第24話

 久しぶりの外は穏やかな晴天。風は緩やかで暑くも寒くもない心地良い気候だ。森の空気は湿気を帯びているからか、少しひんやりしていて病み上がりの身体にも優しい感じがする。


「なんかピクニックみたいでいいね」


 森の中の道を歩きながら心桜が言うと瑠璃は「そうですか」と無表情に答えた。


「なにその反応。なんか怒ってんの?」


 思わず訊ねると彼女は「いえ」と心桜に視線を向ける。


「その元気があと何分持つのかと思いまして」

「何分って……。せめて何十分かは持たせるつもりだけど?」

「無駄口は体力を消耗させますよ」


 瑠璃は呆れたようにそう言うと前を向いて足を速めた。やはりご機嫌斜めのようだ。

 心桜はため息を吐くと周囲に視線を向ける。

 静かな森には時々、鳥のさえずりが響いている。森林浴をしているようで気持ちが良い。しかし足元は道としての体を成してはいるのだが、木の根や草が生えていてとても歩きづらい。


「……ねえ、瑠璃」

「はい」

「街までずっと森の中歩くの?」

「いえ。この先に進むと大きな街道があります。本来はそこを歩くルートが正解ですね」

「そうなんだ」

「ですが、わたしたちは森の中を行きます」


 瑠璃の言葉に心桜は「え、なんで」と不満の声を上げる。瑠璃は横目で心桜を見ると「街道は広くて歩きやすいですが、それなりに人の往来もあります」


「だから?」

「心桜様がまた暴走すると厄介なので」


 心桜は「いやいや」と瑠璃を睨む。


「そんな簡単にキレたりするわけないじゃん。疲れるのに」

「そうでしょうか」


 なぜか疑わしそうな目で彼女は心桜を見てくる。心桜を眉を寄せた。


「もしかして、さっき言ったこと気にしてる? わたしの物を壊そうとする奴は誰でも殺すってやつ」

「はい」


 心桜は深くため息を吐いた。


「たしかにそう言ったけど、そう簡単にぶちギレてたらわたしの身体いくつあっても足りないでしょ」

「キレるキレないの問題ではありません」


 瑠璃は怒ったような口調で言う。彼女が感情を表に出すことは珍しい。心桜は少し驚きながら「違うの?」と首を傾げた。すると瑠璃は立ち止まって心桜を見つめる。


「え、なに」


 眉を寄せて訊ねると彼女は「あなたは人を殺すことを躊躇わない」と言った。


「は?」

「あなたは街を一つ壊滅させたんです。多くの人が死にました」

「……だから?」

「中にはわたしのような人間に優しく接してくれる人もいたかもしれない」

「それ、あのおばさんのこと?」


 心桜が言うと彼女は「いえ」と首を横に振った。


「でも、あの人も優しいところはあったんです」

「瑠璃のこと嫌ってたじゃん」

「ですが悪人であったわけじゃない」


 心桜は瑠璃を見つめた。彼女もまた心桜を見つめ続けている。

 要するに彼女は心桜が勢いで多くの人を殺したことを責めているのだろうか。なぜだろう。彼女はあんなにも迫害されてきたのに。

 しばらく考えてみたが彼女の気持ちはわからない。


「それで、なんで怒ってんの?」


 素直に訊ねると瑠璃はわずかに眉を寄せた。そして「いえ。怒ってはいません」と静かに言って歩き出す。


「でもなんか怒ってるよね?」

「……怒っていません」

「怒ってるじゃん」

「怒っていません」

「ふうん」


 これ以上言ってもきっと彼女はそれ以外の答えは返さないだろう。心桜は口を閉じると視線を地面に落として歩き始めた。瑠璃も少し前を無言で歩き続けている。なんとなく気まずい沈黙だ。


「――奴隷ってさ、どんな扱いされるものなの」


 しばらく無言で歩き続けたが、沈黙に耐えきれずに心桜は口を開いた。瑠璃は「様々ですね」と何事もなかったかのように答える。


「奴隷の種類によっても違うと思います」

「種類?」


 瑠璃は頷いた。


「奴隷にもランクがあります。特級が一番上。次に一級、二級となります。特級は純粋な人間。わたしのような向こうの世界から来た人間です。一級は向こうの世界から来た人間同士に生ませた子供。二級はこの世界の人と人間の子供です」

「……なんかイラッとするね。その階級制」

「ですが、奴隷になることによって死を免れているんです。それが幸運となる場合もあります。特級は希少で価値が高いので見世物として人並みの待遇をされている者が多いと聞いています」

「ふうん」


 今から行く街にはそんな人間が多くいるのだろうか。希少ということはやはり数は少ないのだろう。奴隷としての人生を送ることになった人間は、果たしてそれを幸運と捉えているだろうか。死んだ方がマシだと思ってはいないだろうか。


 ――もしそうだったら。


 地面を見つめながら考える。そのとき「ダメですよ」と瑠璃が静かな口調で言った。心桜は顔を上げる。


「なにが」

「たとえ街で奴隷たちがどんな扱いを受けていても殺してはダメです。奴隷も、その持ち主も」


 心桜は驚いて目を見開く。


「エスパー?」


 しかし瑠璃は笑わなかった。


「あなたにはむやみに人を殺してほしくありません」

「そんな、無差別殺人者みたいに言わないでくれる?」


 心桜は笑って返したが瑠璃は無表情のまま「その通りですよ。今のあなたは」と言った。


「ふうん……。そう見えるんだ、わたし」


 心桜は再び視線を地面に向けた。瑠璃は「今のあなたは――」と続ける。


「きっと魔者の力を自覚して持て余している状態です。何かあれば力で解決しようとしている。違いますか?」


 違う。とは言えないかもしれない。しかし、そうだとも言えない。自分でもよくわからないのだ。どうしてこんなにも思考が短絡的なのか。どうしてすぐに相手を殺してしまおうという結論に至るのか。


