第23話 命の期限
アイリーンは思う。
正直なところ、ジェラルドはすぐに仕事に戻り、アイリーンは再び使用人生活に戻るのだと思っていた。別にそれでもいいやと思っていたのだが、ジェラルドは休みを取った。
「なんで僕なのさ」
ジェラルドの私室の居間にて。
「気に入ったからだと言っているだろう。ほかに理由が必要か?」
「縁談避けと言われたほうがまだ納得できる」
「疑り深いな。縁談避けは狙ってやったことではない。たまたま、そうなっただけだ」
二人は並んでソファに座りながら、たわいもないおしゃべりをしていた。
「僕を、その、手に入れたことで、ジェラルドの立場が悪くなるんじゃないの」
アイリーンが聞けば、ジェラルドは小さく笑った。
将軍の姿でいる時は上げている髪の毛を、今はずっと下ろしている。下ろしているほうが好きだな、と思う。威圧感が和らいで、彼の端正な顔立ちが際立つ気がする。
「心配してくれているのか。嬉しいな。アイリーンは俺に気があるということでいいか?」
ジェラルドが嬉しげに覗き込んでくる。
「べ……別に。ちょっと、気になっただけだよ」
アイリーンはそう言ってそっぽを向いた。
彼は時々こんなふうにアイリーンの反応をうかがう。からかっているのだとわかる。しおらしくできないアイリーンは、こんな時はいつもそっぽを向いてしまう。かわいげがないと思う。でもかわいく振る舞うなんて無理。かわいいなんて、自分から一番縁が遠い言葉だから。
何しろがんばってかわいいかっこうをして、見事に誰にも相手にされなかった過去がある。
アイリーンのもともとの一人称は決して「僕」ではないのだが、むしろ髪を切って一人称を「僕」にしてからのほうが、気が楽になったくらいだ。無理をしていたんだろうなと思う。
「前にも言ったが、俺は無理強いが嫌いなんだ。いやならいやだとはっきり言わなければ、都合よく解釈するぞ?」
「え……えーと……」
いやなわけではないが、いやじゃないと言ったら、それは好き、ということで。ジェラルドに触れられることが好きだなんて、はっきり口にするのはさすがに憚られる。
「もしかして俺はアイリーンの気持ちを無視していたりするのかな」
アイリーンの葛藤を見抜き、ジェラルドが言葉を変えてさらに聞いてきた。
「そ、そんなことはないよ」
「そうか、アイリーンは俺にあんなことをこんなことをされるのが好きという解釈でいいんだな?」
ジェラルドの手がアイリーンの太ももに伸びてくる。アイリーンは不埒な手をペン、とはたいた。
「もう! 僕を恥ずかしがらせたいだけだろその質問っ。悪趣味だ!! それになんで隙あらば触ろうとするのさ!」
アイリーンの抗議に、ジェラルドが声をあげて笑う。
ジェラルドとこんな時間を持てるようになるなんて思わなかった。
「ヴァイス公爵の令嬢との婚姻は、俺を皇帝に縛り付けるための首輪、そして鎖のようなものだ。皇帝もヴァイス公爵も俺を警戒しているからな」
ふと真顔に戻り、ジェラルドが話し始める。
「なんで? ジェラルドは帝国のために戦っているんでしょ?」
驚いて、アイリーンは思わず聞き返した。
「ああ、帝国のために戦っている。この国には、俺の大切な人たちがいるからな。そなたにはつらく当たってしまったが、母もいるし、軍には俺が子どもの頃から面倒を見てくれた人もいる。家族より長い時間、苦楽を共にした仲間もいる」
「戦友ってやつだね」
「そう、戦友というやつだ。俺は確かにこの国を守ってきた。俺の決断で軍を動かし、何度も敵の動きを封じてきた。やつらに黒衣の将軍と呼ばれるくらいには、やつらにとって俺は邪魔なやつになっている」
ジェラルドが自身の手を見つめる。
「俺が守っているのは……守りたいのは、この国だ。俺の大切な人たちが暮らしている、この国の平和と繁栄だ。……皇帝ではない」
「そんなことを言っていいの?」
この国の人たちは皇帝に忠誠を誓うのではないか? そんなイメージがあるので聞き返してみたら、
