第35話 愛しい日々 2

 皇帝の交代によりヴァイス公爵は宰相の任を解かれた。ふさぎ込む娘を連れてしばらくは田舎でゆっくりするようだ。

 新皇帝のヴァイス公爵解任劇の裏には、帝都復興の指揮を執るジェラルドや、ジェラルドが広めた「竜の国の姫が帝都を救った」という噂への配慮もあるらしい。民衆に人気があるアイリーンやジェラルドを敵に回したくない、というよりは民衆を敵に回したくないらしい。


 竜の国の使者の一人である神官長は大空襲の翌日、避難所にいるところを見つけ出された。空襲時は宮殿の一角に囚われていたのだが、爆撃でうまい具合に壁が破壊され、そこから逃げ出したのだという。空襲で受けたのではない、何をされたのか一目瞭然のけがを負ってはいたが、命に別状はなかった。そしてクマ男ことドルフと、偵察者の一人とともに、空襲の三日後にジェラルドが手配した軍用機で竜の国へ戻った。

 そしてそこで、竜の眠る湖がすっかりからっぽになっていることも確認された。


 聞けば、帝都大空襲の雷雨のタイミングで竜神の眠る湖の水が突然柱となって、天に駆け上っていったのだそうだ。

 その時、竜の国の人々は全員、竜神が別れを告げる声を聞いたという。

 もう、自分の力は必要ない。こんな山奥ではなく、人の世で生きなさい、と。


 帝都にいた神官長とドルフが帝都に現れた光の柱と豪雨の話をしたところ、竜の国では「やっぱりあの水柱は竜神だった。帝都の一大事ということで、皇帝の側妃になったアイリーンを助けに行ったのだろう」ということになった。

 突然去っていった竜神に呆然とする人は多かったが、竜の国における竜神は絶対的な存在だ。今までは女王を通じてしか聞くことができなかった声である、全員に同じ言葉が届いたというのは大きかった。

 ゆえに、ここから去れというのなら去ろうではないか、という話でまとまったらしい。

 そもそも、竜の国の水源である竜神の湖がからっぽになってしまったので、ここで暮らし続けることが不可能になってしまったのだ。


 移民先はアイリーンの住むヴァスハディア帝国に決定し、これからどうやって引っ越していくかが話し合われるという。

 ……実はここで初めて、竜の国の人々はアイリーンが皇帝ではなくその息子の将軍のもとに嫁ぐことになった、ということを知ったらしい。エルヴィラを始め関係者一同、のけぞって驚いたという。

 その様子を見ていた帝国軍のパイロットは「ものすごいものを見てしまいましたね」と遠い目をし、様子を聞きだしていたアイリーンを困惑させたのだった。




「それで、体の具合はどうなんだ?」


 部屋に着くなり、アイリーンを抱っこしたままジェラルドが改めて聞いてくる。


「もう、元気だよ」

「本当か? いろいろなことがあったし、体が急に大人になってもいるし、体調を崩してもおかしくはないと思うが……どうした?」

「もしかして、僕が具合悪かった理由、聞いてない?」


 ジェラルドの口ぶりに、アイリーンが怪訝そうにたずねると、


「聞いていない。理由があるのか?」


 逆にジェラルドが不思議そうに聞き返してきた。なんと、伝わっていなかったのか。


「あの……えーとね。じ、実はね……」


 しかし改めて伝えるとなると、ものすごく言いにくい。


「……なんだかずいぶん言いにくそうだな。わかった、食べ過ぎで腹を壊した」

「ちがーう!」

「じゃあ、腹を出して寝たせいで夏風邪をひいた」

「風邪じゃない!」

「転んで足を痛めた」

「いや、さっき普通に歩いていたよね、僕!?」

「うーん。わからん……でも、今はもう治ったんだな? 元気ならそれで」

「月の、ものが、きました! 痛くて寝てたんだ!」

「いい……って、え?」


 ジェラルドの目が点になる。


「月のもの?」

「うん」

「アイリーンに?」

「だからそうだって言ってるじゃない」

「……」


 ジェラルドが固まる。あ、男性に対してわざわざ言うほどのものでもなかったのかな。呆れてるのかな。しくじっちゃったかも……とアイリーンが思い始めた矢先、ジェラルドがアイリーンを抱えたまま寝室のドアを開き、ベッドの上にアイリーンを放り出す。

 突然の衝撃に目を白黒させていたら上からのしかかられ、乱暴にチュニックの腰に巻いてあるサッシュベルトをほどかれた。


「え、ちょっと」


 慌てているうちに唇が重ねられる一方、大きな左手がチュニックをめくりあげて中に入り込んできた。アイリーンの胸を締め付けている下着をずらし、こぼれ出てきたふくらみを優しく包む。

 甘やかな衝撃に、アイリーンの体が跳ねる。


「本当に大人の体になっているんだな」


 唇を離してジェラルドが呟く。


「胸がある」

「なんだよ、もう! 見ればわかるじゃないか、そんなこと! いきなり手を突っ込んでこなくたって」

「……今のはアイリーンが悪い」


 ぼそり、とジェラルドが言う。


「悪い?」

「月のものが来たなんて俺に言うから」

「え……言わないほうがよかった? 具合が悪かった理由を知りたいのかな、と思ったんだけど」

「……子どもが欲しいのかと」


 ジェラルドの指摘に、アイリーンはボッと赤くなった。


「ええっ、そういう意味じゃなかったんだけど……」


 しどろもどろになったアイリーンを、黒い瞳がじっと見下ろす。アイリーンの出方をうかがっているのがわかる。

 こういう時は、適当にごまかしちゃいけない。いいかげん、学んだ。


「……欲しいよ。ジェラルドとの子ども、ほしいよ。前からそう思ってたよ……」


 照れくささを飲み込んで本当のことを告げれば、ふっとジェラルドの瞳が緩んだ。


「俺もだ。きっと、アイリーンに似た威勢のいい子どもが生まれてくるに違いない。楽しみだな」


 威勢がいい、にはちょっとひっかかったが、楽しみなんだ。ジェラルドは自分との子どもが楽しみ!

 それがわかっただけで、アイリーンは嬉しくなった。

 ジェラルドが顔を寄せる。優しいキスが降る。額に、瞼に、頬に、唇に。


「俺たちが竜の国を訪れなければ、アイリーンは穏やかに暮らせていけたんだろうなとは思ったが……やっぱり、あの日、竜の国を訪れてよかった。アイリーンに出会えてよかった。……愛している」


 耳元で囁かれた言葉に、涙がこみ上げる。


「僕も。……愛してるよ」


 ジェラルドが笑う。それは嬉しそうに。そして大きな手が遠慮なくアイリーンの服の中に忍び込んでくる。アイリーンはもう、抵抗しなかった。

 そういえば、こんな時はいつも聞こえていた雷鳴は、もう聞こえない。

 ふと、アイリーンは窓の外に目をやった。


 実はまだ明るい晩夏の昼下がり。

 窓の外はよく晴れて、青い空が広がっている。

 この空の下を、この人と一緒に歩いていくのだ。

 いろんなことがあると思う。回り道もしなければならないこともあるだろうし、でこぼこ道もあるだろう。たまには雨も降ると思う。

 でも一人じゃないから大丈夫。

 この先どんなことがあっても、二人ならすべてが愛しい日々になる。

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