第五章

第29話

 街は予想以上に栄えていた。単純に人口が多いということもあるのだろう。平民街と呼ばれる地域も活気があり、誰もが楽しそうに暮らしている様子。バースの街と大きく違うのは誰も心桜たちを見て嫌な顔ひとつしないところだった。


「なんか拍子抜け」


 門兵に聞いた宿で部屋を借り、荷物を下ろして一息つきながら心桜はため息を吐いた。


「何がですか?」

「この街だよ。バースの街みたいな雰囲気を予想してたのに、ここの人たちってわたしたち見ても全然普通じゃん」

「そうですね。見慣れているのでしょう」


 瑠璃は淹れ立ての紅茶が入ったカップを心桜に差し出しながら「こういう街もあるんですね」と微笑んだ。


「構えて損した」


 心桜は紅茶を一口飲みながらため息を吐く。

 宿は外観も内装も綺麗だった。一泊の代金は二人で銅貨四枚。バースの宿と同じ代金であるにも関わらず、こちらの宿の方が部屋は広くてベッドも立派だ。さらにテーブルセットに湯浴み用の個室もあるという充実ぶりである。


「ここなら心桜様も気兼ねなく休めそうですね」

「瑠璃もね」


 心桜が言うと瑠璃は首を傾げた。心桜は瑠璃を見つめて「なんでもない」と笑う。

 今の瑠璃の表情はとても穏やかだ。あのバースの街で見たような何かを我慢しているような表情には見えない。少なくとも今ここにいる彼女は自然体の彼女のまま。それが少し嬉しい。


「そういえばさ、瑠璃」

「はい」

「さっきのあれってなに?」

「あれ、とは?」

「門を入るときになんか石に触れとか言ってきたじゃん」

「ああ、あれですか」


 瑠璃は頷くと「あの石は心桜様が首から提げている石と同じ種類のものですよ」と心桜の胸元に視線を向けた。


「ただ、心桜様の石は天然の何も細工がされていないものですが、門で触れた石は魔力鑑定記録用の魔法が掛けられた石です」

「鑑定記録?」

「はい。あの石に触れると、どの魔者が街に来たのか記録され、国内の公的機関に共有されるようになっています」

「へえ。でもなんでわたしがグレイハーストとか呼ばれるの? めちゃくちゃ驚いてる感じだったけど」


 心桜が首を傾げると瑠璃は「シャドラ様から聞いた話なのですが」と思い出すように視線を上向けた。


「魔者の魔力はそれぞれの系譜によって色や質が異なっているのだそうです。特にレイヴァナ様の系譜は魔者の祖とも呼ばれているらしく、古くから魔力の記録が残っているとか。グレイハーストは最古の魔者の系譜と呼ばれているとシャドラ様は仰っていました。だから驚かれたのではないでしょうか」

「ふうん。魔者ってどの系譜の眷属かっていう管理の仕方されてるの?」

「そのようですね。人数の把握まではしていないようですが」

「なんで?」

「魔者は気まぐれに眷属を増やしますから」


 たしかに、と心桜は自分が魔者となったときのことを思い出して眉を寄せる。


「でもさ、じゃあわたしってどこに行ってもグレイハーストってことになるの?」

「そうですね。だからシャドラ様もグレイハーストを名乗るようになったらしいです。いつだったか、名前もそれに似合うように改名したと仰ってました」

「ああ、なるほど――」


 たしかシャドラの本名は彩川しおり。しおり・グレイハーストではさすがに語呂が悪いと改名したのかもしれない。


「グレイハーストという方がレイヴァナ様の系譜の始祖なのでしょうね。どこの国の方だったのでしょう」


 瑠璃は言いながら心桜を見つめる。


「え、なに」

「いえ。心桜様も改名されるのかと思いまして」

「しないよ。わたし自分の名前好きだし」


 言いながら心桜は自然とスマホの画面を見つめていた。

 自分の名前が好き。いや、名前なんてなんでもいいのだ。ただ慎が自分を呼んでくれる名前が好きなだけ。


「……そうですか」


 柔らかな声に視線を向けると瑠璃がなぜか微笑んでいた。


「なに」

「いえ。わたしも心桜様の名前は好きですよ」

「名前は、ね」

「はい。名前は好きです」


 瑠璃は繰り返すと面白そうに笑った。瑠璃が笑うのは珍しい気がする。心桜はため息を吐いて微笑むと「で、どうしようか。これから」とスマホをポケットに入れて紅茶を飲む。


「一休みしたらとりあえず街に出ましょうか。慎様の情報を探すのなら奴隷商の店へ行って話を聞くのが一番かと思いますが、平民街に店があるかわかりませんし」


 瑠璃は言いながら地図をテーブルに広げた。街全体の道は細かく描かれているが建物一つ一つがどんな店なのかというところまでは描かれていないようだ。


「店探しからだね」

「そうですね。役所に行って店の場所を聞くのが効率的かと思います」

「あー、なんか小屋に来たおじさんたちが言ってたね。役所に奴隷課があるとかなんとか。たしかにそこに行けば店の場所も教えてくれそう。じゃ、コレ飲んだら行こっか」


 この街でなら慎の情報が何か見つかるかもしれない。そんな期待がある一方で、どこぞの誰かに奴隷として慎が買われていたらと思うとムカついて仕方がない。


 ――わたしの慎に手を出す奴がいたら絶対に殺す。


 心桜は決意を胸に秘めながら一気に紅茶を飲み干した。

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