「だめだな。だからアイリーン、これは内緒だぞ」
ジェラルドがいたずらっぽく笑う。
「ジェラルドは僕を信用しすぎだ」
「妻を信用しないでどうする」
「まだ妻じゃない」
「どうせ妻になる」
ああ言えばこう言う。なんだかな、と思っていると抱き寄せられて唇を重ねられた。
突然のキスももう慣れっこだ。
「正式な婚礼の日取りを決めなければな。秋は近すぎるから、やはり今度の春か……どうだ?」
唇を離して、耳元で囁かれる。
今度の春。命の期限の季節だ。
「……いいね。僕、雪解けの頃に生まれたんだ。この次の春で二十歳になるよ」
だが、命のことは言わない。
理由は簡単で、アイリーンがそのことから目を背けたいから。
命の期限のことを言ってしまったら、ジェラルドは気にするだろう。別に気にしてほしいわけじゃない。
だって、解決方法なんてないんだもの。
だから現実を見たくないし、この現実にジェラルドを付き合わせたくもない。甘い夢の時間が終わってしまうから。
我ながら自分勝手すぎると思う。
「二十歳か。若いなあ……そういえばいつだったか、二十歳まで時間がないとか言っていなかったか? 二十歳になると、何かあるのか?」
「……大人になったお祝いをするんだ。竜の国では。だからそれまでに、大人になりたかったんだよ」
「そうか。まあある意味、大人にはなったと思うが」
ジェラルドが意味深に笑う。
「そ、その手には乗らない! 僕は、は、恥ずかしがらないぞ!」
「アイリーン、顔が赤いぞ。説得力がない。……盛大な式にしよう。そなたの家族も招いて。ああでも姉上は、国を離れられないんだったか。いや、一時的なものなら大丈夫かもしれないな……なんとしても来ていただきたいものだ」
ジェラルドがアイリーンの額に自分の額をコツンと押し当てる。
二人だけの、たまらなく幸せな時間。
アイリーンは嬉しくなってジェラルドに抱き着いた。大きな腕がアイリーンの体を包み込む。
ああ本当に、涙が出るほど幸せ。……遠くで雷鳴が聞こえる。
アイリーンはジェラルドの肩越しに窓の外を見やった。
空は晴れている。雷の気配なんてどこにもない。
幸せを感じるたびに、どこか遠くで雷鳴のような音が聞こえることに、ある時アイリーンは気づいた。
初めは夏の夕立かと思ったが、聞こえるのはアイリーンがまどろんでいる時か、こうしてジェラルドと一緒にいる時。時刻は関係がない。この音が聞こえるたびに、いつか夢の中で見た、赤い光を思い出す。
竜神が呼んでいる。
決断を迫っている。
なんのかはわからないが、少なくとも命の期限が切れるまでにアイリーンは決断しなければならない。
――だいたいなんのことだかわからないのに、決断なんてできないと思うんだけど。
誰に聞けばわかるんだろう?
だが、悠長に構えてはいられない。アイリーンの誕生日は春の雪解け月の三日。
ジェラルドが楽しげに語る婚礼の日は、来ない可能性のほうが高い。
考えたくない。自分でも卑怯だと思う。でも考えたくないし、言いたくもない。頭ではジェラルドに早く告げてしまうべきだとわかっているのに。
今もまた、遠くで雷鳴が聞こえる。
――違う、これは、竜神の声……。
決めたか。答えは出たか。唸り声の中に混ざる思念に、アイリーンは頭を振った。何のことだかわからない。だいたいなんだってこんな時に聞いてくるんだ。今はジェラルドだけ感じていたいのだ。ジェラルドの与えてくれる幸せだけ貪っていたいのだ。
だって、アイリーンに残された時間はとても短い。
どこか遠くで竜神がこちらをうかがっている気配がする。どうして僕なの。どうして今なの。でもジェラルドが力強く抱きしめてくれている……だから、怖くない。
ジェラルドがいてくれれば、竜神の赤い目も、二十歳の誕生日も、怖くない……。
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