「あなたには魔者ではなく人間であってほしい。あなた自身もそう願っているのだと、そう思っています」

「……ふうん」


 しかし果たしてそれはどうだろう。自分が魔者であることはもう受け入れている。人間ではない。それでもいいと思った。この力で慎を助けることができるのなら。だが、人間ではなくなってしまった自分を見たとき慎はどう思うだろう。平気で人を殺すような心桜を慎は受け入れてくれるだろうか。


 ――怒られそう。


 そして悲しみそうだ。心桜はそのときの慎の表情を想像してため息を吐くと顔を上げた。


「気をつける」


 その言葉に瑠璃は立ち止まると、驚いたように目を見開いた。しかしすぐに柔らかく微笑む。


「お願いしますね」

「その代わりわたしからも瑠璃に一つ要求」


 彼女の前に立ちながら心桜は人差し指を彼女に突きつける。


「……要求ですか?」


 瑠璃は困惑したように首を傾げた。心桜は頷く。


「今後、我慢しないこと」

「我慢……」

「そう。周りからひどい暴言を吐かれたら怒っていいし、何か暴力を振るわれたらやり返せば良い」

「でも――」

「瑠璃の近くにはいつでもわたしがいる」


 心桜は立ち止まると瑠璃に笑みを向けた。瑠璃も驚いたような顔で立ち止まった。


「わたしが瑠璃を守るよ。だから安心してやり返してやれ」

「……心桜様」

「それがわたしからの要求。もし瑠璃が何か我慢してるなとわたしが感じたら、そのときはわたしが我慢しないから」


 瑠璃はフッと息を吐くようにして笑う。


「わたしが我慢してるって、どうやってわかるんですか?」

「そりゃ、わたしがイラッとしたら瑠璃だってイラッとしてるでしょ?」

「しません。わたしは心桜様と違って気が長いんです。耐性もかなりあります」


 たしかにそうかもしれない。今までずっとひどいことを言われてきたのだろう。あの街での彼女の表情はずっと無だった。まるで感情など忘れてしまったかのように。


 ――でも。


「わたしは、あの街での瑠璃は嫌いだから」


 唐突な言葉に驚いたのか、彼女は「え――」と目を見開いて声を漏らした。心桜は彼女を見ながら「あんな顔してる瑠璃は見たくない」と続けた。


「どんな顔でしたか」


 彼女は困惑したように頬に手を当てる。


「もしまたあんな顔してたら瑠璃は何かを我慢してると判断するからね」

「だから、どんな顔ですか」

「それは自分で考えて」


 心桜が言うと彼女は「無茶なことを」と眉を寄せて呟く。そして両手で頬をさすり始めた。そんな彼女に心桜は笑みを向けて「てことで、行こうか」と再び足を踏み出した。


「真っ直ぐでいいの?」

「そうですね。街道に出るにしても、しばらくは真っ直ぐです。ですが先行しないでください。この森は凶暴な獣が出ます」

「それは瑠璃に任せるよ」

「だったらわたしから離れないでください」

「はいはい」


 心桜は頷きながら彼女の前を歩く。


「……ねえ、瑠璃」

「なんでしょう」

「もし獣とエンカウントしたらさ、わたしにも戦い方教えてくれる?」

「なぜ?」

「いや、今のわたしって魔力でゴリ押しするしか能が無いじゃん? それじゃダメだなぁって。瑠璃みたいに獣を狩って食料にするくらいのことできないとさ、この世界では生きるの厳しいんでしょ?」


 振り向くと瑠璃は苦笑していた。


「人間であるわたしはそうですが、魔者であるあなたは別にそんなことしなくても生きていけますよ」

「瑠璃が言ったんじゃん。わたしには人間であってほしいって」


 すると彼女はハッとしたように目を見開いた。そして「承知しました」と頷く。


「ですが、わたしは何かを教えるのは得意ではありません。最初に出会った一頭はわたしが倒します。もし次に獣に出くわしたら心桜様が倒してください。武器はお渡ししますから」

「……見て覚えろ?」

「はい」

「スパルタすぎない?」

「心桜様なら大丈夫ですよ」


 まったくの棒読みで彼女は言う。心桜はため息を吐いて「ま、わたしは死なないしね」と笑った。


「怪我は困りますから、無理そうだったら手を貸します」

「それはありがとう」


 心桜と瑠璃は顔を見合わせて笑みを浮かべる。


 ――瑠璃が望むのなら、もう少しだけ人間らしく生きてみるのもいいかもしれない。


 そう思うのはきっといつでも人間らしさを捨てることができると自覚しているからだ。もし完全に思考すらも完全に魔者となったとき、瑠璃はどうするだろう。離れていってしまうだろうか。


 ――それは少し寂しい。


 だから、もう少しだけ人間でいよう。きっと慎も再会した心桜が人間らしくある方が喜んでくれるに違いない。


 ――瑠璃と慎のために、人間らしく。


 思いながら、心桜は深い森の道を歩き続けた。

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