第17話

 宿の中廊下を進むとドアがあった。瑠璃は躊躇する素振りも見せずにドアを開けるとその先へ進んでいく。ガヤガヤと賑わっている店内だったが、瑠璃と心桜が中に入ると一瞬にしてしんと静まりかえった。


「セツさん。席はどこを使用すればよろしいでしょうか」


 そんな食堂の歓迎されていない雰囲気に臆することもなく瑠璃は厨房の方へと声をかけた。その間に心桜は食堂を見渡す。

 大きくはない。宿屋と併設しているので当然といえば当然だろう。内装も可もなく不可もなく、といったところだろうか。ただし客層はあまり良くなさそうだ。

 人相の悪い連中が眉を寄せて心桜と瑠璃を見ていた。


「心桜様、こちらです」


 ふいに呼ばれて振り向くと瑠璃がセツに案内された席の前に立っていた。それは店の一番奥、天井の灯りも満足に届いていないような薄暗い場所にある席だった。

 まあ、当然だろうとは思う。売上にも関わるのだろうから人間と魔者のセットは普通の客から少しでも離れた場所に置きたいのだろう。


「注文はどうする?」


 心桜が席に着くなりセツが言った。さっさと決めろと言わんばかりの態度だ。


「瑠璃に任せる」


 心桜が言うと彼女は頷き「では、日替わりでお願いします」とメニューも見ずに注文をした。あらかじめ決めていたのだろう。セツは頷くとそのまま厨房へと戻っていく。


「感じ悪……」

「想像はついていたでしょう?」


 瑠璃の言葉に心桜はため息を吐くとテーブルに頬杖をついて店内へ視線を向けた。さきほどのようなしんとした空気はすでにない。客たちは各々の食事へと戻ったようだ。

 しかし彼らがこちらを見ていないようで見ているのもわかる。悪意のある視線は否が応でも感じ取れてしまうので不思議だ。


「ここにいる連中から情報収集すんの?」

「そうですね」

「無理じゃない? つか、情報なんて持ってなさそう」

「やる前から決めつけるのはいかがなものかと思います」


 冷静な口調で言う瑠璃に心桜は顔を向けて「じゃあ、あんたはここの連中が何か情報を持ってると思うわけ?」と目を細めて彼女を睨んだ。


「思いませんね」

「……そこは察して『思います』ていう答えが正解じゃない?」

「ウソは言いません。ですが、万が一ということもあります。ここの利用者は宿泊者も多いですから」

「他から来た奴なら何か情報があるかもってこと?」

「はい」

「とてもそうは思えないけど」

「まあ、情報を聞くにもとりあえず食事を終えてからにしましょう。お水、もらってきますね」


 瑠璃はそう言うと立ち上がって厨房前の棚に向かう。どうやら水はセルフサービスのようだ。

 給水用の棚の前には獣人の男が三人たむろしている。彼らは瑠璃が近づいてくるのを見るとあからさまに顔をしかめたが移動しようとはしない。それどころか「人間奴隷が水なんて飲もうっていうのか?」などと瑠璃に絡み始めた。


「少し端に寄って頂いてもよろしいでしょうか」

「お前がどけよ」

「なぜでしょう?」

「人間風情が食堂で飯なんか食うなって言ってんのがわからねえのか?」

「申し訳ありません。人間も食事は必要ですので」

「お前、死にたいのか?」


 その言葉を聞いて心桜は舌打ちすると「誰から死にたいって?」と男たちに向かって右手を伸ばした。瞬間、再びしんと食堂が静まりかえる。

 心桜はムカムカする気持ちを抑えながら左目から溢れ出てくる熱を右手の先に集中させていく。

 男たちは心桜の動きに怯んだ顔を見せたが、とくに逃げる様子もない。なかなか良い度胸をしている。


「奴隷も奴隷なら、飼い主も飼い主だな」

「まったくだ。お前の奴隷なら歩き回らないようにちゃんと躾けとけよ」

「なるほど。口の利き方も知らない育ちの悪い獣人を躾ける必要がある、と」


 心桜は呟くと右手の先に溜まった熱を男たちに向かって放とうとした。しかし「心桜様」と瑠璃の声がそれを止めた。


「まずはお食事を」


 瑠璃は心桜が男たちと対峙している隙に水を確保したようだ。両手にコップを持ってテーブルに戻って来た。それでも心桜は熱を帯びた右手を男たちに向けたまま動かない。男たちもまるで硬直したかのようにその場から動かない。

