第26話 令嬢の襲来 2

「だったら、わたくしではなくその娘を追い出すべきでしょう。なぜ娘ではなくわたくしが出ていかなければならないの」


 レティシアが眉を吊り上げる。


「この娘は、我が子ジェラルドが皇帝陛下より身柄を預かっている娘。追い出すことはできません。さらにジェラルドが妻として迎える心づもりでおりますので」

「……どういうこと? まさかあなたまでわたくしに逆らう気? お父様に言いつけるわよ」


 その言葉に、アイリーンは思わず噴き出した。レティシアがキッとアイリーンを睨みつける。


「おまえ、笑ったわね。どういう了見なの。侮辱と受け取るわよ」

「レティシア様はかわいらしいなと思って。そのように威張り散らしていると、せっかくの誇り高き血の価値が落ちてしまいますよ。威張ることと権威性を保つことは同等ではないもの。そのあたりの認識は改めたほうがいいと思います」

「おまえ、いいかげんにしなさい! わたくしに意見できるのは許可した者だけよ!」


 レティシアが手を振り上げる。

 アイリーンは一歩下がり、レティシアが振り下ろしてきた手をかわした。武術というほどではないが、多少の心得はある。そんなアイリーンからしてみたら、レティシアの動きを見切ることは容易だった。


「……おまえ!」


 それがレティシアの怒りをさらに煽ったらしい。レティシアは髪の毛から飾りを一本引き抜き、アイリーンに向かって突進してきた。飾りの先は鋭く尖っている。

 再びかわそうと身を翻したら、すぐ後ろに立っていたコンスタンツェとぶつかってしまった。バランスを崩して二人して倒れ込んだところ狙いすましたかのように、レティシアが髪飾りを振り下ろしてくる。

 鋭い痛みが、顔をかばった左の腕に走った。


「ほほ……血の色は赤いのね、竜族の娘!」


 アイリーンは血だらけになった左腕を反対側の手で押さえた。ぬるりと感じるほど血があふれてくる。


「竜族の血はどんな病も治す妙薬になるそうね。そういう謳い文句の胡散臭い薬なら見たことがあるわ」


 レティシアがずいと近づいて、傷をかばっているアイリーンの腕をはぎとった。


「おまえは本物らしいから、高く取引されるんじゃないかしら」


 レティシアが傷口に人差し指を這わせる。ご丁寧にぐりっと長い爪を傷口にめり込ませることも忘れない。痛みにヒッとなったが、レティシアの行動そのものは突然すぎて身動きすることができなかった。


「……おまえの言う通り、おまえとわたくし、血の色に変わりはないようね。でも覚えておきなさい、帝国内で血筋はもっとも重要視されるもの。同じ色でも価値は全然違うのよ」


 指先についた血を親指と人差し指をこすりあわせて伸ばしながら、レティシアが凄みのある冷笑を浮かべる。


「ここでのことはお父様に報告します。わたくしを侮辱して無事でいられると思わ……」


 突然、レティシアが顔をこわばらせた。


「なに……これ」


 レティシアが怯えたような声を出す。見ればアイリーンの血に触れた指がどんどん黒く変色していっているではないか。まるで炭のように。


「何……なんなの、これ!?」


 レティシアが驚いたように腕を振ると、その衝撃で黒くなった指先が欠けて落ちた。


「いや……いやあああ!」


 レティシアが悲鳴を上げる。そうこうしている間にも腕はどんどん黒くなり、肘を通り越して今は二の腕まで染まっていた。


「……何をしたの、おまえ。何者なの、おまえ!」


 ものすごい形相でレティシアが叫ぶ。


「い、今、人を……!」


 コンスタンツェが慌てたように大声を出して使用人を呼ぶ。ほどなくして、先ほど馬車の準備を命じられていたバークがレティシアの従者とともに姿を現し、レティシアは従者に抱きかかえられるようにしてジェラルドの屋敷をあとにした。

 それはわずかな間のできごと。アイリーンは身動きひとつできなかった。そしてギャラリーには、コンスタンツェとアイリーンが残された。


「……手当をしなくてはならないわね」


 しばらくして、コンスタンツェが血の滴るアイリーンの腕を見て呟く。

 声をかけられて我に返る。


 竜族の血は竜族以外には猛毒。そう言われていたけれど、竜族同士では特に問題がないから、どんなふうに毒になるのか目の当たりにしたことはない。自分の血の威力を見せ付けられ、アイリーンはようやく竜族の血の恐ろしさに気が付いた。

 姉は、閨では気をつけなさいと言っていた。レティシアが触れた血の量は多くない。数滴といってもいい。それなのにあの威力。もしかして、自分はジェラルドに相当危ない橋を渡らせてしまったのではないか。


