第34話 愛しい日々 1

 夜も深まってくると雨も弱くなり、アイリーンはジェラルドの側近おじさんことイヴァンに付き添われて屋敷に戻った。一方のジェラルドは、帝都中心部にありながら奇跡的に空襲を免れた軍の中央司令部で帝都救援のための指揮を執ることになったのだ。

 中心部から少し離れた場所にあったことで、屋敷は無事だった。


 血だらけでボロボロになっているうえに、体が大人に変化しているアイリーンを見て、コンスタンツェは絶句しマリエは真っ青になったが、五体満足であることを告げると二人とも安堵の息を漏らした。

 あまりにもひどい姿だ、ということで放り込まれたバスルームの鏡で自分を確認し、アイリーンは「これは誰だ」とのけぞった。そこにいたのはエルヴィラを彷彿とさせる美少女だったのだ。顔が似ている自覚はあったので「まあ、これが私!?」とエルヴィラの口調をまねして遊んでみたが、何か違う。圧倒的に品が足りない。見た目が同じでも育ちが違うと、エルヴィラにはなれないみたいだ。エルヴィラは女王に選ばれた十六歳の頃から、女王としての教育を受けている。

 まあ、別にエルヴィラになりたいわけではないから、いいのだが。


 そして風呂上りにアイリーンは突如として強烈な下腹部痛に襲われた。体の奥がズキズキと痛み、どろりとしたものがあふれ出てくる。ぎょっとして下着を確認してみれば、べったり血がついているではないか。慌ててマリエを呼んで相談したところ、「それ、月の障りではないですか?」と呆れた口調で言われた。

 月の障り。大人の女性の証し。大人になれないアイリーンには来なかったもの……これが来るということは……。


「それにしても、竜の国の人って、不思議な体質ですね。突然髪の毛が伸びたり、体が大人になったりするなんて」


 おなか痛いよう、と寝込んでしまったアイリーンの腹の上に湯たんぽを乗せながら、マリエがしみじみと呟く。


「マリエは僕のこと、気味が悪いと思う?」

「なんでですか?」

「……普通じゃないから」

「まあ、あたしとは違うなーとは思いますけど、別に……この国にはいろんな人がいますからね。多民族国家なので。そういう人たちもいるんだな、くらいの認識です」


 マリエはそう言い「用事があったら呼んでください」と言い残して部屋を出て行こうとし、ふと振り返る。


「どんな体質をしていようと、アイリーン様はアイリーン様です。見た目で判断するような人はこっちからこうですよ」


 指先でハサミを形作り、チョキチョキと切る素振りを見せてから、部屋を出て行った。

 マリエって、けっこう過激派なんじゃないか、と思ったアイリーンである。


   ***


 ジェラルドが戻ってきたのは、帝都大空襲から十日ほどたってからだった。中央軍司令官はジェラルドの兄の一人だったのだが、まったく使えない人物だったらしく、中央軍の参謀がジェラルドに救援活動の指揮を依頼してきたのだという。

 中央軍は帝都の警備や式典の開催などを担当しており、実戦経験には乏しい。有事の際には実戦経験豊富なジェラルドのほうがよほど頼りになったらしく。

 そのせいで一時帰宅もさせてもらえなかったジェラルドはずっと、「妻に会わせろ」と騒いでいたという。


 ジェラルドの結婚については、実は「これから結婚する」という状態なので「妻って誰ですか」「ジェラルド将軍って結婚してましたっけ?」と、中央軍の人々は首をひねった。そこでジェラルドは「妻を迎えることになった。竜の国の姫だ。今回の大空襲による延焼を大雨で食い止めてくれたのは、妻になる姫が竜神を呼んだからだ」と吹聴してまわったから、さあ大変。


