第12話
「あと一時間って言ったのに……」
小休憩を取ってから二時間ほど歩き、ようやく街への入り口が見えてきた。隣を歩く瑠璃は澄ました表情で「あなたの歩くスピードが遅いからです」と言う。そんな彼女を心桜は呆れた気持ちで見つめた。
あのものすごく重い荷物を背負って平然と二時間も歩き続けるなど、どんな体力の持ち主だ。
「……体力お化け」
「聞こえてますよ」
「聞こえるように言ってる」
呆れたようなため息が聞こえた。そして「少し、止まってください」と彼女は立ち止まった。
「なに? まさかここに来て疲れた?」
「いえ。間もなく街なので準備をしないと」
そう言って彼女は一度荷物を下ろすとメイド服のポケットから何か布のような物を取り出した。とても綺麗な黒い布には銀色の糸で刺繍が施されている。
「なにそれ」
「奴隷紋です」
「え……」
言葉のインパクトに絶句していると彼女はその布を首に巻き付けた。すると不思議なことに黒い布はまるで瑠璃の皮膚に吸い込まれるように消え、銀色の模様だけがその首に残された。それはまるで入れ墨のようだ。
「お待たせしました。行きましょう」
「ちょ、ちょっと待った」
平然とした様子で荷物を再び担いだ彼女を心桜は慌てて止める。瑠璃は不思議そうに「どうしましたか?」と首を傾げた。
「いやいや。どうもこうも、奴隷なの? 瑠璃」
しかし彼女は「違いますが」と怪訝そうな表情で答える。
「は?」
「なにか?」
「……奴隷紋って言わなかった?」
すると彼女はようやく合点がいったように「ああ、これのことですか」と首に手をあてて頷いた。
「本来、この世界では人間は殺される対象です」
「……うん」
「しかし、中にはわたしのように殺されずに生きることを許されている者もいるのです」
「それが奴隷?」
彼女は頷く。
「この奴隷紋は自分がこの世界の誰かの所有物であることを証明するものです。これをつけていればこの世界の言葉が理解でき、話せるようになります」
「へえ。便利アイテムじゃん」
「そうですね。ですが、本来は一度身につけると主人の命令がない限り外れませんし、勝手に主人から遠く離れることはできません。もちろん主人の命令に逆らうこともできない。もしそんなことをすればこの紋様が首を切り落とします」
「うわー、趣味悪っ……」
思わず呟いてから心桜は首を傾げる。
「でもあんた今、自分でつけたよね?」
「はい。これは奴隷紋の脱獄版とでも言いましょうか。わたしは奴隷ではないので自分で取り外しができます。これもシャドラ様がくださったんです。言葉が通じないと不便だろうと」
「それに、それを付けてると殺されないから?」
「それは、まあ、気軽に殺されることはない程度の効果はありますね」
「……そうなんだ」
つまり、たとえ奴隷に身を落としても殺されることはあるということだろう。主人の命令に逆らえないということは、死ねと命令されたら死ななくてはならないのか。
それほどまでに、この世界では人間は憎まれている。
――慎、大丈夫かな。
「心桜様?」
俯いて考えていると、瑠璃が顔を覗き込んできた。彼女の前髪が揺れて傷跡が見える。心桜は彼女を見つめてから首を横に振った。
「早く行こう。もう疲れ果てたからどっかで落ち着いて休みたい」
「そうですね」
瑠璃は頷くと歩き出す。
間もなくして近づいてきた街は、その周囲を頑丈そうな石壁で覆われていた。争いが起こることはあまりないとシャドラは言っていたが、街を守るための備えは一応しているらしい。
街への入り口となっている門に向かうと「待て」と二人の門番らしき男に止められた。鎧を着た男たちは腰に下げていた剣を抜いて心桜たちに向ける。
外見からすると一人は真人。もう一人は獣人だろう。二人は瑠璃を睨むように見ると小さく舌打ちをした。
「丘向こうの魔者の奴隷か」
そう吐き捨てるように言うと視線を心桜に移す。瞬間、二人同時に一歩後ずさり、剣を構えた。
「貴様、人間か!」
「さあね。どう思う?」
心桜は無表情に言う。すると彼らは怪訝そうに眉を寄せた。
「……言葉が通じるのか?」
「そりゃわかるけど?」
「しかし、奴隷紋はないぞ?」
「だったら?」
「……魔者、か?」
「しかし見た目は人間っぽいぞ」
二人は身構えたまま困惑している様子だ。そんな二人をしばらく見つめてから「ねえ、瑠璃」と心桜は隣に立つ瑠璃に視線を向けた。
「わたし、人間に見えるらしいよ?」
「そうですね。髪の色は黒いままですし、瞳の色も片方は黒いままですから。だいたい人間の見た目です」
「え、じゃあどうしたらいいの?」
「力を示せばよろしいかと」
力、と心桜は口の中で呟く。そして心桜に向けて剣を構える二人を指差した。
「殺せばいい?」
「なっ、貴様っ!」
「やっぱり人間なんじゃないか? こいつ」
薄かった殺気が濃くなったのを感じる。それはあの森で心桜を殺そうとしていた奴らが向けてきた気配と同じ。それを思い出した瞬間、左目が燃えるように熱くなった。
「待て。この魔力量。こいつは魔者だ」
「……だな。ったく、紛らわしい」
ふいに殺気が消えた。彼らは剣を鞘に収めて元いた場所に戻ると「通行の邪魔しやがって」とため息を吐いた。
気づくと周囲には人だかりができていた。誰もが怯えたような表情で心桜と瑠璃を見ている。
「ほら、さっさと通れ。お前らが行かないと他の者が入れないだろ」
たしかに門番たちが剣を収めてからも周囲の人たちは動かず、ただ心桜たちを見ている。
「心桜様、行きましょう」
「……うん」
まだ左目に残る熱を感じながら心桜は瑠璃に続いて門をくぐる。後ろを振り向くと、人々の冷たい視線が心桜たちへ向けられていた。
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