「自分でやります。僕の血は、竜族以外は触れることができないから。では、失礼します」


 アイリーンは青ざめながらそう言って軽く頭を下げ、ギャラリーのドアに向かった。


「さっき」


 何歩も行かないうちに、背後からコンスタンツェの声が飛んでくる。


「ジェラルドを庇ってくれたことは感謝するわ。……血は関係ない。あなたは、本気でそう思っているの?」

「思っています」


 アイリーンは振り返って、コンスタンツェの顔を見返した。

 どこか思いつめたような表情のコンスタンツェがそこにいた。


「どうしてそう思うのか、聞いてもいいかしら」

「ルーシス族がそんなに優れているのなら、世の中はルーシス族でいっぱいになっていると思うもの」

「この国の上層部はすべてルーシス族よ」

「……ルーシス族が優れているなら、その他の民族はすべて駆逐されて、上も下も全部ルーシス族になっているはず。でもそうじゃないでしょう。労働者階級はルーシス族ではないし。それに、この家の使用人たちがさっきのご令嬢に劣っている気はしません。気遣いはできるし、仕事ぶりは丁寧だし、よっぽど」


 レティシアより……と言いかけて、さすがに言い過ぎかとアイリーンは言葉を飲んだ。

 アイリーンの言いたいことがわかったのか、コンスタンツェがふふ、と小さく笑う。


「その通りね」


 コンスタンツェの好意的な言葉に、アイリーンは驚きのあまり、再びぽかんとなってしまった。

 さっきもアイリーンのことを嫁と呼んだ。

 どういう風の吹き回しだろう。蛮族の娘を嫁にするなんて絶対に許さないと、あれほど強固な姿勢を見せていたのに。


「ところで、竜族の血には不思議な力があると聞いているわ。しょせん噂だと思っていたけれど、どうやら本当のようね。ジェラルドに悪影響が出たりはしないでしょうね?」


 突然の話題変換。コンスタンツェが不意に怖い顔をする。


 ――ああこの人は、ジェラルドが心配なんだ。ジェラルドのお母さんなんだ。この人の判断基準はジェラルドにあるんだな……。


「それは大丈夫。ものすごく気を付けているから」


 アイリーンがそう返せば、「ものすごく、ねえ」とコンスタンツェは意味深に呟いた。


「まあとにかく、私たちはヴァイス公爵には目をつけられたと見ていいでしょう。面倒なことになったわね」

「……ごめんなさい」


 アイリーンが素直に謝ると、コンスタンツェはひらひらと手を振った。


「息子があなたを連れ帰った時に、いやな予感はしたのよ。まったく女の気配がなかったあの子がお付き合いをすっ飛ばして、あなたを娶ると言い出したんですからね……もういいわ、部屋に下がりなさい。ああ、ジェラルドの部屋でいいわよ。手当は自分でするんだったわね? すぐに薬と包帯を届けさせるわ」


 コンスタンツェはそう言うと、アイリーンを置いてさっさとギャラリーから出ていった。

 アイリーンも続いてギャラリーを出る。コンスタンツェがマリエに対して指示を出している姿が見えた。マリエはギャラリーのすぐ外に控えていてくれたらしい。


 ――高い地位の人を傷つけてしまったな。


 アイリーンはジェラルドの部屋に向かいながら、溜息をついた。

 竜族の血は竜族以外には毒。竜の国でたまに起こる事故のことを思い出す。

 人に噛みついて血を舐めてしまった家畜は、殺処分されるのが常だった。ただ、アイリーンはその様子を見たことはない。だから、少しだけ血を浴びたレティシアがどうなるのかわからない。

 ただ、なんらかのお咎めがあるのは間違いない。


 ――僕の存在が、ジェラルドを邪魔しませんように。


 我ながら薄情だと思うが、心に浮かぶのは祖国でも姉でもなく、ジェラルドのことばかり。

 身内以外で初めて、アイリーンのことを出来損ないではないと言ってくれた人。アイリーンを大人の女性として扱ってくれた人。決して手に入らないと思っていた、つがいと過ごす日々を疑似体験させてくれた人。……頭ではジェラルドがアイリーンのつがいになり得ないとはわかっているが、アイリーンにとってジェラルドはつがいも同然の、唯一の存在。


 ジェラルドと過ごしている間は舞い上がっていたが、冷静に考えてみると自分はジェラルドにとって問題だらけの存在だ。

 第一に、子どもが生めない。妻としては失格だろう。

 第二に、二十歳までしか生きられない。

 ジェラルドのためになる要素が何一つないではないか。その上、レティシアを傷つけるという、ジェラルドの立場を悪くするようなことまでしてしまった。

 ジェラルドのことを大切に思うのなら、咎は自分一人で引き受けて、ジェラルドとは縁を切るべきだろう。彼の立場を悪くするわけにはいかない。ジェラルドを必要としている人は多い。


 ――どうしよう……どうすればいいんだろう。


 ここにいることはできない。

 でもどこに行けばいいのかわからない。

 自分がジェラルドを追い詰めるかもしれないなんて、最悪だ。

 アイリーンは目の前が暗くなる思いだった。

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