第31話
辿り着いた役所は一階部分が住民の要件を聞くフロアとなっているようだった。正面入り口を入るとすぐに総合案内所があり、その先は担当の課によって区画が分かれている。来所者は担当課のカウンターで順番札を受け取り、呼ばれたら受付で要件を伝えるというとても既視感のあるシステムだ。
「……ねえ、これって日本人が考えたシステムなんじゃないの?」
入り口で立ち止まり、様子を眺めながら心桜は呟く。しかし瑠璃は不思議そうに「なぜですか?」と首を傾げた。
「え、だってこの雰囲気って日本の市役所っぽくない?」
「そうなんですか」
「そうなんですかって……。瑠璃の住んでたところは違った?」
「わたしが日本にいた頃はまだ子供だったので」
「ああ、役所には用事がない頃か」
「あなたもそうなのでは? まだ高校生ですよね?」
「……付き添いで行ったことがある」
慎の付き添いで。たしか慎がパスポートの更新をしたときだっただろうか。暇だったので一緒について行ったのだ。
二人でどこか別の国に行けたらいいね。そんなことを話しながら。
「心桜様?」
「なんでもない。で、なんだっけ? 人間課?」
「奴隷課です」
「知ってるし」
心桜は答えながら周囲を見渡す。受付カウンターには文字が書かれた札が下げられているが、心桜には読むことができない。魔者になって話し言葉は理解できるようになったが文字まで理解することはできないようだ。
「……瑠璃ってこっちの世界の文字は読めるんだっけ?」
「はい。ですが、フロアが広いので聞いたほうが早いです」
言いながら彼女は総合案内所へ向かう。その様子を少し離れた場所から見ていると受付の獣人は心桜の方を見て納得したような表情を浮かべ、にこやかに瑠璃に返答し始めた。
――嫌な感じ。
心桜が思っていると瑠璃が戻ってきた。
「奴隷課は一番奥の区画みたいです。行きましょう」
しかし心桜が歩き出さないのを見て瑠璃は「どうかされましたか?」と怪訝そうに眉を寄せた。
「瑠璃、前歩いてよ」
「え、でも」
「隣でもいい」
「……それならいいですけど」
首を傾げながら瑠璃は心桜の隣に並んで歩き出した。
「どうしたんですか。突然」
「別に」
答えながら心桜は周囲に視線を向ける。もうすぐ受付終了の時間だからだろうか。それともいつでもそうなのか、順番を待っている来所者は多い。彼らを見ながら心桜はわざと一歩下がって歩いてみる。すると眉を寄せてこちらを見てくる者たちが多くいた。
「――ふうん」
「心桜様? 先ほどからどうしたんですか」
「だから別にって。で? 奴隷課ってあそこ?」
一番奥のカウンターを指差しながら心桜は歩みを早めて瑠璃を追い抜いた。
「……そうですが」
瑠璃は眉を寄せたまま怪訝そうにしていたが、これ以上聞いても無駄と判断したのだろう。静かに心桜の後に続いた。
奴隷課の受付はなぜか他よりも混んでいるようだった。きっとかなり待つのだろうと受け取った順番札を見たが、そこに何と書いてあるのかわからない。
「瑠璃、これって何て書いてあるの? 数字?」
長椅子に座りながら訊ねると瑠璃はなぜか椅子の後ろに回ってから「はい。三十と書いてありますが……」と視線を周囲に向けた。
「三十……。けっこう待つのかな。てか、なんで後ろ? 隣に座ればいいじゃん」
「いえ。わたしはここでいいです。待ち時間についてはおそらくけっこう待つんじゃないでしょうか。ここにいらっしゃる方々の要件が終わってからになるでしょうから」
そのとき、ふいに隣から「きっと閉庁時間くらいになるんじゃないかと思いますよ」と声がした。見ると隣に座っていた少女が「ほら」と受付を指差した。
「もう今日の分の順番札は下げられていますから、あなたが最後ではないかと。でも、今は奴隷市の準備期間なので少し早く呼ばれるかもしれません。きっと待っている人たちのほとんどは奴隷市での営業申請を出すだけだと思いますから」
「ふうん……」
心桜は頷きながら少女を見つめる。
歳の頃は心桜と同じくらいだろうか。一見して真人のようだが頭には小さな角が二本生えている。しかし獣人とは違うように思う。だとするならば魔人だろうか。
