第16話 アイリーンの波乱万丈な帝都生活三日目

 翌朝、アイリーンは実によく寝てすっきりとした目覚めで起きてきた。なぜか大きなベッドに寝ている。ジェラルドが運んでくれたのだろう。じゃあジェラルドはどこで寝たのだろうか?

 ふと気になって自分を見下ろしてみた。へそが出ている。


 ――……まあ、いいか。


 何かされていたとしても、特に影響があるわけではない。何しろこの体は子どもなので。

 さて、そのジェラルドだが、寝室にはいない。アイリーンはベッドから抜け出すと、続きの居間を覗いてみた。……誰もいない。

 外を見れば、太陽はずいぶん高い。


 ――うーん、これは、寝過ごした?


 屋敷の中は静かだ。遠くで人の気配がするが、何をしているのかわからない。ここで何をすればいいのかもわからない。


 ――まあ、とりあえず着替えるか……。


 アイリーンは寝室の片隅に置いてある長持を開けた。竜の国で普段着にしていた半袖のチュニックと七分丈のズボンに着替え、居間に移動する。


 居間のテーブルの上には、一枚の紙とピッチャー、そしてグラスが置いてあった。ピッチャーの中には柑橘系の果実が浮いた水がたたえられている。もともとは冷えていたのだろう、ピッチャーには水滴がいくつもついていた。

 グラスに注いで飲んでみる。少しぬるくなっているが、柑橘のさわやかな風味がおいしい。

 空になったグラスを手にしたまま、置いてあるメモ書きに目を落とす。


『しばらく仕事で留守にする。五日程度で戻ってこれると思う。退屈かもしれないが屋敷から出ないようにして過ごしてほしい。中では自由にして構わない。わからないことは屋敷の人間に聞いてくれ。 ジェラルド』


「そんなにうまくいくかなあ」


 昨日のジェラルド母の様子を思い浮かべ、アイリーンは首をひねった。

 まあいい。おなかがすいている。何か食べるものがほしい。ジェラルドのメモが残っているのだから、何か分けてもらえるだろう。いまいち自分の立場がわからないが。

 グラスを置き、証拠品のつもりでメモを折りたたんでポケットに入れると、アイリーンはジェラルドの部屋から外に出た。


 音のするほうに向かって歩いていけば、昨日、ジェラルドが母親と押し問答をした玄関ホールに出る。そこで、掃除をしているお仕着せ姿の女性たちに出会った。


「おはようございます」


 一応声をかけてみる。アイリーンの声に気づいた彼女たちは振り返ったが、すぐに視線を戻して作業に戻ってしまった。


 ――ははーん、そういうことかあ……。


 使用人たちには、ジェラルドの指示よりも優先される指示が存在するようだ。


「ねえ、ちょっと聞いてもいい? おなかがすいたから食べるものがほしいんだけど、どうしたらいいの?」


 ニコニコしながら一番近くにいた小柄な娘に聞いてみる。そばにいたメイドたちはそそくさと離れていき、残された娘は作業を止め、雑巾を手にしたまま困惑したように顔を上げた。


