第3話

 意識を失っていた間に胸を温かくした気持ちは目を開けた瞬間には氷のように冷え切ってしまった。降りしきる雨は相変わらず滝のようだ。


「―――っ!」


 遠くの方から聞こえていたはずの声が少し近づいたような気がする。何を言っているのかわからない。

 日本語ではない。化け物たちの声だ。


 ――慎。


 動かない腕をムリヤリ動かしてスマホを取り出す。光った画面には修学旅行のときに撮った心桜と慎の笑顔。

 慎はどこに行ってしまったのだろう。ここはどこなのだろう。

 学校の屋上から落ちて死んだ。

 それならばまだ納得がいくし諦めもつく。慎と一緒に死んだのだとしたらどれほど嬉しかったか。


 それなのに、ここに彼女はいない。


 歩き回って探した先には街があった。およそ日本とは思えないほど質素な建物が並んだ街。いや、村と呼んだ方が良いかもしれない。

 そこに暮らしていたのは言葉も通じない化け物ばかりで、奴らは心桜を見るなり襲ってきた。剣で、弓で、そしてまるでアニメか小説の世界で見るような不思議な力で。


「……逃げなきゃ良かったかな」


 声にもならない声で呟く。いっそのことあのまま殺されていれば良かったかもしれない。

 穏やかに彼女との最後の時間を過ごしていたはずだった。それなのに気づけば見知らぬ森にいて、辿り着いた場所には化け物しかおらず、何日も走り回った森のどこにも彼女の姿はない。


 ――慎、無事だったらいいな。


 ザワザワと気配が近づいてくる。いよいよ化け物たちがすぐそこまで来てしまったようだ。

 あの、人間のような姿をした化け物たちが。

 一瞬グッと足に力が入る。しかし意思に反して両足はピクリとも動かなかった。


 ――もういいか。


 右手に持ったスマホに映る慎に心桜は微笑む。

 彼女がいないのならばここがどこであろうとどうでもいい。

 彼女がいないのならば自分の命なんてどうでもいい。

 彼女のいない世界なんて、どうでもいい。


「死ぬの?」


 ふいに声が聞こえた。心桜は思わず視線を声がした方へ向ける。つい反応してしまったのは日本語だったからだ。

 ここで目覚めてから初めて聞く日本語。それは目の前の木の上から聞こえていた。


「助けて欲しい?」


 声は少女のようにも聞こえ、少年のようにも聞こえ、そして大人の女性のようにも聞こえる。そんな不思議な声の持ち主は木の枝に座ってこちらを見下ろす、真っ白な髪の少女だった。血のように赤く大きな瞳が心桜をまっすぐに見つめている。


 ――変な格好だな。


 聞こえた日本語に安堵するわけでもなく、心桜が思ったのはそれだけだった。それほどまでに少女は妙な格好をしていたのだ。

 まるで真っ黒なカーテンを身体に巻きつけたような、あるいはやたら長い丈のパーカーのような、いや、コートだろうか。


「ねえ、あんたこのままだと死ぬと思うんだけどさ。助けて欲しい?」


 少女は無表情にそう言うと首を傾げた。ザワザワとした気配は次第に近づいてくる。


「助けてあげようか?」


 少女は再び聞いてくる。心桜はスマホの画面に視線を向けてから「別に、どうでもいい」と掠れた声で答えた。


「どうでもいい?」


 ――死のうが食われようがどうでもいい。慎がいないのならどうでもいい。何もかも、どうでもいいよ。


「ふうん? つまんないの」


 少女は心からガッカリしたようにため息を吐いた。


「助けてくれって懇願してきたら喜んで殺してあげたのに。あんたつまんない女だね」


 ――変な女。


「変なのはあんたの方だと思うけどね。今まで会った人間の中で一番変。反応も鈍いし」


 心桜は眉を寄せた。


「あ、いま『なんで分かったんだ』って思ったでしょ」


 ――うざ。嫌いだな、このタイプ。


「うわー。この状況でそんなこと思っちゃうんだ? わたしに頼めば助かるかもしれないのに」


 どうやらこの少女には思ったことが伝わってしまうようだ。心桜は小さく息を吐いてから「うざ」と声を出した。


 ――助けてくれって頼めば殺すって自分で言ってたくせに。


 しかし、別にどうでもいい。助けてくれと頼む気なんて欠片もないのだ。この少女が何者なのかすらどうでもいい。

 心桜は少女から視線を逸らして頭上を見上げた。

 雨粒が口内を濡らしていく。


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