第29話 帝都大空襲

「わかるの?」

「形が違う。今まで見たことがない形だ……」


 アイリーンも目を凝らしたが、形の違いまではわからなかった。ただ、ものすごい数の異国の飛行機がやってくる理由とは。


『このところ毎日飛んでいたのに』

『いいことじゃないか。あれは偵察機だ、あいつが飛ぶと戦争が始まる』


 いつかのゲルトとのやりとりが耳に蘇る。


『ねえじいさん、なんで飛行機がたくさん飛ぶと戦争が始まるのさ? あれは戦争の道具なの?』

『元は移動のための道具さ。でもわしは軍用に開発をさせられとったがな。あれから二十年はたっとる……わしがやっていたころよりもずっと、高性能になっているだろう』


 竜の国の空をずっと飛んでいたのはどっちだった?


『大型の爆撃機がたくさんの爆弾を積んで、この地を焼き払うことは、私たちが朝食を作るよりも簡単なんだそうよ』


 エルヴィラの言葉も思い出す。飛行機に爆弾を積めば空から攻撃できると教えてくれたのは、ほかならぬジェラルドたちヴァスハディア帝国だった。

 ヴァスハディア帝国ができることを、グラード王国がやらないわけがない。

 と、その時、誰かがアイリーンの腕をつかんだ。強い力で引っ張って振り向かされる。


「アイリーン」


 そこにいたのは、クマ男ことドルフだった。竜の国の衣装ではなく、帝国の平民の衣装を着ている。


「無事だったんだな、アイリーン!」

「ド……ドルフ!? なんでここに」


 アイリーンは驚きの声を上げた。ドルフの後ろには、背が高くてよく日焼けした男が立っている。一見しただけでは帝国の市民にしか見えないが、藍色の髪の毛に藍色の瞳は竜族特有のもの。アイリーンには彼が同族だということがわかった。見覚えはないがドルフとともに行動しているところから、姉が放っている偵察者の一人であろうか。


「ずっとおまえを探していたんだよ。宮殿にいるかと思ったらいなくて……皇帝に謁見を申し出た神官長は戻って来なくなるし、なんだかオレたちも捕まりそうになるし、ヴァスハディア帝国はヤバイところだ。でも竜の国もヤバイことになってる」

「ヤバイ?」

「実は、竜神の力がものすごく弱まってしまって、エルヴィラ女王をもってしてももう声が聞き取れなくなってしまったんだ。――ヴァスハディア帝国の連中が来た時にもおかしいと思ったが、あのあとグラード王国からも使者が来て、オレたちに服従を求めてきた。いよいよおかしいって神官長が言い出して。竜神の加護があれば、外の連中が簡単に入って来れるはずがないから」

「姉さんが、認めたのか? 竜神の声が聞こえないって」


 この二年間、聞こえないことを隠し続けてきた姉が?

 よほどのことがあったに違いない。アイリーンの胸がズキリと痛んだ。


「ああ。……グラード王国の使者が来た時に、神官長に糾弾されてな。いろいろあったよ。いろいろ、本当に。アイリーンが出ていってから、本当にいろんなことがあった」


 ドルフは険しい顔つきで一瞬目を閉じる。


「神官長が古い文献を当たって、今までにも竜神の力が弱まったことがあることを調べてくれたんだ。でも竜神の力を取り戻すことはできる。竜神の力が弱くなった時に現れる特別な存在がいて――『竜神の花嫁』というんだ――竜神のつがいだから、つがいがいない娘がそうなんだって。それに当てはまるのはアイリーン、おまえだけだ。だから、おまえを連れ戻しに来た」


 ドルフが目を開き、強い視線で見つめてくる。一方のアイリーンは、驚きのあまり目が点になった。


「……僕が、なんだって?」


 竜神の花嫁?


「国に戻ってくれ、アイリーン。竜神の力を取り戻すために。オレたちの国を助けるために」


 ドルフが真剣な表情で言う。こいつのこんな顔は初めて見る。アイリーンを茶化す顔しか見たことがないので、逆に事態が切羽詰まっていることが読み取れた。

 それにしても、竜神の花嫁。聞いたことがある言葉だ。


『……竜神の花嫁?』

『聞いたことはないのか? 生き血を飲むと不老不死になるらしいが』


 ああ、そうだ。前にジェラルドが言っていた。だが、アイリーンはそんなものは知らない。エルヴィラもそんなことは言っていなかった。

 だが……心当たりはある。


 ――夢……あの夢、本物だった、の……?


 いつだったか、夢の中に現れた赤い二つの光。

 疲れて変な夢を見てしまったと思ったが、そうではなかったのか?


 ――夢の中で竜神は「竜族の行く末を決めたのか」と、聞いてきた。命が尽きる前に答えを出せ、とも……。


 だが、なんのことだかわからない。

 命が尽きるのはわかるとして、なぜ自分が竜族の行く末を決めなくてはならないのか。


「……僕が竜神の花嫁だなんて、何かの嘘だ。僕にはなんの力もないのに」

「オレもそう思う。ただ神官長がそう言うからな。神官長は、帝都の宮殿に行ったっきり帰ってこなかったけど。今、竜の国は大変なことになっている。おまえを送ったのにヴァスハディア帝国は守ってくれないんだ。グラード王国が、従わなければ国を焼き払うと脅してきている。とにかく国に戻ってくれ、アイリーン。話はそれからだ」


 ドルフがイラついたように言い放つ。


「でも……僕がここからいなくなったら、ヴァスハディア帝国が竜の国に攻撃を仕掛けてしまうかも……」

「先に約束を反故にしたのはヴァスハディア帝国だ。だから評議会は、グラード王国につく方向に傾いている」

「でもそれじゃ、竜の国がグラード王国とヴァスハディア帝国の争いの場になってしまう。もし僕がその竜神の花嫁とやらでなかったら、どうするんだよ……」

「確かにアイリーン様が竜神の花嫁である証拠はありません。しかし、違うという証拠もない。真偽を確かめるためにも、アイリーン様には竜の国への速やかなご帰還をお願いしたいのです」


 ドルフに代わり、偵察者の男が口を挟んできた。

 確かにここで、アイリーンが本物の竜神の花嫁かどうかを論議していても始まらない。

 国に戻るのは構わないのだが、竜の国に戻って、竜神の花嫁として……何をすればいいんだろう……? 自分が戻ることで竜神に力が取り戻せるのなら、それに越したことはないが、もし違ったら?


