第25話
森の道を歩き続けて三日後、心桜たちはようやく森を抜けて街道を歩いていた。結局、森の中で獣と出会ったのは一度だけ。それはイノシシのような獣だった。
やたら素早いその獣を瑠璃は苦戦することなく仕留めると手際よく処理して食用に解体していた。いったいどんな生活を送ればそんなサバイバル能力が身につくのか、あらためて心桜は疑問に思ったものだ。
街道に出てからは誰に会うこともなく、瑠璃だけは順調に足を進めていた。
「心桜様」
「……なに」
「もしかして疲れていらっしゃいますか?」
「見てわかんない?」
心桜は怠い身体をなんとか動かしながら隣を歩く瑠璃に視線を向ける。彼女は眉を寄せて首を傾げた。
「ものすごく怠そうに見えます」
「正解。もう喋るのも怠いからあんま話しかけないで」
「……体調が悪いんですか?」
「違う」
「お腹が減ったんですか?」
心桜は深くため息を吐いて「違う」と歩きながら項垂れる。
「では、どうして」
瑠璃は心底不思議そうに呟いた。
「瑠璃、マジで言ってる?」
「はい。マジで言ってます。どうされましたか? さっき休憩もとったばかりかと思いますが」
「あの小屋を出てから三日でしょ」
「そうですね」
「ずっと野宿だったじゃん」
「はい。それが何か?」
「無理。わたし野宿、マジで無理」
心桜が力なく言うと瑠璃は呆れたような表情で「正確には野宿ではありませんよ」と言った。
「ちゃんとテントも張りましたし、寝袋で寝たじゃないですか」
「地面がボコボコしてたし湿気もあるし、なんか虫も入ってきてた」
「心桜様……」
瑠璃が冷たい視線で見てくる。心桜は「わかってる。わかってるって」とため息を吐いた。
「贅沢言うなっていうんでしょ? わかってるんだけど、生まれて初めてだったんだからしょうがないじゃん」
「でしたら、早く魔力を思うがままに操れるようになってくださいね」
「は? なんでそこで魔力?」
「シャドラ様はご自分で地面の固さや湿度を調整し、虫よけ対策に結界なども張っておられました」
「……マジ?」
「あの方はそういう方面に研究を重ねておられますので」
心桜は眉を寄せて「変人じゃん」と呟いた。
「あのテントとか寝袋もあの人が作ったんでしょ? 本人、滅多に外に出ないのに」
「他にすることがないからとお庭で楽しんでおられましたよ。わたしも野営の基礎はそこで教わりました」
「……あんたもあの人も暇を持て余しすぎじゃない?」
しかし瑠璃は何も答えず、すんとした表情で「ですが」と道の先へ視線を向けた。
「幸いにも今日は野営する必要はありませんね」
つられて心桜もそちらに視線を向ける。すると遠くの方に何か街らしきものが見えてきた。
「あそこ? クシャラ自治都市って」
「はい。この調子ならあと半日くらいで到着ですね」
「やった! 野宿からの解放!」
「野宿ではありません」
瑠璃は言ってから立ち止まった。
「瑠璃? どうしたの」
心桜も立ち止まって振り返る。彼女は「いえ」と少しだけ不安そうな表情を心桜に向けていた。心桜は微笑む。
「大丈夫だって。今回はこれもつけてるから前みたいに門で止められることもないんでしょ? 嫌だけど、わたしの見た目もけっこう人間離れしてきたし」
心桜は首元に提げた、以前よりも少し透明度が増した六角形の赤い石を手で触った。色も少しだけ変わったような気がする。心桜の魔力が変化したということなのだろう。
「まあ、そうですが」
それでも瑠璃は不安そうに心桜を見つめる。心桜は手をヒラヒラさせながら「大丈夫、大丈夫。ちゃんと言われたことは気をつけるって」と歩き出す。
「……それも心配ではあるのですが、他にも心配事がありまして」
「ふうん。なに?」
「心桜様、あの街で何日滞在される予定でしょうか?」
「え、さあ。情報収集の結果次第ってことだけど」
「そうですよね。あの街での宿代が足りるかどうか……」
後ろから聞こえた沈んだ声に、心桜は再び足を止めて振り返る。
「もしかしてあの街の宿代、高いの?」
「わたしはバースの街以外の宿を利用したことがないので相場がわかりません。しかし、あの町は富裕層が多く住んでいますから」
なるほど。つまり高額な代金を請求する宿もあるということだろう。
「あのさ、瑠璃。今さらなんだけど」
ゆっくりと足を踏み出しながら心桜は言う。瑠璃も隣に並んで歩き出した。
「お金ってどのくらいあるの?」
「そうですね。全部合わせると小金貨五枚といったところでしょうか」
「小金貨……。つまりそれはどのくらい?」
心桜が訊ねると彼女は「そういえば、この世界の貨幣についてお教えしていませんでしたね」とメイド服のポケットから布袋を取り出した。そして中から数枚の硬貨を取り出す。
「この世界の貨幣は共通でシンプルです。まずは一番価値が低い欠片銅貨。それから順番に銅貨、小銀貨、銀貨、小金貨。そして今わたしは持っていませんが、金貨、白金貨と価値が高くなっていきます」
「ふうん。白金貨が一番高いの?」
「そうですね。欠片銅貨十枚で銅貨一枚、銅貨十枚で小銀貨一枚といったように十枚単位で価値が決まっていきます」
「あの街の宿ってたしか、二人分で銅貨五枚だったっけ?」
「四枚です。一人銅貨二枚ですね。バースの街でも良心的な安宿でした」
「ふうん」
心桜は頷いたが、あまりピンとこない。買い物にも行ったことがないので物価の相場がよくわからないのだ。心桜は首を傾げながら「まあ、でもさ」と遠くに見えるクシャラ自治都市を見つめる。
「あれだけ大きな街なんだから、どこもかしこも高級宿ってことはないでしょ」
「それはそうでしょうが」
しかし瑠璃は不安そうだ。
「まあ、行ってから考えようよ。高い宿しかないっていう場合はなんとかするし」
「なんとか?」
「仕事探したりとか」
「……心桜様が?」
疑わしそうな視線を瑠璃が向けてくる。心桜は心外だとばかりに彼女を見返した。
「わたしだって普通にバイトくらいしてたよ?」
「どのような?」
「え、普通に接客業」
「……いざとなったらわたしが働きます」
瑠璃はそう言うと足を速めた。
「ほら、行きますよ。日暮れまでには街に入って宿を探しましょう」
――信じてないな、瑠璃のやつ。
心桜はため息を吐きながら彼女の後に続いた。
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