「た、食べ物は……厨房に行けばあるかと」

「そう。厨房はどっち?」


 アイリーンが問うと、彼女がそっと屋敷の奥を指さした。


「ありがとう。邪魔して悪かったわ」


 アイリーンはにっこり笑うと、教えられた方向に向かった。

 それにしてもこの屋敷は広い。竜の国の神殿くらいの大きさがありそうだ。

 すれ違う使用人たちが全員ぎょっとしてアイリーンを振り返る。招かれざる客かもしれないとは思っていたが、これは「かもしれない」ではなく「確定」のようだ。


 においがするので、厨房はすぐに見つかった。中を覗けば昼の用意をしているのか、料理人たちがせわしなく動き回っている。


「すみませーん」


 遠慮なく大きな声を出すと、中にいた人間がそろって振り返る。


「本日からお世話になるアイリーンです。宜しくお願いします! 食べるものを分けていただきたいのですが!」

「ジェラルド様からは、あんたに食事を出すように言われているんだが、執事殿からは、あんたのぶんは用意しなくていいというお達しが来ているんだよ」


 中から恰幅のいい中年男性がのそりと現れ、言い放つ。

 厨房の責任者だろうか。でっぷりとしたおなかがカエルっぽいので、こいつのことは「カエルおじさん」と呼ぼう。


「へえ~~~~。これ、これ見てよ。ジェラルドの署名入りだよ」


 アイリーンは先ほどのメモをカエルおじさんに示した。おじさんが寄ってきてメモに目を走らせ、「ふむふむ」と頷く。


「ジェラルド様はこの家の主人だ。だが執事殿は俺たちの上司で、命令は絶対だ。この屋敷を取り仕切るのは、ジェラルド様ではなく、ご母堂のコンスタンツェ様だからな。ジェラルド様は軍務で、ほとんど不在でなァ……」


 まあ、そんなことだろうと思った。


「じゃあ、そのコンスタンツェ様とやらは僕が飢え死にしても全然構わないんだ? 僕は一応、竜の国のお姫様だけどね?」


 メモをポケットにしまいながら意地悪く聞いてみると、カエルおじさんはニヤニヤと笑った。


「構わねえんじゃないか?」

「僕に何かあって竜の国が離反したら、ジェラルドのやろうとしていることにも影響が出ると思うけど、コンスタンツェ様とやらはそのあたりまでお考えなのかな~」


 言いながら、アイリーンは厨房を見渡した。

 野菜の山、ぶら下がった肉、大きな調理台。お仕着せにエプロンをつけた女たちが隅っこに座り込んで、何か作業をしている。……片隅にある白いものは昨日も見た。あれはパンだ。その隣にあるのはチーズか。うん、それだけあればいいか。


「さあな。……仕事の邪魔だからそろそろ出て行ってくれないかね?」


 カエルおじさんの言葉にうんうんと頷きながらアイリーンは厨房に入り込むと、パンをいくつかにチーズをつかんだ。


「あっ」


 誰かが叫ぶがそれを無視してアイリーンは厨房から飛び出し、元来た道を駆け抜けていった。

 玄関ホールを過ぎ、ジェラルドの部屋の手前で一度振り向いてみる。誰も追いかけてきてはいない。


 ――こんなことなら、夜中に忍び込んだほうが楽かな~。


 足を緩め、廊下を歩きながらアイリーンはつかんできたパンにかじりついた。

 竜の国でもパンを焼くが、もっと硬くてボソボソしている。この国のパンはやわらかくておいしい。竜の国では手に入らない材料が混ぜ込まれているのだろう。


 豊かな国はそれだけいろんなものを誰かから奪っている。ゲルトの言葉を思い出す。

 冷えた水を用意できる。果実を浮かべられる。やわらかいパンを食べられる。手の込んだ料理を出せる。アイリーンは廊下の窓から外に目をやった。まばゆい夏の光があふれた庭園が広がっている。ヴァスハディア帝国は豊かな国だと思う。豊かさの理由……。

 この国の人は、きっとそんなことは考えていないんだろう。




 ジェラルドの部屋に戻ってパンとチーズをテーブルの上に並べ、三等分する。残念ながらパンは半分ずつ、チーズも手のひらに乗るサイズになってしまった。これではおなかがすくだろうな。深夜、厨房で何か見繕うか。