 竜族の血には不思議な力がある、というのは帝国の中でもよく知られた噂である。帝国が竜の国を手に入れようと動いていたことも、軍の中では知られている。

 そして大空襲の夜、宮殿から駆け上った光の柱と大雨、そして分厚い雲の中で暴れ狂う雷は多くの人が目撃していた。大雨が延焼を食い止めたのは事実である。

 ゆえに、竜の国からきた黒衣の将軍の花嫁が帝都を救った、という噂は中央軍から市井に瞬く間に広がった。

 ……ということを、アイリーンが知ったのはずっとあとになってからだが。




「見違えたぞ」


 玄関でコンスタンツェと並んで出迎えたアイリーンを見て、ジェラルドが目を見開く。

 帝国風のドレスをまとう気にはなれないアイリーンは、相変わらずチュニックに細身のズボンスタイルなのだが、今はきちんと女性用の下着をつけているので、胸の大きさと腰の細さが強調されている。髪の毛も、本当は短くしたかったのだがマリエに強固に反対されて、ひとつの三つ編みにしたものを胸元にたらしていた。どこからどう見ても、うら若き乙女にしか見えない。それもかなり凛々しいタイプの麗しき乙女だ。


「それはこっちのセリフ。山賊のお頭みたいになっちゃって……」


 一方のジェラルドは、いつもの軍服姿ではあるのだが、髪の毛はぼさぼさ、無精ひげだらけ、目も充血している。もともと威圧感がある人なので、人相の凶悪さも相まって迫力が増し増しだ。


「無事で何より。今日はゆっくりなさい」


 コンスタンツェはそれだけ言うと、さっさと踵を返して西館へ引き揚げていった。ジェラルドが戻るという連絡を受けた後、むしろアイリーンよりもそわそわとその帰りを待っていたのを知っているので、気を遣われたのがわかる。


「髭を剃る時間もなかったからな。中央軍があんなに使えないとは思わなかった。そういえば体の具合はいいのか? しばらく寝込んでいたと聞いたが」


 そう言ってジェラルドがアイリーンを抱き上げる。


「もう元気だよ。下ろしてってば。一人で歩けるから」


 まわりには屋敷の主人の出迎えのために、マリエを始め何人かの使用人が控えている。普通に恥ずかしい。


「そう言うな」


 ジェラルドが鷹揚に言いながら居室のある東館へ足を向ける。抱っこされたまま玄関ホールに目をやれば、使用人たちは誰もついて来なかった。こちらにも気を遣われたらしい。

 いいんだけどね。いいんですけどね。何しろアイリーンはジェラルドの妻なので。

 この十日の間、忙しい合間を縫ってイヴァンをはじめとした北部軍のジェラルドの部下がアイリーンのもとを訪れ、わかったことを報告してくれていた。だからアイリーンはジェラルドが何をしていたか知っているし、ジェラルドもまたアイリーンの様子を知っているのだ。

 中央軍があまりにも使えないので、ジェラルドが何人か呼び寄せたのだという。


 北部軍の部下たちは、皇子の近くにいるにしては出身地がバラバラで、エリート街道を走ってきたわけではない人も多かった。出身地も育ちも不問、実にジェラルドらしい人選だ。

 この人たちがいつだったかジェラルドが言っていた戦友なのかな、と思ったアイリーンである。


 この十日でわかったことはそう多くはないが、それでも判明したことがある。

 まず、帝都を空襲したのがグラード王国であること、帝都を襲った飛行機の大群は、そのほとんどが帰投中の山脈越えで突然の乱気流に巻き込まれて墜落。それによってどうやらグラード王国は航空戦力のほとんどを失ったようで、国境周辺をうるさいほど飛び回っていた飛行機が目に見えて減った。


 これを好機ととらえ、ジェラルドがグラード王国のいくつかの都市に威嚇攻撃を加えたところで、グラード王国が停戦を呼び掛けてきたのだという。

 皇帝グレアム・サナ・バステラールは、遺体すら見つからないことから、宮殿が爆撃を受けた際に亡くなったものとされ、皇太子がそのあとを継ぐことが決まった。

 ヴァイス公爵令嬢レティシアは片腕を失ったが、命は取り留めた。ただ、片腕を失うに至った出来事に関しては覚えていないらしく、腕を失ったことに意気消沈しているという。

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