第19話
「なに薄ら笑い浮かべてんの?」
「いえ。少し思い出していました。あなたに血を分けていただいたときのことを」
「ああ……」
レイヴァナは頷くと「あの時は面白そうだと思ったんだけどなぁ」と呟いた。
「あんた、人間なのに街をひとつ丸焼けにしてたし。絶対面白い人間なんだろうって思ったんだよ?」
「わたしの記憶は面白くなかったですか?」
「んー、よくわかんなかった」
彼女は言いながらシャドラが飲んでいた紅茶のカップに手を伸ばすと残っていた紅茶を飲み干す。
「そうですか」
微笑みながらシャドラは彼女の為に新しく紅茶を淹れる。魔力で温めた程よい温度の紅茶からは良い香りがする。
「まあ、あんた自身が暇つぶしにちょうど良い相手になったからいいけどさ」
「いつでもお相手しますよ」
答えながらシャドラは彼女を見つめる。
レイヴァナから血を流し込まれたときに見た誰かの記憶。あれはきっとレイヴァナ自身のものなのだろう。
冷たい床。
冷たい壁。
何も無い部屋。
真っ暗な部屋。
そこに立つ幼い少女。
一人ぼっちの少女。
その記憶に感情は一切感じられなかった。無だ。温度も音も何もない。言うなれば真っ白な記憶。その記憶から伝わる想いはたった一つ。
あれはきっとレイヴァナがレイヴァナとなる前、彼女が人間だった頃の記憶なのだろう。それがいったいどれほど昔のことなのかわからない。彼女自身も忘れてしまっている記憶かもしれない。そしてきっと、彼女はあの記憶がシャドラに流れ込んだことに気づいていない。
「レイヴァナ」
「んー?」
「家族って何だと思います?」
「えー、なにそれ。知らないし興味もない」
「そうですか」
しかし、それでもシャドラは知っている。彼女が人間だった頃に求めていたものを。
「レイヴァナ」
「なに?」
「もう少し頻繁にこちらに帰ってきてくださいな」
微笑みながら言うとレイヴァナはきょとんとした表情を浮かべて「えー」と軽く眉を寄せた。
「だってここ、つまんないじゃん」
「ですが落ち着けるでしょう? 温かなベッドもあります」
「それくらいわたしだって」
「持ってないでしょう。あなたは国に属することをずっと拒んでいるから爵位も土地も屋敷も与えられていない」
「……だってめんどくさいんだもん」
シャドラより長く生きている少女はシャドラよりも幼い表情で腕を組むと頬を膨らませてそっぽを向く。シャドラはそんな彼女を柔らかく見つめた。
「いいと思いますよ。あなたは自由ですから」
「あんたも自由だったのに、さっさと腰落ち着けちゃってさ。ほんとつまんないよ」
「わたしはいいんです。こうして一つの場所に暮らすのが性に合っています」
「楽しい?」
「ええ、楽しいですよ。こうしてあなたが来てくれますから」
「変なの」
「そうですか?」
「そうだよ」
シャドラは「そうかもしれませんね」と頷く。
変だ。つまらない。そんなことを言いながらもレイヴァナはこの屋敷に戻ってきてくれる。一人がいい。自由がいい。そう言いながらも彼女はシャドラと共に過ごす時間を求めてくれる。それは彼女が心の片隅にあの記憶と想いを抱えているからだろう。
行く場所もない。帰る場所もない。誰も待っていない。たった一人、死んだように生きていた少女の記憶を。そして真っ白な記憶の中に込められていた苦しいまでの渇望を。
シャドラは「それでも」と微笑む。
「わたしはあなたと一緒にいますよ。ここで、ずっとあなたを待っています」
そう決めたのだ。
自分が彼女の帰る場所となる、と。いつか記憶の中の少女が笑ってくれるように。
「ふうん」
レイヴァナは薄く笑みを浮かべて「でもさ」と視線を遠くに向けた。
「そのためにはアレ、どうにかしなくちゃいけないんじゃない?」
彼女は言いながら椅子の背にもたれると街の方を指差した。視線を向けたそちらの空は、まるで夕焼けのように赤く染まっている。
