる人はいるものだが。


「まったく。これだから色つきの一族はだめなのよ。ジェラルド殿下も武人としては優れているのに、こんなわけのわからない小娘を選んで妻にするなど……あなたの血のせいでしょうね、コンスタンツェ」

「も、申し訳ございません」

「ジェラルド殿下と結婚すれば、わたくしは色付きの血が入っている子を生まなくてはならなくなるのね。おぞましいわ。もちろん、わたくしが正妻になるのよ」


 レティシアがさも当然のように言う。


「色付き」がなんなのかわからないものの、レティシアは色付きへの侮蔑を隠そうともしない。

 おそらくは帝国の民族ヒエラルキーの最上位以外の民族のことを指しているのだろう。この国の一部の人には優越思想があることは知っている。

 そういえばマリエが「コンスタンツェもその他の民族」と言っていた。

 コンスタンツェもアイリーンを見下す態度をとっているので、ヒエラルキー上位だと思っていたのに、違ったのか?


 ――最上位じゃないから? ジェラルドに半分、最上位じゃない血が流れているから?


 そんな理由で、この人はジェラルドの子どもをおぞましいというのか?

 レティシアのその言葉に、アイリーンは震えが出るほどの怒りを覚えた。

 何がおぞましいというのだ。ジェラルドはアイリーンを見下さなかった。竜の国を美しいと言ってくれた。彼は生まれなどで人を差別しない。それに彼はこの国を守るために最前線に身を置いている。彼のほうが最上位生まれのレティシアよりよっぽど、よっぽど、尊敬できる。

 それにこっちは、どんなに願ってもジェラルドの子どもを生むことはできないというのに!


「その言葉、ジェラルドのお母様に対してあまりにも失礼ではありませんか」


 アイリーンは拳を握り締めたまま、レティシアを睨みつけた。


「何が失礼なの。色付きの血が入ることは事実でしょう。いいこと? わたくしにはルーシス以外の血は入っていないの。せっかく優れた血を受け継いだのに、ジェラルド殿下が純血でないばかりに」

「血によって人の優劣はつきません」


 アイリーンはレティシアを遮り、言い返した。


「努力し、行動を起こした者が勝つのです。ジェラルドは努力し、行動したからよその国からも認められる将軍になった。ルーシスの血筋だからじゃない」

「何を言うの。もともと皇子だから優遇されて昇進したのではなくて? ルーシスの血の恩恵以外の何物でもないわ」


 レティシアがばかにしたように言う。


「血だけで誰でも優秀な武人になれるわけではありません。血が優れているのではなく、ジェラルドが優秀なんです」


 アイリーンの剣幕に、レティシアが鼻白んだ顔をする。


「あなたがジェラルド殿下をすごーく好きなことはわかったわ。ふふ、あの方、見た目はかっこいいものね。それに、戦災に遭ったかわいそうな人たちを保護する活動もしていたわ。恵まれない人たちにはお優しいのよ。たぶんあなたのこともそう、遠くから人質として差し出された上に陛下の不興を買ってかわいそうだから、保護したのでしょう。妻として迎える、というのはやりすぎのような気もするけれど」


 口ぶりからしてレティシアは、アイリーンがどういう経緯でここにいるのか、知っているようである。


「竜の国の力は我が帝国に遠く及ばない。あなたは身をわきまえなさい」


 レティシアがぴしゃりと言う。

 なるほど、ジェラルドが避けたがるわけだ。


「言いたいことはそれだけですか? あなたと私は価値観がだいぶずれているみたい。私からはもう何も言うことはないので、気が済んだらお帰り下さい」


 正面から相手にしても時間の無駄だろうなと思い、アイリーンは静かな口調でレティシアに告げた。


「……っ。生意気ね、本当に……! おまえになど指示される謂れはないわ。コンスタンツェ、目障りなこの娘をつまみ出してちょうだい」


 自分から呼びつけておいて目障りとはずいぶんではないか。と思ったが、これ以上怒らせても面倒なのでアイリーンは黙っておくことにした。

 レティシアがコンスタンツェを振り返る。

 だが、コンスタンツェは動かない。


「……どうしたの、コンスタンツェ」


 レティシアが怪訝そうな顔をする。コンスタンツェはしばらくそのまま動かなかったが、意を決したようにレティシアに向けて顔を上げた。


「わかりました。レティシア様のお帰りです。馬車の用意を!」

「コンスタンツェ?」


 つまみ出せと命じたのはアイリーンであって、レティシア自身が帰るとは言っていない。驚くレティシアを無視してコンスタンツェは執事を急かす。


「どういうつもりなの、コンスタンツェ。わたくしに逆らう気?」

「とんでもございません。愚息の嫁が失礼をいたしましたので、これ以上レティシア様のお心を煩わせるにはいかないと思った次第でございます。一刻も早くお屋敷にお帰りいただいたほうがよろしいかと」


 愚息の嫁。

 今、自分のことを嫁と言ってくれた? コンスタンツェが? 嘘でしょ?

 アイリーンは驚きのあまり、目が真ん丸になってしまった。

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