第6話
目の前でシャドラが紅茶を口に含んで飲み込む。心桜は彼女の斜め後ろに控えて立つメイドに視線を向けた。
メイドは俯きがちに立っているが、その視線がこちらを向いていることはわかる。しかし敵意は感じない。かといって友好的な雰囲気でもない。
「どうぞ、お飲みください。毒なんて入っていませんよ。この子が淹れる紅茶はこの屋敷で一番美味しいんですから、そんな勿体ないことしません」
「別に、そんなことはどうでもいいよ。さっさと話してくれない?」
視線をシャドラに向けながら心桜は椅子の背にもたれた。カップに毒を塗っていないとも限らない。下手に飲まない方がいいだろう。少なくとも現状を把握するまでは。
そう思ってシャドラが話すのを待っていたのだが、なぜか一向に彼女は話そうとしない。ただ優雅に紅茶を飲み、たまにクッキーをつまむだけだ。
「……ねえ」
苛立ちが募り、心桜は口を開く。シャドラは「はい?」とカップを片手に首を傾げた。
「待ってるんだけど」
「奇遇ですね。わたしもですよ」
彼女はそう言うと静かにカップをテーブルに置いた。
「は? 何を?」
「何をって……。言ったでしょう? お茶を飲みながらお話しましょう、と」
「だからさっさと話してほしいんだけど?」
「ですが、あなたはまだお茶を飲んでいませんよ?」
「は?」
「せっかくうちの子が美味しいお茶を淹れてくれたのに、口もつけないのは失礼だと思いませんか?」
「うっざ……」
しかしシャドラは微笑んだまま心桜を見つめてくる。どうやら一口でも飲まなければ話は進みそうにない。
心桜はため息を吐いてカップを手に持つと、そっと口をつける。少し冷めた紅茶は猫舌である心桜には程よい熱さだ。そして口に広がる味は紛れもない紅茶。
良く知っている味だが、その茶葉が何であるかまではわからない。しかし少し気持ちが和らいだ気がする。馴染みの味だからだろうか。それとも温かなものを口にしたからか。
「いかがですか? お味の方は」
「おいしい」
思わず呟いてからハッとする。気づくとシャドラが満足そうに微笑んでいた。その斜め後ろではメイドがどこか嬉しそうな表情を浮かべている。心桜は深くため息を吐くとカップを置いた。
「それで? さっさと話して欲しいんだけど」
「ええ。あ、クッキーもどうぞ」
「はいはい。食べればいいんでしょ。食べれば」
心桜は半ば諦めながらクッキーを口に放り込む。意外にも、それもまた心桜がよく知るバターがたっぷり入ったクッキーの味と相違なかった。これもこのメイドが焼いたのだろうか。日本人だから自分が慣れ親しんだ味を再現したのかもしれない。
考えているとシャドラが「まず、この世界についてですが――」と口を開いた。
「ここは、あなたが生きていた世界ではありません」
そんなことは分かっている。バカにしているのだろうか。思ったが、せっかく話が進んだのだ。ここは我慢しておこうと心桜は紅茶を口に含んだ。
「この世界に住む種族は四つ。
心桜は眉を寄せた。獣人と魔人というのはなんとなく予想がつく。あの森で心桜を殺そうとしてきた化け物たちの中には尻尾が生えている者や耳がとんがっている者がいた。おそらくあれらが獣人であり、魔人なのだろう。だが真人とは何だろう。あのときの化け物の中には人間と同じ容姿をした者もいた。ただし目の色や髪の色が異質だったが。
「真人、というのは獣人でも魔人でも魔者でもない人のことです」
「人間じゃないの、それ」
違います、とシャドラは即座に否定した。そして紅茶を一口飲むと彼女は続ける。
「人は人であり、人間ではない。この世界に人間はいないんです。だから人間は殺される」
心桜はさらに眉を寄せる。
「まったく意味がわかないんだけど。なんで殺されなくちゃいけないの」
「人間だからです」
「……説明になってない」
心桜が低く言うとシャドラは困ったように微笑んだ。
「そうですね。しかし、この世界ではそれが理由の全てなんですよ。人間って日本語だと人の間って書くじゃないですか」
「それが?」
「つまり、それが人ではない、ということらしいんです」
「なんで日本語ベースなの? この世界って日本語なの?」
いいえ、とシャドラは首を横に振った。
「しかしこの世界にはこういう言い伝えがあります。太古の昔、この世界に迷い込んできた人間が自ら言葉を覚えて言った。我は人にあらず。人の間の者である、と。その人の間の者は言葉巧みに権力者たちを操り、この世界を破滅へと導いた。それがこの世界で初めての魔王である」
ゆっくりとした口調でシャドラは言った。心桜は顔をしかめる。
「今度は魔王って……」
「どうかしてますよね」
シャドラは笑ったがすぐに「でも」と真面目な顔で続けた。
「実際にその太古の昔に迷い込んできた日本人は独学で言葉を覚え、自分の世界で得た知識をこの世界の権力者に教えて兵器を作り出し、戦争を起こしたそうです」
「……どんな日本人が来たんだよ」
「よほど頭の良い方だったのでしょうね。ただ欲深くもあったようで、最終的には自らが世界を支配しようとして全世界を敵に回した。その結果討たれたそうですが、そういった歴史から特に黒髪や黒い瞳をした人間を見つけると即排除するのが当たり前となったらしいです」
「迷惑すぎるでしょ、その日本人」
「まったくです……」
シャドラは深く頷いた。でも、と心桜は首を傾げる。
「この世界にだっているんじゃないの? 黒い髪とか黒い瞳の真人? ってやつ」
「いませんね。西洋人のような容姿の者もいません。この世界にいる真人たちは鮮やかな髪や瞳の色を持って生まれてくるんです」
「変なんだね、この世界」
心桜の言葉にシャドラは苦笑する。
「この世界から見れば人間が変なんですよ。そもそもこの世界の生き物ではないんですから」
「まー、たしかに?」
「ちなみにこの世界にどうして人間が迷い込むのか、それは未だに謎のままです」
「……じゃあ、帰る方法も?」
訊ねるとシャドラは力なく笑ってメイドに視線を向けた。
「もしわかっていたら、わたしたちもとっくに帰ってますよ」
「たしかにね」
心桜は頷き、紅茶を飲み干す。するとまるで予想していたかのようにメイドが新しく紅茶を淹れてくれた。その動きを視線で追いながら「で?」と心桜は続ける。
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