第17話 将軍は花嫁が気になってしかたがない

 ぐうぐうといい気持ちで寝ているアイリーンを置いて屋敷を出てきた。見送りに出てきた執事のバークと母にはしつこく「アイリーンの世話を頼む」「彼女を尊重するように」と言いつけてきたが、バークはともかく母はその対応に不満そうだった。

 母が何をしでかすかわからないが、自分が戻るまでアイリーンが持ちこたえてくれることを願うばかりだ。彼女の性格からすると、少々のことでへこたれない気はするが。


 ジェラルドに下された「竜の国を手に入れろ」という命令の第一段階、アイリーンこと竜の国の姫の護送の役目は終えた。今後は段階を追って竜の国の国土そのものを手に入れていく。

 急ぐ必要はない。竜の国にとって大切な姫は、こちらの手の中だ。


 すぐにでも司令部のあるリーウベルフに戻りたかったが、あいにく宰相で父の腹心でもあるヴァイス公爵から呼び出されたため、宮殿へ向かう。


「ご用件はなんでしょうか?」


 ヴァイス公爵の部屋に顔を出し、ジェラルドは挨拶もそこそこに本題を切り出す。小柄だが痩せて目付きが鋭く、油断のならなさがにじみ出ている。皇帝の命令を忠実に実行する、皇帝一番のお気に入り。

 ジェラルドを亡き者にする作戦がうまくいかないので、娘を嫁がせて言うことを聞かせようという作戦に切り替えたのはヴァイス公爵だろう。ジェラルドを言いなりにできれば皇帝へのアピールにもなるからだ。


「竜の国の姫をもらい受けたと聞いたが、本当か?」

「ええ、本当ですよ」


 ジェラルドは頷いた。

 昨日、アイリーンをもらい受けると皇帝に直談判したのには理由がある。ヴァイス公爵が不在だったのだ。


 ヴァイス公爵がいれば屁理屈をこねて、アイリーンを手元に置くことはできなかったはずだ。何しろヴァイス公爵は自分の娘をジェラルドの妻として送り込もうとしているのだから。

 アイリーンにキスマークをつけたのは、皇帝から興味を失わせるためだ。案の定、皇帝はアイリーンに興味を失い、それどころか「出来損ないを送りつけてきて」と怒り出す始末。約束を違えた罰として今すぐ娘の首をはね、国を攻撃しろと言う皇帝をなだめるのは骨が折れた。


 昨日、ヴァイス公爵が不在だったのはまったくの偶然なのだが、本当に幸運だった。

 その代わり、今、つかまっている。


「何か思惑があってのことか、ジェラルド将軍。竜族の血には不思議な力が宿ると言われている。陛下に献上されるべき娘をかすめ取るなど、痛くもない腹を探られる理由になりかねんぞ」


「そのような思惑はありません。女王の妹ながら陛下のお側に上がるのに不適切な娘だったゆえに、私が引き取ったまで。ちなみに普通の娘ですよ。不思議な力など持ち合わせてはいないようです」


「あくまでも噂だからな。……竜の国は我々の戦略にとって重要な地域。その国の姫を手に入れるということは、戦力拠点を掌握したいともとれる。将軍である貴殿が戦力拠点の掌握など、離反の可能性をちらつかせているようなもの。疑われるような行いは慎むべきだろう」


「……恐れながら、なぜ私が竜の姫を手に入れると、離反の可能性が出てくるんです? そもそも、竜の国を手に入れろというのは皇帝陛下が私に与えた任務。私はそのために手を尽くしているところです。竜の国の掌握はこの国のためにも、喜ばしいことのはずですよ」


 なぜ竜の国を掌握することが離反の可能性につながるのだと睨めば、ヴァイス公爵が黙り込む。


 ――俺が離反すると思っている、ということだな。竜の国と結託して。


 ジェラルドは目を細めた。わかりやすい試金石だ。気をつけなければ。


「……そなたには我が娘レティシアとの縁談を申し込んでいたはずだが」

「ええ」

「そのレティシアを差し置いて違う娘を迎え入れるというのは、どういう了見なんだ」

「……私には、遠い異国から連れてきた責任がありますから。姫の姉君、エルヴィラ猊下からもくれぐれもよろしくと頼まれておりますし、もし約束を違えるようなことがあれば竜を呼び出し、帝国を水浸しにするとも言われておりますし」

「今からでも女王を連れ出せないのか」


 油断のならない目つきでヴァイス公爵が聞いてくる。


「難しいでしょう」

「ナメた真似を。それにしても貴殿が女王の妹を引き取る理由はなんだ? 我々に盾突いた娘など、どこかに閉じ込めておけばいいだけだろう」

「先ほども申し上げた通り、竜の国と交渉を行うのは私だからです。竜族の姫を懐柔しておいたほうが有利になるのは間違いない。話が通じない相手でもありませんし、私ならいざという時に対応できる」