 竜の国は戦場になる可能性があるし、竜の国を守ると言いながら約束を守れなかったヴァスハディア帝国との関係は切れるだろう。評議会もグラード王国に傾いているようだし。

 やはり、ジェラルドとは今朝が永遠の別れだったのだ。

 思い浮かぶのは、ジェラルドに残してきた短い手紙だ。

 ごめんなさいもありがとうも本当。でもあんな短い言葉では言い表せない。今になって、もっといっぱい、いっぱい言いたいことがあると気が付いた。


 ――僕はばかだ。かっこなんてつけるんじゃなかった。


 こんなにすぐに別れが来ると知っていたら、もっとちゃんと自分ともジェラルドとも向き合っていたのに。あれこれ理由をつけて目を背けていた自分が情けない。


「行くなら急ぎなさい。早くここを離れたほうがいい。標的は帝都だ」


 竜族たちの会話に庭師が入り込む。はっとなってアイリーンは空を見上げた。自己嫌悪に陥っている場合ではない。

 飛行機の大群はどんどんと近づいてくる。


「おじさん、屋敷の人たちに逃げてって伝えて。それから……連れ出してくれて、ありがとう」


 アイリーンはそう言うと先ほど頭に乗せてもらった帽子を脱いで庭師に渡し、ドルフと偵察者の男とともに移動を始めた。

 帝都の中心部は、迫って来る飛行機の大群を見ようと大勢の人が通りに出ていて非常に込み合っている。みんな空を見上げて立ち止まっているので、非常に動きにくい。そして帝都の中心部にいる人々は近づく飛行機の大群がなんであるか、いまだに気づいていない。


「まずは中央駅からダイテルトを目指す。そこで山越えの準備をしたら、馬を借りて竜の国を目指す」


 喧騒に負けないようにドルフが大きな声で言う。アイリーンはしっかりと頷いた。

 いくばくも行かないうちに、まわりの人々が、先ほどとは違うざわめきを発し始める。機体の尾翼についているマークが帝国のものでないと、目視できるほどに飛行機は近づいてきていた。

 空を埋めつくすほどの飛行機。

 人々が戸惑いながら逃げ始める。


 やがて空を切り裂く音がしたかと思うと、すぐ近くで爆発音が響いた。

 ドルフが庇うようにアイリーンの体を抱え込む。そのドルフの腕の中から振り返ると、そびえるように高い建物の上部が吹き飛び、ものすごい土埃とともに吹き飛ばされた部分が瓦礫となって降り注ぐのが見えた。建物の中は炎に包まれている。建物内部にもすぐ脇の道路にも、大勢の人がうごめいているのが見えた。

 最初の攻撃を皮切りに、あちこちで爆発音と火の手が上がり始める。


 ――戦争だ……!


 飛行機が飛ぶと戦争が始まる。ゲルトはそう教えてくれた。その通りだ。


「なんてこった。なんでこんな時に……!」


 ドルフがうめく。


「とにかく急いでここを離れましょう。敵の標的は帝都中心部です」


 偵察者が急かす。アイリーンは二人に急かされて再び走り始めた。

 飛行機は次々と爆弾の雨を降らせる。あちこちで爆発音がする。悲鳴、怒号、飛んでくる瓦礫、立ち上る黒煙。

 一生懸命足を動かしているが、逃げ惑う人々に阻まれてなかなか進むことができない。


「鉄道を破壊されたら足止めされてしまうな」

「その場合は……」


 ドルフと偵察者が話を始める。攻撃は続いており、あたりは悲鳴と怒号が飛び交っていている。

 その時、周囲からひときわ大きな悲鳴がいくつも上がった。

 はっとなってアイリーンがあたりを見回すと、宮殿に火柱が上がっているのが見て取れた。


 飛行機は標的を市街地から宮殿に変えたらしく、次々と飛んでいっては爆弾の雨を降らせる。鳥が翼を広げたように左右対称に建てられた壮麗な建物、その前には噴水がきらきらと輝く広大な庭園。ジェラルドに連れられて初めて訪れた日に見た、美しい景色が脳裏に蘇る。それらの上に、容赦なく爆弾が降り注ぐ。

 宮殿がどんどん炎に包まれていく。

 あそこに……あの火の海のどこかに、ジェラルドがいる。


 自分がジェラルドにできることは何もない。頭ではわかっている。あそこに行ったって、何もできない。わかっている。わかっているが、体が動いてしまった。

 会いたい。最後にもう一度会いたい。

 あんな一言だけの手紙なんかじゃ足りない。大好きだよって、ジェラルドに会えて嬉しかったよって、ちゃんと伝えたい。

 アイリーンは宮殿に向かって駆け出した。


「おい……!」


 ドルフの慌てる声は、逃げ惑う帝都の人々にかき消されてすぐに聞こえなくなった。

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