第四章 花嫁の受難

第15話 出戻り花嫁

「これは、どういうことなの」


 帝都のジェラルドの屋敷、その玄関ホールにて。

 昨日は顔を合わせなかったコンスタンツェは苛立ちを隠そうともせず、出戻ってきたアイリーンと、アイリーンを「こういうわけで娶ることになりました」と報告したジェラルドを睨みつけた。


 皇帝に謁見し、そのまま宮殿に残るはずの花嫁が戻ってきた。

 しかも嫁ぎ先が、皇帝からこの屋敷の主に変更になっている。

 ジェラルドの屋敷の使用人たちはもちろん、この屋敷の真の主であるジェラルドの母、皇帝の側妃の一人であるコンスタンツェも呆然としている。

 アイリーンはその様子を、ジェラルドの脇に立ちながら眺めていた。……なんでジェラルドの手が自分の肩に乗っているんだろう。重いじゃないか。


 コンスタンツェは、栗色の髪の毛に同じ色の瞳の持ち主だった。見た目だけで言えば、この国の人間というよりは、グラード王国の人間に近い。

 若い頃は美しかったのだろう、意志の強そうな瞳と整った面差しからはそれが読み取れたが、年齢による衰えも感じさせる。緋色のドレスがよく似合う。


 黒髪に黒い瞳のジェラルドとは威圧的な雰囲気と目元がよく似ているな、というのがアイリーンの第一印象だった。会ってはいないが、ジェラルドの黒髪と黒い瞳は父である皇帝譲りのようだ。


「私は異国の娘をあなたの花嫁になど、認めないわ」

「認めるも何も、これは陛下の指示です」

「指示? さっきの話では、どうもあなたの提案みたいじゃない。どうしてこんな蛮族の娘を私たちが受け入れなければならないの」

「蛮族であろうとアイリーンは一国の姫、立場としては私と変わりがありません」

「国の大きさが全然違います。竜の国など、ヴァスハディア帝国の軍事力をもってすれば一瞬で灰燼に」

「母上!」


 ジェラルドの鋭い声に、コンスタンツェがびくりとなる。


「……どんな小さな国であろうと、アイリーンは王女です。そしてこの婚姻は政治的なもので、我々に拒否権はない。母上だって、故郷の困窮を救うために皇帝の側妃になったではありませんか。母上に拒否権がありましたか」


 ジェラルドにたしなめられ、コンスタンツェがぐっと息を飲み込む。


「小さかろうと未開であろうと、地政学的に見て竜の国は重要な場所。ヴァスハディア帝国は、竜の国を敵に回すことはできないんですよ。もし竜の国がグラード王国側につけば、我々は喉元にグラード王国の剣を突きつけられたも同然になります。アイリーンを侮るような態度は謹んでいただきたい」

「……ヴァイス公爵閣下のレティシア嬢はどうなるの。縁談をいただいているでしょう。先にお話をいただいたのに、そちらは宙ぶらりんで、異国の娘を娶るなんて。ジェラルド、あなた自分の立場をわかっているの?」


 低い声でコンスタンツェが言う。


「……もちろん、わかっておりますよ」


 言うだけ言うと、ジェラルドはアイリーンの肩を抱いてコンスタンツェの前を辞した。


「私は認めません! その娘はあなたの妻にはふさわしくない! バーク! そこにいるわね? その娘の世話など一切認めないと、皆に伝えなさい」


 コンスタンツェは大声を上げ誰かの名前を呼んで、そう命じる。ジェラルドに肩を抱かれたまま体をひねれば、玄関ホールの片隅にいる壮年の男性がコンスタンツェに対して頭を下げているのが見えた。バークとは彼のことなんだろう。


 ――あああああなんかヤバイ展開だ……。


 背後からものすごい負のオーラを感じるが、アイリーンにはどうすることもできない。ジェラルドに半ば連れ去られるように、アイリーンは玄関ホールから立ち去った。




 連れていかれたのは客間ではなかった。客間に比べて広く、調度品も落ち着いている。何より、部屋の主の持ち物があちこちに見られる。

 部屋を入ったところで拘束から解放され、アイリーンは室内を見回した。


「ここは……?」

「俺の部屋だ」

「……えっ。なんでまた」

「妻としてそなたを迎えることになったのでな。別にここで問題ないだろう」

「……いや、問題ありまくりじゃないかな? この話ってなんだか急に決まったような感じだし、ジェラルドのお母さんはだいぶお怒りのようだし、何より……まだ結婚してないんですけど」


