第23話

 しばらく静かに食事を続けていると「気になりますか」と瑠璃が言った。


「なにが」

「奴隷商から逃げたという少女のことです」

「ああ」


 心桜は少し考えてから「別に」と答える。


「まだ子供だっていうなら慎じゃないし。慎じゃないなら興味ない」

「そうですか」


 瑠璃は無表情に頷くと「ともあれ、次の目的地はクシャラですね」と続けた。


「近いの?」

「ここから一番近い街、という意味ならそうです。距離としてはさほど近くはありません。通常は徒歩で三日といったところでしょうか」

「そう。慎、いるかな……」


 ぼんやりとテーブルを見つめながら呟く。

 瑠璃はしばらく無言でいたが「あれからスマホに何か連絡はないのですか?」と言った。


「連絡……」


 心桜はハッとしてスマホを探す。しかし服は軽装に着替えさせられている。慌ててスマホを探していると「あ、わたしが持っていました」と瑠璃が思い出したようにメイド服のポケットからスマホを取り出してテーブルに置いた。心桜は深く息を吐き出す。


「なんであんたが持ってんの」

「すみません。心桜様の服を変えたときにポケットから落ちてしまって、そのときわたしが拾ってそのまま持っていました」

「そう」


 頷きながら心桜はスマホを確認する。しかし、そこに新しいメッセージはなかった。それでもじっとスマホを見つめていると「クシャラでは」と瑠璃が口を開いた。


「奴隷の情報と共に人間がどこに現れたのかという情報も多く飛び交っています。きっと何か手がかりが得られると思いますよ」


 顔を上げると瑠璃が心桜を無表情に見つめていた。心桜は彼女を見返し、そして笑いながらため息を吐く。


「それ、慰めてんの?」

「いえ。本当のことを述べているだけです」

「あっそ。じゃ、まあ、行くしかないか。いつまでもここにいても慎は見つからないし」

「食事を終えたら出発しますか?」

「それでもいいけど、今って何時くらいなの?」

「まだ午前ですね」

「そっか。じゃあ、食べたら行こうか」

「かしこまりました」


 言うが早いか瑠璃は一気にスープを飲み干すと荷物を片付け始めた。


「……あー、別に急がないよ?」

「はい」


 頷きながらも瑠璃の手は止まらない。バッと調理器具を片付けると今度はベッドに置いていた心桜の寝袋をたたみ始める。そんな彼女の動きを見ながら自分だけのんびり食事を続けるのは少し気が引ける。


「えっと、何か手伝う?」

「心桜様はしっかり食べてください。二ヶ月も寝ていたんです。体力落ちてますよ」

「魔者なのに?」

「魔者は死なないだけで疲れるし怪我もします」

「そうだったね」

「出発したら歩き通しですからね。夜は野宿です」


 えー、と心桜は眉を寄せて声を漏らす。


「……どっかで馬捕まえない?」

「野良馬なんて滅多に出会いません」

「じゃあ、馬車捕まえよう」

「まあ、馬車なら街道沿いを行けば会えるかもしません。お金を払えば乗せてくれるかも……。しかし人間のわたしがいると少し割高になるでしょうか」


 ふと手を止めて瑠璃が真面目に考え始める。そして財布にしている布袋を取り出して中身を確認し始めた。心桜は慌てて「やっぱりいいよ」と彼女の思考を止めた。


「大丈夫! 歩く! 歩くからさ! 瑠璃のお金をそんなことに使わせられないって」


 心桜の声に瑠璃は振り向く。そして眉を寄せた。


「しかし、心桜様の歩くスピードに合わせるとおそらく四日以上はかかってしまうかと」

「え、なんで。普通に歩いて三日くらいってさっき言ってたじゃん」

「心桜様、歩くの亀のように遅いですから」

「ケンカ売ってる?」

「売ってませんが」


 心桜は深くため息を吐いてスープを飲み干す。


「心桜様」

「なに。まだ何か嫌味でも言う気?」

「おそらくクシャラでは奴隷が他の街よりも多くいます。老若男女問わず、です」


 瑠璃の口調は真面目だ。彼女は心桜を見つめながら「街道沿いで出会う商人は奴隷商かもしれません」と続ける。


「ひどい扱いを受けている人間もいると思います。それこそ、物のように扱われているような者も」

「……だから?」


 心桜はまっすぐに彼女を見返しながら訊ねる。瑠璃はわずかに眉を寄せた。


「人間がどんな扱いを受けていてもパースの時のように怒りに任せて魔力を使わないでください。また、あなたの身体を傷つけることになってしまいますから」


 心桜はじっと彼女を見つめる。そして「何言ってんの?」と首を傾げた。


「見ず知らずの人間がどんな扱い受けててもどうでもいいじゃん。心配しなくてもそんなことで街を丸焼きにしたりなんてしないよ。また腕が焼け焦げるのも嫌だしさ。赤の他人にそこまでする義理はないでしょ」


 すると瑠璃は驚いたように目を見開いた。その表情を見て心桜はそうか、と思った。

 瑠璃は勘違いしているのだ。心桜がパースの街を焼くほど魔力を暴走させたのはこの世界の住人たちが人間をけなし、軽んじ、蔑んでいるから。人間に対してそんな扱いをするこの世界の住人たちへ怒りを覚えたから心桜は街を焼き払った。彼女はそう思っているのかもしれない。


「わたしはさ、瑠璃。自分の物を侮辱されるのがムカついただけだから」

「自分の物……?」

「そう。あんたはわたしの友達でしょ? だからあんたはわたしの物。わたしの物に対してあんな態度取られたら、そりゃ腹も立つでしょ」

「……街を壊滅させるほどに、ですか」

「うん。あれはあいつらの自業自得」


 微笑んで頷いた心桜に瑠璃は複雑そうな表情を浮かべて「そうですか」と再び荷造りに戻った。

 この世界で人間がどう扱われているのかはもう分かった。そのことに対して腹を立てるつもりはない。この世界にいる人間全員を助けるつもりなど毛頭ないのだ。


「――わたしの物を壊そうとする奴らは全員殺すよ。例え相手が人間でも」


 呟いた声が届いたのか、瑠璃は一瞬だけ手を止めた。しかし咎めるようなことを言うでもなく、淡々と出発の準備を進めていた。

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