 ジェラルドは形式的なものとはいえ、武人として腰に帯びている剣の束に手をやった。ヴァイス公爵の視線がジェラルドの剣に向く。

 ジェラルドは武術会で何度も優勝している。異論はないようだ。


「今回の件は急に決まったもので、ヴァイス公爵及びレティシア嬢に連絡が遅れたことは申し訳なく思います。私の対応がお気に召さないようなら、縁談は取り下げていただいても結構。……そもそもレティシア嬢には、北部の田舎暮らしなど性に合わないでしょうし。それでは急ぎますので、このあたりで失礼します」


 当てつけのように付け加え、ジェラルドは軽く頭を下げるとマントを翻した。




 ヴァイス公爵の娘レティシアとは、仕方なしに参加した夜会の催しなどで何度か顔を合わせたことがある。今年で二十一歳になる、華やかな雰囲気の美しい女性だ。

 話題もファッションも帝都の流行の最先端を取り入れており、社交界の真ん中で大きく咲いている花。父親が皇帝の腹心ということで多くの人が群がる。自分の価値をわかっている。


 そのレティシアが、皇帝だかヴァイス公爵だかの指示で持ちあがったジェラルドとの縁談を毛嫌いしている、というのはあらゆるところで噂されており、社交界とは距離を置くジェラルドにすら聞こえてきていることだった。

 皇子との結婚が求められているのならジェラルドである必要はない、と言っているらしい。その理由が、ジェラルドが北部軍の司令官であること。武人であるため立ち居振る舞いが野暮ったいこと、普段は帝都にいないため社交界での存在感が薄いこと。レティシアはジェラルドを「わたくしの価値を知らない男」と評しているようなのだ。


 確かにジェラルドは普段から帝国北部リーウベルフの北部軍司令部にいる。帝都から遠く、冬は雪と氷に閉ざされる田舎町だ。帝国の北側にある小さな部族が集まってできている氷狼連合からの侵入を防ぐ防衛の拠点ではあるが、帝都の華やかさなどはどこにもない。

 物理的にも立場的にも、ジェラルドは帝都の社交界とは縁がない。年に何度か、軍関係や身内の催しなど断れない誘いの時に顔を出す程度だ。

 帝都の貴族階級の中で確固たる地位を確立しているレティシアには、たまったものではないだろう。


 仮面夫婦になるのは目に見えている。レティシアとの結婚がジェラルドに利益をもたらすのであれば、政略結婚だろうと仮面夫婦になろうと縁談は前向きに検討するのだが、そうではないので気分は乗らない。


 こちらからは断れない縁談だからせいぜい引き延ばし、婚期が遅れるとレティシアのほうから取り下げさせようと思っていたのだが、そこへきてアイリーンの登場だ。蛮族の娘に先を越されたとなれば、気位の高いレティシアのほうから断ってくる可能性が高まる。


 ――だいたい、レティシア嬢だって気乗りではないんだ。ぜひお父上に俺との結婚は絶対イヤだと、駄々をこねていただきたいものだ。


 そんなことを思いながら、ジェラルドは長い宮殿の廊下を歩いていった。




 帝都フォンテーンから北部軍司令部があるリーウベルフまでは、鉄道を使っても一日かかる。馬車しかなかった時代は、優にひと月以上かかった距離だ。しかし航空機の登場でありがたいことに、フォンテーンとリーウベルフはほんの三時間程度で往来ができる。ただ航空機は、大陸西部の大帝国であるヴァスハディア帝国内でも軍事用のものしか存在しない。そしてジェラルドは、軍用機を自由に利用できる立場にあった。


 フォンテーンから鉄道で一時間あまりの場所にあるオラニア基地から軍の輸送機に乗り、ジェラルドは赴任地であるリーウベルフへ飛んだ。リーウベルフは司令部の隣に滑走路がついているので、大変ありがたい。




 久しぶり――といっても実は四日ほどだが――に北部軍司令部の司令官室に戻ってみれば、見慣れた部下たちがニヤニヤしながら出迎えてくれた。


「久しぶりの帝都はいかがでしたか?」


 ここにいる全員が、ジェラルドの帝都嫌いを知っている。


「暑かったな。リーウベルフに慣れていると、帝都の夏は堪える」

「帝都は真夏ですもんね。ここはあと半月もすれば秋になりますが」

「その代わり冬は長いですよね~」

「そうそう。冬だけは帝都のほうがいいかな」


 わはは、と大きな笑い声が起きる。男所帯なのでいろいろと遠慮がない。


「ところで殿下がお連れした竜の国の小娘、いえ姫は、どうなりましたか?」


 竜の国への一回目と二回目の訪問時に連れていったイヴァンが聞いてくる。エルヴィラではなくアイリーンが人質として赴くとなった時に、真っ先に嚙みついた男だ。先日の訪問の時に再び騒がれては面倒だと、三度目の訪問には連れて行かなかった。


「いろいろ問題があって俺が引き取ることになった」

「問題。まあ、でしょうねえ」


 イヴァンはアイリーンがジェラルドにいきなり斬りかかったところも見ている。


「あんな跳ねっ返り娘、陛下のお側にあげたら大変なことになりますよ」


 帝国の忠臣であるイヴァンが顔をしかめる。ジェラルドが士官学校を出た時からついてくれている、頼りになる人物だが、何しろ真面目で堅物だ。この指令室でジェラルドのことを「殿下」と呼ぶ唯一の人物でもある。


「生きた竜族なんてお目にかかることなんてそうそうないですから、いいことがあるかもしれませんよ、閣下。竜族の血には不思議な力が宿ると言われていますしね」

「よく聞く噂だが、具体的にどういう力があって、どうやって手に入れて、どのようにして使うんだろうな?」


 皇帝は竜族の娘に自分の子を生ませて血を取り込もうとしていたようだが、そういう使い方が正しいのだろうか?