 たじろぐアイリーンに、先に室内の奥に入っていたジェラルドが振り返る。


「母の顔を見ただろう。一人のんびり客間に泊まらせてもらえるとは思わない方がいいな。この屋敷の主は俺だが、普段は北部軍司令部のあるリーウベルフにいるから、ここは母が仕切っている」

「この国の人たちは異国人が嫌いみたいだ。あなたも、お母さんが怒るってわかっていたんだろ? だったらなんで僕をここに連れてきた? 縁談だって来ているのに」


 ちらりと耳にした、その言葉。なぜだかアイリーンはショックを受けた。冷静に考えてみれば、見た目も地位もいいジェラルドがモテないはずがないのだ。


「確かに、先に来ていた縁談をそっちのけにしてそなたを娶ることにした。先方の面子は丸つぶれだろうな。まあ、気にするな。俺としては気乗りしない縁談だった」

「……僕を利用したな?」


 アイリーンはジェラルドを睨みつけた。

 何かあると思った。親切心だけで助けてくれるわけがないと。


「そなたを利用しようと思って娶ることにしたわけではない。結果的にそうなっただけだ。……そういえば、きちんと自己紹介はしていなかったな。俺、いや、私はジェラルド・イル・バステラール。バステラールというのは皇帝の家名だ。皇帝グレアムの第十皇子で、今は帝国の北半分、北部軍の総指揮官を任されている。髪も目も黒いし、軍服も黒ということで、世間では黒衣の将軍と呼ばれているようだが」


 ふと思い出したように、ジェラルドが名乗った。


「へえ……」


 黒衣の将軍とは、言い得て妙だ。

 確かに黒い。

 アイリーンはジェラルドの頭からつま先までを眺めて納得した。


「俺は名乗った。そなたは? なんと呼べばいい?」

「僕はアイリーン。竜の国、西の谷のアイリーン」

「では、そなたのことはアイリーンと呼ぼう。俺のことはジェラルドでいい」


 そう言ってジェラルドがゆっくりとアイリーンのもとに歩み寄る。


「誰がなんと言おうと、そなたは俺の妻だ。国を背負って嫁いできた姫に対する礼は尽くす。とはいえ、いきなり妻の役割を果たせとは言わない。おいおいでいい。まずはここの生活に慣れなくてはな」


 大きな手がアイリーンの頬に触れる。


「……対応がぬるくない? 僕は人質じゃないの?」

「囚人と勘違いしていないか?」


 頬に触れた手が、アイリーンの短い髪の毛をすくうように触れて離れていった。


「まあ、いろいろなことが一度に起きて疲れているだろう。今日はもう休め。ここでの生活にもゆっくり慣れていけばいい」


 口ぶりからして、ジェラルドは厄介な縁談を遠ざけるのに降ってわいたアイリーンがちょうどいい、くらいに感じているようだ。

 でなければ「ゆっくり慣れていけばいい」なんて……まるでどうでもいいと言われているみたい。将軍の花嫁がゆっくりぼんやりしていていいわけがないのに。


 ――つまり、お飾りの妻ってわけね……。


 なんだかんだ理由をつけても、結局はそれなんだろう。

 皇子で将軍な彼が格下に見られる異国の娘を妻にするメリットがないのだ。ジェラルドはアイリーンを手元に置くことで竜の国と交渉しやすくなると言ったが、アイリーンがどこにいようと国家間の交渉なら竜の国はジェラルドとの話し合いに応じるはずだ。なぜならばエルヴィラは竜の国とヴァスハディア帝国の国力差を知っている。無駄な抵抗はしないはずだ。エルヴィラには竜族の命を守る義務があるから。