 朝食分をわずか数分で食べ終え、すっかりぬるくなった果実水を飲みほしたところで、ノックもなくいきなりドアが開いた。


「まあ、図々しい! この部屋はジェラルドのもの、すぐに出ていきなさい!」


 入ってきたのはコンスタンツェだった。その後ろに昨日、玄関で見た「バーク」と呼ばれていた男――彼がきっと執事なのだろう――と、男性使用人が二人ほど控えている。

 おお、実力行使に出てきた。


「出て行くのは構わないんだけど、僕は国と国との取り決めでやってきている人間なんだ。僕を勝手に殺したりすると、ジェラルドの立場がすごくまずくなるけど大丈夫?」


 アイリーンの言葉に、コンスタンツェが顔をしかめる。竜神、云々については信用していないらしいが、アイリーンの立場のことは思い出したらしい。


「……この屋敷の主は私です。仕事をしない者を置くことはできないの。仕事をするのなら片隅に置いてやってもいいわ。でもこの部屋はだめよ」

「部屋はどこでもいいよ、別に」


 アイリーンの言葉は気に障ったらしい。コンスタンツェが青筋を立てる。


「では早速移動しなさい。そのあとはバークの指示に従うこと」


 カエルおじさんの上司の指示に従うということは、アイリーンはカエルおじさんと同列になるということか。


 ――気に入らないから使用人扱いなんて、イビリの王道すぎてつまんないなあ。


 男性使用人がアイリーンの長持を持ち、バークに促されてアイリーンはジェラルドの部屋を出た。もちろん厨房から持ってきたパンとチーズも忘れずに。

 向かう先は屋敷の奥、小さなドアの向こう側の世界。


 華やかな屋敷にはドアに隔てられて「表」と「裏」があることを知った。ドアの向こう側は使用人たちの居住区だった。

 廊下は狭く、小さなドアが並んでいる。

 アイリーンはその角っこの部屋を与えられた。長持とともに放り込まれ、昼からは庭の掃除を指示される。きちんと仕事をすれば夕食を出す、その場合は使用人用の食堂を使えとのことだった。


 すぐに執事と使用人たちは部屋を出ていき、アイリーンはぽつんと使用人部屋に残された。

 見回してみると、長く使われていない部屋だということがわかる。理由は、崩れかけた天井だろう。漏水のあとがある。理由は不明ながら、水漏れ被害が出たので使用禁止になった部屋なんだろうなと思った。


「ひどい扱いだなー」


 ほこりっぽいベッドに座り、アイリーンは笑った。

 エルヴィラが女王になってからは神殿住まいになったものの、その前に家族と住んでいた家は一般的な民家だったので、このほこりっぽさにはむしろ懐かしさすら感じる。さすがに漏水で壁がはがれたりはしていなかったけれど。


 ――昨日の女官といい、あの人(※コンスタンツェ)といい、執事といい、僕がずいぶん下に見られていることは間違いないな。そうなると普通に接してくれるジェラルドって、この国の基準では相当に変な人なんだな。


 しばらくして、メイドの一人がシーツと枕と掛け布団を持ってきてくれた。

 玄関でアイリーンの問いかけに応じてくれた、小柄なメイドだった。

 貧乏くじを引かされたんだろう。おどおどしているので、申し訳なくなった。彼女に礼を言い、シーツ類を受け取れば、そそくさと帰っていった。


 ベッドをセッティングしたところで再び先ほどのメイドが呼びに来た。ついてこいと言うのでおとなしくついていけば、屋敷の表側に広がる庭園に連れていかれ、草むしりを頼まれた。


 適度にサボりつつ草をむしり、日が暮れたので屋敷に戻ってみる。使用人食堂に行けば誰もいない。話が違うじゃないか、と憤慨しながら厨房を覗くと、カエルおじさんに「使用人の食事はコンスタンツェ様の夕食が終わってからだ」と言われてしまう。


 ずっと草むしりをしていて目が回りそうなほど空腹なんだと訴えたら、パンとチーズとハムの切れ端をもらえた。

 それを部屋に持ち帰って食べ、コンスタンツェの夕食が終わり使用人たちの食事が始まるのを待っていたが、疲れのあまりに寝てしまい……。

 目が覚めたら、夜半をまわっていた。


「くそう……」


 窓の外からの星あかりを頼りに食堂を覗いてみたが、当然、何も残っていない。こうなったら何か盗んでやるか、と厨房に向かったら、大きな調理台の片隅に一人分のスープとパンが置いてあった。


 ――これはあれだな、絶対に僕のぶんだな!? そういうことにしておくぞ!


 それを一人でかき込んでいたら、なんだかおかしくなってきた。お客様として扱われるより、よっぽど楽しい。やることがあるというのはいいことだ。


 ――まあ、こんな生活でも構わないんだけど、この生活で国は守れるのかなあ?


 一番気になるのはそこだ。


 ――ジェラルドが帰ってきたら聞いてみるか。


 それ以外に知りようがないし。


「あー、足りない」


 空になった器を置き、アイリーンは呟いた。しかたがないので、厨房の隅にある水がめから水を飲む。たらふく飲んだら、なんだかおなかがいっぱいになったような気がする。

 そして再び星明りを頼りに部屋に戻る。


 こうしてアイリーンの波乱万丈な帝都生活三日目は終わったのだった。

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