第26話
クシャラ自治都市は、いわゆる商業都市らしい。街が近くなると街道の合流が多くなってきた。それまでは誰とも会うこともなかったのだが、街道の合流が増えたことにより次第に馬車を見かけることが多くなっていた。そのほとんどが商人の馬車であるらしい。
「街に向かってる馬車全部が奴隷商ってことはないんだよね?」
前の方を街に向かって進んでいく馬車の列を見つめながら心桜は訊ねる。瑠璃は頷いた。
「さすがに人間は貴重ですから。富裕層が多く住む街なので普通の商人も多いんです。あの街で手に入らないものはあまりないと聞きます」
「ふうん」
「何か手がかりが見つかるといいですね」
「できれば本人がいてほしい」
「奴隷としてですか?」
「……もし慎が奴隷になってたら慎を買ったやつ絶対殺す。奴隷商も殺す。生まれたこと後悔するくらい苦しめて殺す」
心桜の言葉に瑠璃は「街まで壊さないでくださいね」と言っただけだった。心桜は意外に思いながら彼女を見る。
「なんですか?」
視線に気づいた瑠璃が不思議そうに首を傾げた。
「いや、殺すのはいいんだと思って」
「良いとは思いませんが、もしそんな状況であった場合にあなたを止めることはできないでしょう?」
「それはそうだね」
「わたしはむやみに人を殺してほしくないだけです」
「理由があればいいんだ?」
「良いとは思いません」
そんな会話をしている間に街はもうすぐそこにまで近づいていた。
遠くに見えたときから分かっていたが、バースの街よりも大きな街だ。やはり石壁が張り巡らされているが、その上にはバースの街では見られなかった見張り台のようなものがある。そこには鎧を身に纏った兵が見張りに立っている姿も見えた。
「なんか厳重警戒じゃない?」
検問しているのだろう門の方へ視線を移しながら心桜は呟いた。ここにきて馬車が渋滞しているのは、どうやら検問に時間がかかっているらしい。門兵は馬車の荷物まで念入りに調べているようだ。
「こんなもんなの? この街って」
「どうでしょうか。たしかにこの街は盗賊などに狙われやすいとは聞きますが」
「金持ちが多いから?」
「はい。ご覧の通り商人も多いですから。しかし、こんなに検問に時間がかかるとは聞いたことがありませんが……」
「ふうん」
心桜は頷きながら、とりあえず馬車の脇を通って門の方へ近づいてみる。そこには通行許可を待つ徒歩の旅人も多く並んでいた。
「馬車じゃなくても渋滞か」
思わず心桜が呟くと「困ったもんだよなぁ」と前に並んでいた中年の男が振り返った。
「いつもこんな感じなの?」
「いや、普段はもっとサクサク通してくれるんだがな。今はちょっと訳ありらしい」
「訳あり?」
「ああ。少し前に奴隷が逃げ出したって話、あんたも聞いたことあるだろ?」
「子供でしょ?」
「そうだ。だが人間だ。しかもこっち生まれの人間だ」
「だから?」
「やっかいだろうが。言葉も話せるし、聞いたところによると頭もかなり良いって話だ。どんなことをしでかすか分かったもんじゃない。野放しにした人間なんて化け物も一緒だ」
彼はそう言って視線を瑠璃に向けた。そして「つうか、あんた」とその視線を心桜に戻す。
「魔者か?」
「だったら?」
「魔者ならこんなとこ並んでないで、あっちの専用門に行けば早く入れるぞ」
男はそう言って右の方を指差した。たしかにそちらにも門があるようだが、並んでいる人も馬車もない。
「なに、専用門て」
「知らないのか?」
「知らないから聞いてる」
心桜が男を睨むと彼は一瞬、怯えたような表情を見せた。しかしすぐに「この街は金持ちが強い」と言った。
「だから?」
「魔者は貴族だろう。俺たちみたいな平民とは違う金持ちだ。だから専用の門があるのさ」
「つまり貴族専用の門?」
「まあ、そういうことだ」
「ふうん」
心桜は瑠璃に視線を向ける。彼女は専用門と目の前の門を見比べてから「あちらへ行きましょう。心桜様」と頷いた。
「わかった」
心桜は頷いてから「あ、そうだ。おじさん」と男を見た。
「な、なんだよ」
「この街で平民でも気軽に泊まれる宿ってどこか知らない? 安くて綺麗なとこがいい」
「……魔者が泊まるのか?」
「知ってるのかって聞いてるんだけど」