「すごいことになってるね。あれってもしかしてココロがやったのかな?」
面白そうに笑いながらレイヴァナは言う。シャドラはため息を吐いて「時間的にもタイミング的にもそうでしょうね。きっと」と立ち上がった。
「あんたに燃やされてからせっかく再建したのに、また燃やされるなんてツイてない街」
「もうわたしがあの街を燃やした人間だったなんてこと、誰も覚えていませんよ」
「街の歴史では『謎の大火』ってことになってるんだっけ?」
「ええ。生き証人もいませんでしたからね。真実を知っているのは王とその側近くらいのものです」
「ふうん。でも同じ眷属の魔者が街を焼いたってなると、けっこう問題なんじゃない?」
「かもしれませんね」
「バレたらここに住めなくなるんじゃない?」
「問題ありませんよ」
シャドラは微笑み、レイヴァナに視線を向けた。
「あれもまた『謎の大火』ですから」
この世界の住人がどうなろうが知ったことではない。シャドラにとって大切なのはこの屋敷。レイヴァナが安心して戻って来られる場所。それを奪う可能性はすべて消してしまえばいい。
それにしても、とシャドラは苦笑する。
「あの子たちは問題を起こすのが早すぎますね。瑠璃がいるから大丈夫と思っていましたが」
「まあ、仕方ないんじゃない? ココロにはわたしの目をあげたんだもの。そう簡単に魔力の制御ができるわけないし」
「たしかに。しかも彼女は感情的な性格のようでした。魔力の制御は感情に左右されてしまう……」
「面白そうな子でしょ?」
「あなたが好きそうな子でしたね」
「これからどんなことしてくれるか楽しみだなぁ」
ニコニコと笑いながら彼女は紅茶を口に運んだ。
「今の彼女は言うなれば歩く爆弾みたいなものでしょうか」
「そ。しばらくはそれだけで楽しめそう」
無邪気に笑うレイヴァナにシャドラはため息を吐いた。
「瑠璃が少し不憫ですね」
「だったらココロと一緒に行かせなければ良かったのに。あんたのことだから予想はついてたでしょ?」
「ええ。でも、あの子がそれを望んだので」
シャドラの言葉にレイヴァナは呆れたように肩をすくめた。
「やっぱりあんた変だよ。せっかく育てた子を死ぬと分かってるのに行かせるなんて」
「ええ。でも死なないかもしれませんし、そのうち二人でひょっこり帰ってくるかもしれませんよ」
レイヴァナは何か探るような視線をシャドラに向けたが、すぐに興味を失ったのか「ま、いいや」と軽く片手を振った。
「早く行ってきてよ」
「はい。すぐに片付けてきますから紅茶でも飲んで待っていてください」
「戻ったらお菓子を焼いてよ。久しぶりにあんたが焼いたケーキが食べたいな」
嬉しそうな表情で言うレイヴァナの表情が一瞬脳裏に蘇った記憶の中の誰かと重なる。シャドラは微笑んで頷いた。
「ちゃんと良い子にして待っていてくださいね」
「はいはい。行ってらっしゃい」
「行って参ります」
シャドラは言うと全身に魔力を巡らせて宙に浮く。高い場所からだと街の様子がよく見える。まだ街半分が炎に呑まれたくらいだろうか。茜色に染まった街へと飛びながら振り返った先で白い髪の少女が手を振っている姿が見えた。
いまさら何をしたところで、あの記憶の中に佇む少女が笑うことはないのかもしれない。しかし永遠の時の中を生きる少女の寂しさを、虚しさを、辛さを少しでも紛らわせることはできるはず。そのためにはこの場所を守らなくてはいけない。
彼女のために。そして自分のために。
今では彼女が自分と血を分けた家族なのだから。
シャドラは遠くなっていく少女に笑みを向け、業火に焼かれる街へと飛んだ。
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