 いや、動けないのだろう。当然だ。彼らが少しでも動けば一瞬にして殺すつもりでいるのだから。


「心桜様」


 男たちをじっと睨みつけていると瑠璃が静かに口を開いた。


「なに」

「ここは食事をする場所ですよ」

「まだご飯出てこないし」

「もうすぐ出てきます」

「あいつらムカつくし」

「子供じゃないんですから」


 まるで何事もなかったかのように瑠璃は言ってコップを心桜の前に置いた。それでも心桜が手を下ろさずにいると「な、なあ。悪かったよ」と三人組の中で唯一黙り込んでいた一人がおそるおそるといった様子で口を開いた。


「こいつら酒も入ってて、ちょっと気がでっかくなってただけなんだ。許してやってくれよ。ほら、別にその奴隷に手を出したわけでもないしさ」

「は?」


 心桜が眉を寄せて男を睨むと彼は面白いように竦み上がった。

 伸ばした手の先に溜まった熱は今にも弾けてしまいそうに膨れあがっており、それは目に見える形で真っ赤な塊となって宙に浮いていた。


「心桜様」


 瑠璃がたしなめるように口調を強める。心桜は舌打ちをすると「あのさ、この場の全員に質問するけどさ」と食堂を見渡した。


「ちゃんと真面目に答えたら許してあげなくもないんだけど」

「――なんで俺たちまで」

「しっ。黙れよ。あれ浴びたらひとたまりもねえぞ。あの魔者、丘の奴と同じバケモンだ」


 ボソボソとそんな声が聞こえるが、無視して心桜は言葉を続ける。


「この街の周辺、あるいは他の地方でもいい。ここ数ヶ月の間にわたしと同じくらいの年頃の人間の女の子を見たという者は?」


 しかし誰も何も反応をしない。


「じゃあ、ここ数ヶ月のうちに人間が現れたという情報を知ってる者は?」


 この質問には数人が手を挙げた。手を挙げた者たちは互いに顔を見合わせ、そして代表して一人が口を開く。


「何ヶ月か前、コウラン地方の森で人間が二人出たという話は聞いた」

「ふうん。その人間はどうなったの?」

「そりゃもちろん殺してるだろう。逃したという話は聞いてないし」


 肩をすくめて言う男に心桜は「ふうん」と視線を向ける。その瞬間、彼は顔を引き攣らせてなぜか両手を挙げた。

 心桜はそんな彼をじっと睨みつけてから「ま、いいか」と息を吐いて手を下ろした。瞬間、手の先に浮遊していた赤い熱の塊が宙に霧散して消えていく。

 微かに焦げ臭い香りがしたので見上げてみると、天井が一部分だけ黒く煤けてしまっていた。


「……騒動は起こさないという条件じゃなかったかい?」


 タイミングを見計らったかのように厨房から食事を運んできたセツが無表情に言った。心桜は薄く笑って見せる。


「殺してないけど?」

「そういう問題じゃないだろう。天井も焦げてるし」

「接客も悪ければ客層も悪いね、ここ」


 心桜の言葉にセツは冷たい表情で「だったら出て行ってくれるかい」と食事をテーブルに置きながら言った。


「魔者と人間を泊めるような宿はこの街には他にないと思うけどね」


 セツは言いながら瑠璃に視線を向ける。

 食堂にいる誰もがセツと同じような視線を瑠璃と心桜に向けている。悪意と恐怖、そして殺意しかない冷たい視線。瑠璃は無表情にその視線を受け止めていた。

 

