第4話

「あんた本当につまんないね。生きる気なし。死ぬ気もなし。自分から何かする気まったくないでしょ?」


 ――正解。


「このまま死ぬならそれでもいいって感じ?」


 ――正解。


「じゃあさ、一個だけお願いしてもいい?」


 ――うざ。


「そう言わずにさ。あんたの目、ちょうだいよ」


 心桜はゆっくりと視線を少女に戻した。彼女は楽しそうな表情で自分の左目を指差す。


「左目でいいよ。あんたの真っ黒な目、すっごく綺麗で美味しそう」


 ――目を食べるとか趣味悪すぎ。


「かわりにわたしの目をあげるからさ。そしたら生きられるよ?」


 ――どうでもいい。欲しければ持っていけばいい。


「ほんとに?」


 ふいに間近で声が聞こえた。いつの間に来たのか、少女の顔がすぐ目の前にある。血のように真っ赤な瞳が心桜を捉えている。


「目の交換、契約成立でいい?」


 ――好きにすれば良い。


「うん。そうする」


 少女の手が心桜の左目を覆う。気のせいか左目が熱を帯びてきたような気がする。


「そういえば自己紹介してなかったっけ。わたしはレイヴァナ・グレイハースト」


 ――は? 今? このタイミングで?


「人間、あんたの名前は?」


 ――美空、心桜。


「ココロ、あんたの目とわたしの目。その記憶をわたしの力と引き換えにもらう」

「え……?」


 その瞬間、左目が焼けるように熱くなり心桜は悲鳴を上げた。左目の熱はすぐに顔全体に広がり、それは激痛となって全身を覆っていく。

 何が起きているのかわからない。ただ息もできないような痛みと熱だけを感じる。それでも握ったスマホだけは離すものかと懸命に右手を握りしめた。そこに映る慎の笑顔はもう見えない。

 懸命に声を張り上げる心桜の口を黙らせるかのように柔らかな何かが一瞬塞ぎ、そして離れていった。


「やっぱり人間の目って美味しくて大好き。楽しい記憶ばかりで面白いし暇つぶしには最高。ありがとね、ココロ」


 嬉しそうな声が頭の中で響く。


 ――何を、した。


 痛みに悶えながら辛うじて思考だけを働かせる。レイヴァナの声は「わたしの好きにしたの。あんたが言ったんだよ」と続けた。


「あんたの目をもらった。代わりにあんたにはわたしの目を。目は記憶。目は力。契約の印に口づけをしたから、もうあんたは人間じゃない。真人まびとでも獣人じゅうじんでも魔人まじんでもない。あんたは今から魔者まものだよ」


 ――魔者?


「あの子のいない世界で生きるんだよ。今から永遠に。楽しそうでしょ?」


 ククッとレイヴァナが笑う。


 ――いやだ。


「じゃあ、またどこかでね。ココロ」


 ――いやだ。生きたくない。


 次第に痛みは引いてきた気がする。だが呼吸がままならない。瞼を開けると視界が暗い。左目がおかしい。痛い。熱い。同時に何か不思議な温かさを感じる。熱さとは違う。心地良い温かさ。そして唇に残る柔らかな感触。


 ――いやだ。


 そのとき「いたぞ!」と声が響いた。


「こんなとこにいやがったか、人間!」

「なんだ、もう虫の息って感じだぞ?」


 ――言葉がわかる。


 心桜は遠巻きにこちらを見下ろしている者たちを見つめた。耳がとんがっている者。頭に角が生えている者。尻尾が生えている者。そして緑の髪をした人間の男。その誰もがさっきまでは何を話しているのかわからない化け物でしかなかったのに、なぜか言葉がわかってしまう。


「まあ、いい。どっちにしてもここで確実に殺しておかないとな」


 ――殺してくれるのか。


 だったらいいか。全身が痛い。何かを考えるのも怠いのだ。殺してくれるのならそれで――。


「そういや東の森にも人間の女がいたそうだぞ。ちょうどこいつみたいな格好したやつ」


 そのとき一瞬にして心桜の思考は覚醒した。


「なんだ、仲間がいたのか?」

「まあ、向こうにはハンターがいるからな。ちゃんと殺してるだろうよ」


 ――慎。


「じゃ、こっちもさっさと終わらせるか」


 緑の髪の男が剣を振りかざす。


 ――慎が、いる。


「なんだ、こいつ。起き上がる気か? 火で焼いちまうか」


 ――こいつらが、慎を殺そうとしている。


「おい」

「ああ、俺がやろう」


 ――だったらこいつらはわたしの敵だ。


「無駄なことはするなよ。今、楽にしてやるからな」


 ――敵は。


 心桜はグッと全身に力を入れて膝立ちになると顔を上げた。左目が焼けるように一気に熱くなる。同時に全身の筋肉がちぎれそうな痛みに襲われる。それでも構わない。


「人間、貴様っ!」


 ――わたしと慎の敵は。


「死ね」


 自然と声が出た。それを聞いた目の前の男たちが同時に呆けた表情を浮かべたのがわかった。しかし、次の瞬間にはその呆けた表情は真っ赤な炎に飲まれて消えた。

 辺りに広がるのは真っ白な水蒸気。何かが焦げた匂い。泥の匂い。雨の匂い。そこまで感じたところで喉に何かが込み上げてきて咳き込み、何もわからなくなった。


 ――息、できないや。


 いつの間にか再び地面に顔をつけて倒れたらしい自分の状態すらよくわからない。ただ不自然な呼吸の音だけが耳に響いてくる。

 口の中に泥が入ってくる。ちょうどいい。これで唇に残ったあの不愉快な感触も消える。あの女の感触なんて覚えていたくもない。

 心桜は口を動かし、砂利を噛んでは吐き出した。


 ――慎。


 泥まみれになった右手で握ったスマホ。サイドのボタンを押すと光を放って彼女の笑顔を映し出す。その画面の中だけは平和なあの頃のまま。そのとき、画面にメッセージの通知が表示された。送信相手の名前は慎。


 ――慎? 電波もないのに?


 酸欠のせいか痛みすら感じなくなってきた。瞼も重く、視線を動かすことすら難しい。それでも懸命に目を凝らして表示されたメッセージを読み解く。


『心桜、助けて』


 ――慎、待ってて。助けるから。わたしが……。


 途絶えていく意識の中、レイヴァナの笑い声を聞いた気がした。

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