「まあ、知ってるが。平民街の宿ならどこも基本的に安宿だ。見た目と中身は比例してるから、どの宿がいいかってのは好みだろう」
「そう。どうも。行こう、瑠璃」
心桜はそのまま門に向かう。瑠璃も隣を歩きながら「心桜様」と口を開いた。
「なに」
「良かったですね。一目で魔者だとわかってもらえて」
「嬉しくない」
心桜はため息を吐くと「なんであのおじさん、微妙に怯えてたんだろ。わたし、まだ何もしてないのに」とチラリと後ろを振り向いた。男はもうこちらを見ていない。とくに心桜たちのことを警戒したという様子でもなさそうだ。
「それは仕方ありませんよ」
「なんで?」
「心桜様が魔者だからです」
「だから、なんで?」
「この世界の人々は魔者を怖がるものなのです。バースの街でもそうだったはずですよ」
「あー、そういえば。でもあの町では嫌われてる感の方が強かった」
「おそらくあの時と今では心桜様の魔力の強さが違うのかと。見た目も魔者らしくなっていらっしゃいますし」
「それは嬉しくないって言ってんのに。まあ、すんなり入れそうでよかったね」
「そうですね。あそこで足止めされては日が暮れてしまうところでした」
瑠璃は頷くと一歩後ろに下がった。不思議に思って心桜は彼女に視線を向ける。
「ここからはわたしは奴隷ですから」
静かな口調で彼女は言い、首に巻いた奴隷紋に手をやった。
「それ、ずっと外さないんだね」
「これを外すことはわたしにとっては自殺行為です」
「……そっか」
その奴隷紋のおかげで言葉を理解することができ、今は心桜の奴隷という身分を証明している。たしかにそれのおかげで彼女はこの世界でも存在を許されているのだろう。しかし……。
――嫌だな。
それをつけているせいで瑠璃は周りから奴隷として見られてしまう。仕方のないことだとわかってはいる。しかし良い気分ではない。
「心桜様?」
瑠璃が怪訝そうに眉を寄せた。心桜は「なんでもない」と薄く笑みを浮かべ、専用門の前で立ち止まる。そこには二人の若い兵士が立っていた。
二人は心桜を見ると「ようこそ、クシャラ自治都市へ」と愛想の良い口調で言う。
「こっちから入ればいいって言われたんだけど」
「はい、魔者の方とその奴隷ならばこちらから通行が可能となっております。こちらの魔力晶に手を触れていただけますか?」
言って兵士が持ってきたのは真っ黒な石だった。どこかで見たことがある。
「……触ればいいの?」
「はい。お願い致します」
見たところ、ただの石だ。何か仕掛けがあるようにも見えない。心桜はそっと右手を石に押し当てた。その瞬間、石が燃えるような赤色に変化し、そのまま透き通っていく。よく見ると、石の中に何か模様のようなものも浮かび上がってきた。
「おお、これは……」
様子を見ていたもう一人の兵士が思わずといったような声を上げる。
「なに?」
心桜が睨むと彼はハッとしたように姿勢を正した。
「失礼しました。深紅の魔者、グレイハースト様。ようこそ、クシャラ自治都市へ」
そんな声と共に目の前の門が開かれていく。
「……は?」
「こちら、街の地図となります。よろしければお持ちください」
「ありがとうございます」
差し出された地図をすかさず瑠璃が受け取る。
「ねえ、瑠璃。あの兵士――」
「行きましょう、心桜様」
心桜の言葉を遮って瑠璃が言う。そしてハッと気づいたように兵士を振り返ると「平民街というのは、この地図ではどちらになるのでしょうか」と聞き始めた。兵士は嫌な顔もせずに親切に教えてくれているようだ。
あの山小屋に来た兵士たちも瑠璃と普通に接していた。それはやはり瑠璃が奴隷であるという認識だからなのだろう。バースの街ほど人間、いや、奴隷に対する嫌悪感を住民は持ち合わせてはいないようだ。
――でもあいつ、なんでわたしのことグレイハーストって……。
考えていると「お待たせしました、心桜様」と瑠璃が戻って来た。
「場所、わかった?」
「はい。ここから歩いて十五分ほどいったところに良い宿があるそうです」
「……まだ歩くの」
うんざりしながら門をくぐる心桜に「良い滞在を。グレイハースト様」と兵士二人が声を揃えて言った。
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