 ――イライラする。


 心桜は思いながら息を吐き出して瑠璃に「ずっとこんな目で見られてきたんだね」と言った。彼女は不思議そうに心桜に視線を向ける。


「そんな平気そうな顔してさ。ダメだよ、それ」

「心桜様?」

「そんなのダメだよ。こんな扱いが当たり前とか思っちゃいけないんだよ」


 心桜は言ってセツを睨んだ。


「瑠璃があんたに何かした?」


 セツは何を言われたのかわからないとでもいうように眉を寄せる。


「あんたに危害を加えるようなことをしたことがあるのかって聞いてんの」

「そんなことがあればとっくにこの子はこの世に生きていないよ」

「じゃあ、瑠璃は何もしてないってことじゃん。それなのになんでそんな態度とれるわけ? なんで人間だってだけでこんなひどい扱いできるわけ?」

「人間だからだろうが」


 食堂の誰かが言った。


 ――人間だから、か。


 そもそも考え方の根本が違うのだ。瑠璃の話を聞いてわかったつもりでいた。

 この世界では人間だから殺される。それは誰もが知っている常識で誰もが疑わない常識。

 当然だ。

 この世界で生まれた者は誰も『人間』になることはないのだから。差別しても迫害してもそれが自分たちにかえってくることはない。


「瑠璃、行こう」


 心桜は席を立った。


「心桜様?」

「ここ、気分悪いわ」

「出て行ってくれるのかい。でも宿代は返さないよ」

「守銭奴」

「商売だから当然のことだよ」


 セツは悪びれる様子もなく言う。心桜はそんな彼女を冷たく見やってから瑠璃に視線を向けた。彼女はテーブルの横に立ったまま何かしている様子でこちらに来る様子がない。


「瑠璃」


 仕方なく名前を呼ぶと彼女はハッとしたように顔を上げた。


「よろしいんですか? セツさんの言う通り、この街では他にわたしたちが泊まれる宿はありませんよ?」

「いいよ、別に。さっさとこんな街から出よう」

「……承知しました。荷物を取ってきます」


 瑠璃は頷くと心桜の横を通り抜けて先にドアへと向かう。

 心桜もその後に続いて食堂を出ようとしたとき「野垂れ死んじまえ」という声が聞こえた。その声にカッと左目が熱くなり、心桜は弾かれたように振り返った。

 それだけのはずだったのだが、気づけば目の前は火の海と化していた。

 悲鳴すらも聞こえない。動く影もない。それもそのはずで、食堂にいた者たちはすでに影も形もない。逃げたのか、それともこの炎に焼かれて死んだのか。

 心桜は自分の両手に視線を落とす。手の先が無残にも黒く焼け焦げてしまっていた。

 激痛を感じる。しかし泣き叫ぶほどではない気がする。

 痛みと感情が剥離してしまったような、そんな不思議な感覚に心桜は呆然と自分の両手を見つめ続ける。そのとき目の前で派手な音をたてて柱が崩れ落ちた。


「……あ、瑠璃」


 我に返った心桜は宿屋へ続くドアの先へと向かう。食堂と宿屋は同じ建物だ。すでに宿泊部屋の方にも火が回っているかもしれない。


「瑠璃? 生きてる?」


 声をかけながら階段を上がろうとしたとき、階上から瑠璃が「生きていますよ」と荷物を背負って降りてきた。


「荷物も無事です」

「そっか。良かった」

「良くないですよ。こんなことをして……」


 瑠璃はため息を吐くと怒ったように心桜の両手に視線を向けた。そして一瞬だけ哀しそうな視線を食堂に向けてから「手は大丈夫ですか?」と心桜に視線を戻した。心桜は笑って頷く。


「笑い事ではないです」

「はいはい。あとでいくらでも小言は聞くよ」

「覚悟しておいてくださいね」


 彼女はそう言うと「では、行きましょうか」と歩き出した。心桜もその後に続いて宿を出る。

 すでに火の手は隣の建物まで回ってしまっているようだ。

 逃げ惑う住人たちやバケツリレーで水を運ぶ者。中には魔力で生み出したのだろう水を建物にかける者たちもいた。怪我人も多くいるようだ。

 そんな騒然とした街を心桜と瑠璃はゆっくり歩いて外門へと向かう。誰も心桜たちに視線を向けない。それどころではないからだ。

 自分たちの生活が脅かされているから。

 門兵すら火事に気をとられて心桜たちに気づかない。

 自分たちの人生が火の海に呑まれようとしているから。


「心桜様」


 街を出て真っ暗な道を歩きながら瑠璃が口を開いた。


「なに?」

「どうして笑っておられるのですか」


 言われて心桜は立ち止まる。


「笑ってるかな?」

「楽しそうに見えます」

「そう。それはきっと――」


 ――わたしが魔者だからだろうね。


 心桜は思いながら街を振り返る。

 煌々と赤く揺らめく炎が街を覆っている。悪いことをしたとは思わない。彼らだって人間を殺して悪いことをしたなんて思わないのだから、こちらが申し訳なく思う必要はない。

 心桜は視線を瑠璃に向けた。彼女は心配そうな顔で心桜のことを見ていた。その表情には感情がある。彼女らしさがある。あの街にいたときのような無表情な彼女ではない。そんな彼女の表情に少し安堵して心桜は微笑み、黒く焦げた手を差し出す。


「大丈夫だよ」


 もう、あんな顔をしなくても大丈夫。

 一緒にいれば守ってあげられる。

 瑠璃が自分を裏切らない限り、ちゃんと守ってあげられる。

 元の世界にいたときは変わっていく慎のことを見ていることしかできなかった。そばにいることしかできなかった。

 だけど今なら――。


「――心桜様?」


 瑠璃は困惑したように首を傾げた。そんな彼女の顔が揺らいで見える。身体にまとわりつくような熱気を感じる。手は崩れ落ちてしまったかのように感覚がなく、唐突に全身に激痛が走って息ができなくなり心桜は思い切り咳き込んだ。

 咳き込めば咳き込むほど呼吸ができない。堪らず心桜はその場に倒れ込む。


「心桜様!」


 瑠璃の声に一瞬だけ覚醒した意識は、しかしすぐに激痛の沼の中に沈んで途絶えた。

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