第8話

「わたしの服と荷物は?」


 訊ねると彼女は「あら、それでしたら」と視線をベッドの方へ向けた。


「そのベッドの下にある収納棚に収めておいたはずですが?」

「は?」


 心桜は立ち上がり、ベッドの下を覗き込む。するとそこにはたしかに引き出しがあった。中を見ると綺麗に折り畳まれた制服。その上にスマホが置かれている。


「――先に言ってよ」

「聞かれませんでしたよね?」

「うざ……」


 シャドラは笑うと「では、あとはあなたのお好きになさってください」と椅子から立ち上がった。


「お好きにって……」

「体力が十分回復したと思ったらここから出て行っても構いません。あなたはどこの国にも属していない新米魔者ですから、放浪の旅というのもいいでしょう。もちろん誰もあなたを助けることはないでしょうが」

「魔者だから?」

「そうですね。しかし、まだ満足に魔力を操れない魔者と知られたら痛めつけられるくらいはされるかもしれませんが。見た目はまだ日本人に近いですし――」


 言いかけてからシャドラは「そうだ。これは助言ですが」と思い出したように続けた。


「自分の意思で力を制御できないうちは魔力を使うことは極力控えることをオススメしますよ」

「なんで?」

「森であなた、人を殺したでしょう?」

「化け物なら殺した」

「そのときに使った力はどう考えても彼らを葬るには強すぎた。その強すぎる魔力を半人前のあなたが使ったせいで、こんな何週間も寝込む羽目になったんです」

「……つまり、ちゃんと力を制御しないと毎回寝込む羽目になる?」

「そういうことです。魔者は不老不死ですが怪我もするし疲れたりもするんです。元は人間ですからね」

「あんたはちゃんと制御できるの?」

「まあ、これでも何十年か魔者やっていますからね」


 何十年、と心桜は口の中で呟きながらシャドラの姿を見つめた。どう見ても二十代だ。しかし、そうか。不老であるのなら見た目と比例した年齢ではない。


「何歳なの?」

「……内緒です」

「あんたがこっちに来たとき、何年の何月だった?」

「昭和――」


 言いかけてから彼女はハッとした表情で口を閉じた。そして心桜に笑みを向けると「内緒です」と今度は強い口調で言う。


「それでは、わたしはこれで失礼します。先ほども申しました通り、あとはあなたの好きになさってください。あなたは自由です。何か必要なものがあれば彼女に言ってくださいね。彼女はあなた専属のメイドですから、彼女のことも好きにしてもらって構いません」


 シャドラはメイドへ視線を向けるとそのまま静かに部屋を出て行った。


「メイドを好きにしてもいいって……。どういう意味」


 心桜はため息を吐きながらベッド下の引き出しからスマホを手にしてそのままベッドに座る。メイドはまだテーブルの近くに立ったままだ。


「今は何も用事ないから下がっていいよ」


 そう声を掛けると彼女は一礼し、食器類をカートに乗せて去って行った。

 一人きりになった部屋に静寂が戻る。シャドラから聞いた話はあまり理解できていないというのが正直なところだが、どうやらこの世界で生きるだけの力を与えられたらしいということはわかった。


「別に死んでも良かったのに」


 呟きながら倒れるようにしてベッドに仰向けになる。そして右手を挙げてスマホを顔の前にかざした。するとパッと画面が明るくなり、ロックが解除された。


「……ウソでしょ」


 シャドラの話では数週間は寝込んでいたはず。いくら操作していなくてもさすがに充電は切れているはずだ。しかし画面に表示されているバッテリーの残量は心桜が最後に見たときと変わっていないように思える。心桜は身体を起こすと画面を見つめた。メッセージに通知バッチが表示されているのだ。赤丸の中に一という数字。心臓がドクドクと強く脈打っているのを感じる。

 心桜は一つ深呼吸をしてメッセージアプリのアイコンをタップした。そこに表示されたのは慎とのトークルーム。そして、慎からの新規メッセージ。


『心桜。どこにいるの?』


 その一つ前のメッセージは森で意識を失う直前に見た、心桜に助けを求めるものだ。メッセージに打たれるはずのタイムスタンプはない。

 心桜は急いで返信を打とうとした。しかし打てない。入力欄に文字が入力できないのだ。


「なんで!」


 苛立ち、何度もタップするが反応はない。ならばメールはどうだ。通話は。他のSNSは……。思いつくものすべてのアプリを開いてみたが、どれも機能していない。ただこのメッセージだけが一方通行で送られてきている。


「慎……」


 彼女もこの世界に来ているのだろうか。メッセージを送れるということは生きているということだろうか。もしそうならば助けないと。


 ――わたしが慎を助けないと。


 昔からそれが心桜の役目だったのだから。

 もうきっと自分は人間ではないのだろう。それはむしろラッキーだ。この世界で彼女を守ることができる。彼女を守れるのは自分だけだ。


「待っててね、慎」


 ――必ず見つけるから。


 心桜はスマホを閉じてベッドの上に置くと目を閉じた。不思議と気持ちは落ち着いてきた。そのせいだろうか、眠気が襲ってくる。

 寝ている場合ではないのに。

 早くここから出て彼女を見つけないといけないのに。

 そんな思いとは裏腹に、心桜の意識は眠りの中へと落ちていった。

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