第22話
目を覚ましたのは良い香りがしたからだった。眠気はまだあるが空腹が勝っている。心桜は怠い身体を起こして部屋を見回した。瑠璃がキッチンで何やら料理を作っているようだ。
「お目覚めですか、心桜様」
瑠璃が振り向きもせずに言った。心桜は苦笑する。
「背中に目でもついてんの?」
「ついてませんが」
言って彼女は怪訝そうな表情で振り向く。心桜はさらに苦笑した。
「まあ、いいや。で? 何やってんの? 瑠璃」
「料理です」
「だろうね。そこ、キッチンだし」
「そろそろ心桜様がお目覚めになるかと思いまして、温かな料理を作っておこうかと」
再び調理作業に戻りながら彼女は言う。
「ふうん。なんでわかったの。わたしが起きるって」
「熱も下がりましたし、ずっとお腹が鳴ってましたから」
「……お腹、鳴ってた?」
「はい。それはもう煩いくらいに」
心桜は自分の腹に手を当てながらため息を吐いた。そしてベッドから足を下ろして立ち上がる。身体は怠いがきっとそれは空腹のせいだろう。
腕を動かしてみると痛みもない。服の袖をまくってみると包帯も取れ、傷一つない元通りの腕が現れた。
「怪我の様子も見てくれてたんだ?」
「はい。包帯は一日ごとに変えないと不衛生ですから」
「そっか。ありがとう」
素直に礼を伝えると瑠璃が驚いたような顔で振り向いた。
「え、なに。なんで驚くの」
「いえ。別に」
「……わたしが礼を言うなんて思わなかった?」
「いえ、そんなことは」
そう言った彼女の視線がどこか宙を見ている。
「思ってたな?」
「思っていません」
彼女は無表情にそう言うと「スープ、お召し上がりください」と器にスープを注いでテーブルに置いた。心桜は椅子に座りながら改めて室内を見渡す。
記憶にある室内は傷みがひどく、家具もとても使えたものではなかったように思う。しかし今では普通に生活しても問題ないレベルまで綺麗に掃除されていた。雨漏りの疑惑があった天井部分には木の板が打ち付けられており、キッチン周りも埃一つない状態で衛生的とすら言える。
「ねえ、瑠璃」
「なんでしょう」
「なんかこの家、全体的に綺麗になってない? 天井も修理されてる感じなんだけど」
「さすがに二ヶ月もここにいますから、多少は生活できる程度の環境にはなります」
瑠璃の言葉に心桜は眉を寄せた。
「二ヶ月……?」
「はい。心桜様が再び睡眠に入られてから二ヶ月です」
「ウソ」
「ウソを言う理由がありません」
「わたし、二ヶ月も寝てたの?」
「はい。崩れた腕を再生させるのですから、それくらいの時間は必要だったのでしょう」
何でも無いことのように言いながら瑠璃は食器の用意を進める。
「え、でもその間の食料とかは? そんな長期間用には持ってきてなかったでしょ? 携帯食料的なやつ」
「そうですね」
瑠璃は言いながら自分の分のスープをテーブルに置くと、もう一つ大皿を持ってきて向かいの席に座る。
「幸いにもここは森の中です。食料には困りませんでしたよ」
その言葉を聞きながら心桜は器の中のスープに視線を向けた。具材はキノコなどの山菜が多いようだ。なるほど。たしかに森の中ならば食べられる山菜や木の実は豊富だろう。瑠璃のことだ。そういった知識も豊富なのかもしれない。
しかし、と心桜は彼女が持ってきた大皿に視線を向けた。そこには何かの肉と山菜を混ぜて炒めた料理が載せられていた。
「肉だね」
「はい、肉です」
「街まで買いに行ったの?」
パースはまだ復興中のはず。となれば別の街。クシャラ自治都市まで行ってきたのだろうか。思ったが、彼女は「いえ」と視線を窓の向こうへ向けた。
「その辺にいた獣を狩りました。これはウサギの肉です」
「……へ、へえ」
「なにか?」
不思議そうに首を傾げる瑠璃に心桜は「いや」と苦笑する。
「そのサバイバル術もシャドラに教えてもらったの?」
「まさか。シャドラ様はこんな面倒なことはされません。これは独学です」
「……独学で狩りとか解体とかできるようになるものなの?」
「そんなことより冷めてしまいますよ」
「そんなことって……。いや、まあいいや。うん。いただきます」
心桜が両手を合わせると瑠璃も同じように「いただきます」と言ってスープを啜った。
スープは薄味だが、程よい味付けで身体の中から温まる。肉の炒め物もハーブか何か使っているのかもしれない。臭みもなく、塩加減もちょうど良かった。そのときふと妙なことに気がつく。
「ねえ、瑠璃」
「はい」
「これ、なんかソース的なもの絡めて炒めてるよね?」
「はい」
「なんで持ってんの? 調味料、屋敷から持ってきたの?」
「持ってきた物もありますが、今後のことを考えて食堂で拝借してきました」
「食堂……」
そういえば、あの食堂から出て行くとき瑠璃が最後までテーブルの近くで何かしていたことを思い出す。
「なんかしてると思ったら盗んでたの?」
「いえ。お借りしているんです」
「返すの?」
「返す先がもうありませんから、ありがたくいただこうと思います」
瑠璃の答えに笑いながら心桜は「まあ、それはいいとして」と肉を一切れ口に放り込んだ。それを咀嚼して飲み込んでから「あれからここに誰か来た?」と聞いた。瑠璃は首を横に振る。
「森の小動物が時々顔を覗かせる程度でしたよ」
「そう」
頷きながらスープを口に運ぶ。
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