 ジェラルドは竜の国の人たちを思い浮かべてみた。自分たちとなんら変わることがない姿の人々だった。


 ――恐れられるような不思議な力を持っているのなら、女王も泣く泣く妹を差し出したりはしないだろうに。


「うちの地方では、竜族の血は妙薬だと言い伝えられているんですよ。どんな病気もたちどころに治す力があると。特に竜神の花嫁たる乙女の生き血を飲むと若返り、どんなけがを負っても死ぬことはない体になるそうです。ただし、花嫁からの祝福を受けている場合ですが」


 赤毛の若い下士官が言う。


「竜族の血が妙薬になるという噂は有名ですね。そういう触れ込みの丸薬を売っている行商を見たことがあります。父に、母の病気が治るかもしれないから買いたいとねだったら、怒られましたけどね。たぶん獣の血でも煮詰めたものだったんじゃないかな」


 壮年の士官が懐かしそうに目を細めた。


「竜神の花嫁というのは、女王とは別なのか? 祝福って、なんだろうな。花嫁から祝福を受けながらその生き血を啜るとはまた、胸糞悪いな」


 ジェラルドは顔をしかめた。


「しょせんは真相が不明な言い伝えですよ。誰も近づけない神秘の国だから、妙な伝説をでっちあげられちゃったんじゃないんですか? 少なくともオレは、不老不死になった人の話は聞いたことがないです」


 気味が悪そうにしているジェラルドに気づいてか、赤毛が言う。


「……ところで、グラード王国や北の動向はどうだ?」


 ジェラルドは話題を切り替えた。竜族の血に不思議な力が宿るとは聞いていたが、生き血を搾り取って飲めば薬になるとは、穏やかではない噂だ。アイリーンは知っているのだろうか。……知っているんだろうな、とは思う。


「どちらも静かですね。特に動きはないです。偵察機も北に少し現れるだけで、山岳地帯は静かですよ」

「気味が悪いな。両国にとって夏はかっこうの攻撃シーズンだろうに」


 ジェラルドは腕組みをした。例年であればしつこくこちらの動きをうかがってくる偵察機すら、おとなしく飛んでいるなんて信じられない。


「グラード王国はともかく、北は今が収穫時だからじゃないですか?」


 赤毛の感想に、ジェラルドは「そうだろうか?」と思った。グラード王国はヴァスハディア帝国と一触即発の状態が続いている。油断などするわけがない。なのに偵察機を型どおりにしか飛ばさない。そこに違和感がある。


 約二年前から竜の国上空に吹き荒れていた謎の乱気流が消えており、あのあたりが飛びやすくなっている。グラード王国とヴァスハディア帝国の間にある大きな山脈を現在の航空機の性能で飛び越えるには、竜の国の上を通るのが一番近いのだ。なのに、あのあたりが静かだって?

 嵐の前の静けさに思えてならない。


 ――何か起きているのでは……?


 だがそれを確かめる方法は、ジェラルドにはなかった。

 早く竜の国を手に入れて、補給基地を作らなくては。帝国本体から偵察機を飛ばすには、北はともかくグラード王国は遠すぎるのだ。何しろ数千メートル級の山脈を飛び越えていかなければならない。

 だが美しい竜の国を自分たちのせいでめちゃくちゃにするわけにはいかないから、ことは慎重に進める必要がある。


 そんなことを考えていたせいか、竜の国の美しい風景が心の中に広がった。高い山脈から吹き降ろす清冽な風、湖の静けさ、白い頬にかかる藍色の髪の毛。すらりとした手足をひらめかせて歩くアイリーンの姿が鮮やかに思い浮ぶ。


 ――今は仕事中だぞ。


 ジェラルドは心の中からアイリーンを締め出そうとしたが、そうしようとすればするほど脳裏でしなやかな藍色の髪の毛が踊る。


「どうかしましたか?」


 気持ちの切り替えに失敗したジェラルドが大きなため息をつくと、イヴァンに心配されてしまった。

 本当のことが言えるわけもなく、ジェラルドは「なんでもない」とできるだけ冷静を装って答えた。


 だが、右も左もわからない状態のアイリーンを帝都の屋敷に置き去りにしてきた。屋敷にはアイリーンを快く思わない母がいる。何も起こらないはずがない。


 ――そういう意味でも心配なんだよな。できるだけ早く、帝都に戻らないと。


 それにしても、帝都嫌いの自分がまさか、帝都に早く戻りたいなんて思う日が来るとは。

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