 ちょっとだけ期待していただけに、裏切られた気持ちだ。

 まあ、勝手に期待して勝手に舞い上がっていたアイリーンが悪いのだが。


 ――ジェラルドが、純粋に僕を心配して助けに来てくれたのかもしれない、なんて。


 あるわけがなかった。




 その後、コンスタンツェは「その娘の世話など一切認めない」と言っていたが、ジェラルドが呼ぶと使用人はきちんと姿を現し、アイリーンを風呂に連れていってくれたし、食事も持ってきてくれた。夜までにはアイリーンが竜の国から持ってきた長持も部屋に届いた。

 長持の中を確かめ、持ってきたものがきちんとそろっていることを確認すると、急に気が抜けた。姉特製のお香もちゃんと入っている。


 竜の国を旅立ったのは昨日の朝。平和で代わり映えのしない日々を送っていたアイリーンにしてみれば、この二日間のできごとは完全に容量オーバーだ。竜の国の日々は退屈だと思っていたけど、短期間にこれほどあれこれ起こるくらいなら退屈な日々のほうがいいかも。


 夜のとばりが降りてほどなくしたころにはもう、アイリーンはすっかり睡魔に襲われており、居間のソファに横になるとあっという間に眠りに落ちた。



   ***



 就寝時刻になり自室にやってきたジェラルドは、居間の床の上で寝間着からおへそを出して寝ているアイリーンを発見して、思わず呆れた。


「なんでそんなところで寝ているんだ?」


 ソファから転がり落ちたことは容易に想像できる。ひとつしかない――当然ジェラルのものである――ベッドを使うことにためらいがあったのだろう。

 あどけない寝顔を見ていたら、不意に胸に「アイリーンは未成熟ゆえに選ばれたのかもしれない」という疑念が浮かんだ。


 竜族は外部との交流をほとんど持たない。

 確かにアイリーンは「女王エルヴィラの妹」という、人質に値する立場ではある。だが、こちらにはわからないのだから実の妹ではなく第三者を妹にでっちあげて送りつけることだってできたはずだ。体つきが幼い娘を出すことでトラブルが発生する懸念の方が大きいのだから。

 なのに、アイリーンが選ばれた。これは、竜の国内においてアイリーンが「外に出しても惜しくない」と判断されたのではないか?


 もっともこれはジェラルドの推測でしかなく、当たっているかどうかはわからない。

 もしそうなら、アイリーンはどう思ったのだろう。

 あっけらかんとして見えるが、実際は?


 床に転がっているアイリーンを抱き上げてやる。

 信じられないくらい華奢で、軽い。起きて動き回っている時は威勢のよさが際立つから気にならないが、本当はこんなにも頼りない。

 寝室に運び入れ、そっとベッドに寝かせる。ジェラルドに抱き上げられても、起きる気配はない。

 疲れているんだろうな、と思う。

 頬にかかる藍色の髪の毛をかき上げてやる。

 ただ、竜の国でのアイリーンは大切にされているようには見えていた。


 ――結局のところ、俺たちが行かなければ人身御供として差し出されることもなかったのだろうな……。


 誰かがやらなくてはならないから、アイリーンに白羽の矢が刺さった。たぶん、そう。

 手を伸ばし、白い頬に触れる。……そして赤く色づく唇にも。

 アイリーンの吐息が指先にかかる。


 自分たちが竜の国に行かなければ、アイリーンは穏やかに暮らしていけたはず。

 

 ――俺はこの娘にとっては疫病神なのかもしれないな……。


 アイリーンに会わなければ自分はどうしていただろうかと思う。

 リーウベルフで軍の指揮を執る日々が続くのだろう。ヴァイス公爵のご令嬢との縁談は、おそらく全力回避している。誰かと結婚する未来はなぜか想像できない。

 結婚への願望はない。煩わしいだけだ。

 そのはずだった。


 アイリーンの唇をそっとなぞる。

 やわらかい唇を触っているうちに堪えきれなくなり、ジェラルドは体をかがめてそっとアイリーンの唇に自分の唇を重ねた。

 触れるだけのキスをし、すぐに体を離す。

 寝ている娘に俺は何をしているんだと、軽い自己嫌悪に陥る。


 どんな事情があるにしろ、竜の国がアイリーンを選び、差し出してくれた点には感謝する。

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