そういえばこの世界に来てからよく見るのは真人や獣人ばかり。魔人を見かけたことはあまりない気がする。あの最初の森で襲われたときに見たくらいだろうか。
「あの……?」
じっと見つめていると少女が不安そうに眉を下げた。
「あ、ごめん。あんたって魔人?」
「そうですが……」
「やっぱそうなんだ。なんか、ここに来るまで魔人ってあまり見かけなかったなぁと思って」
すると少女は「ああ」と納得したように笑った。
「魔人は数が少ないですから」
「そうなの?」
「はい。魔人は真人や獣人と違って長命で子供もできにくいので」
「へえ。そうなんだ」
「はい」
彼女は薄く笑うと「あの、あなたはグレイハースト様ですよね?」と小さな声で言った。心桜は眉を寄せて「違うけど」と答える。すると少女は驚いたように「え!」と声を上げた。
「声がでかい。うるさい」
「あ、すみません。でも、あの、あなたは今日この街に来られた魔者の方では?」
「そうだけど」
「でしたらやっぱりグレイハースト様ですよね?」
「だから違うって。そう名乗った覚えないんだけど? わたしには美空心桜っていう名前がある」
「……ミソラ、様?」
「心桜でいいよ」
「はい。ココロ様」
「あんたは? 名前」
「エレールと申します」
「ふうん。いいね。綺麗な名前」
すると彼女は驚いたような表情を浮かべて「ありがとう、ございます……」と呟くように言った。心桜は首を傾げながら「エレールはここに何の用なの? 奴隷を買うの?」と聞いてみた。
「いえ、とんでもない。わたしはご主人様の使いで来ただけで」
「ご主人様……?」
「貴族様のお屋敷で小間使いとして住み込みで働いているんです」
「へえ……」
答えながら心桜は彼女を見つめる。
ずいぶんと整った綺麗な顔をしている。魔人と言っても控えめな角が生えているだけで見た目では真人と変わりないように見える。それでもよく見れば着ている服は質素で、ほつれが目立つ。顔色もあまり良くない。
サラリとした深い青色の髪は無造作に首回りで切られている。誰かに切りそろえてもらったという感じではない。もしかすると自分で切っているのだろうか。
――貴族の家で働いてるのに?
彼女が恵まれない環境にいるのか、あるいは魔人がこの世界ではそういう扱いを受けているのか。
心桜は瑠璃に視線を向けた。しかし、彼女はただ無表情にエレールを見つめているだけで何も言わない。
「あの、ココロ様も新しい奴隷をお求めなんですか?」
「ううん。わたしは人捜し」
「人捜し?」
「そ。人間の女の子を探してる」
「奴隷ですか?」
「は? 違うし。そんなわけないじゃん」
思わず強い口調で言った心桜に、後ろに立っていた瑠璃が「心桜様」と小さく口を開いた。心桜はため息を吐くとポケットからスマホを取り出して「こっちの子なんだけど、見たことない?」と画面をエレールに見せた。
「すごい。これ何ですか?」
「いいから答えて。この子、知らない?」
苛ついた心桜の声にエレールは恐縮したように首を竦ませた。
「すみません。わたしは見たことないです……」
「そう。ま、そう簡単には見つからないよね」
言いながら心桜がスマホをポケットに収めていると、エレールはその動きをじっと見つめてくる。
「なに」
「いえ、その、それはいったいどういう魔道具なんですか?」
「魔道具?」
魔道具というと、あれだろうか。シャドラが作っていたデタラメな便利道具。瑠璃が使っていたものを思い出しながら心桜は苦笑する。
「違うよ。これはわたしがいた世界から持ってきたもの」
「ココロ様の? でも、ココロ様は魔者ですよね?」
「そうだけど?」
「魔者はこの世界の人ですよね?」
不思議そうに言うエレールに心桜は「は?」と首を傾げる。すると彼女はハッとしたように「すみません」と俯いた。
「わたし、あまり頭が良くなくて。何か失礼なことを言ってしまったのなら謝ります。申し訳ありませんでした」
心桜は困りながら瑠璃に視線を向ける。瑠璃はじっとエレールを見ていたが、やはり何も言わない。ここでも彼女は奴隷を演じるつもりなのだろう。
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