第三章 業火の街
第11話
心桜は小さくため息を吐きながらぼんやりと歩く先を見つめていた。広い道だ。舗装はされていないが普段から人の往来があるのか、踏み固められた地面に草はほとんど生えていない。
歩きやすいのは助かるが周りは森だ。たまに得体の知れない虫が飛んできたりする。この場に慎がいれば、きっと虫が出るたびに大騒ぎしていたことだろう。
そんなことを思ってニヤついていたのも、もう何十分も前のこと。
「……ねえ、瑠璃」
心桜は隣で並んで歩く瑠璃に視線を向けた。彼女は無表情に前を見つめたまま視線だけを心桜に向ける。
「疲れたんだけど」
「あと一時間ほど歩けば街に着きますが、休憩が必要ですか?」
「むしろなんであんたは平気なの? その格好で」
立ち止まりながら心桜は瑠璃の格好を見つめる。彼女は屋敷にいたときと同じメイド服のままだった。背には何か荷物を詰め込んだ大きなリュックを背負い、腰にはメイド服には不釣り合いな革製のベルトが巻かれている。
「その格好、動きにくさ半端なくない?」
「これしか服がないので」
瑠璃も立ち止まると自分の服を見下ろした。
「えー……。シャドラは用意してくれなかったの? なんか、わたしにはこの服くれたじゃん」
心桜が今着ているのは動きやすいワイドパンツに肌触りの良い白いTシャツ、それに丈の長い黒いフーディーだ。頼んだわけではないが、部屋に着替えとして用意されていたのがこれだった。さすがに制服でこの世界を歩き回る気もなかったので助かったのだが。
瑠璃は道の端にある大きな木の根元に荷物を下ろしながら「必要ありませんでしたから」と言った。そしてリュックを開けると敷物を取り出して地面に敷く。
「どうぞ。お茶の用意をしましょうか?」
「いやいや。さすがにそれは……。つか、そんなお茶道具なんて持ってきてんの?」
「お茶道具と言いますか、野営時に食事を作る道具は必要でしょう?」
「つまり、そのでっかい荷物はキャンプ道具?」
敷物の上に座りながら心桜は聞く。彼女も隣に腰を下ろしながらリュックのサイドポケットに入っていた筒型の入れ物を差し出した。
「水です」
「……あんたの分は?」
訊ねると彼女は怪訝そうな顔をしてから「ありますが」と視線をリュックに向けた。反対側のサイドポケットには色違いの水筒がある。
「……じゃあ、もらう」
心桜は受け取った水筒を開けた。口に流れ込んできた水は予想していたよりも冷たくて美味しい。
「ねえ。これ保冷機能あるの?」
「そうですね。この水筒はシャドラ様が暇つぶしに作られた魔道具です。一般的には保冷効果のある水筒は出回っていませんが」
無表情にそう言いながら彼女も水を飲んでいる。心桜は眉を寄せた。
「暇つぶし?」
「はい。いつだったか、暑い時期にわたしが汗だくになりながら買い出しに行っているのを見たシャドラ様がふと思い付いたらしく、作ってくださいました。わたしはまだ子供でしたので、落としても良いように予備も含めて」
「へえ」
それは暇つぶしとは言わないのではないだろうか。純粋に、瑠璃のことを心配していただけでは。思いながら心桜はもう一口水を飲んでリュックに視線を向ける。
「それ、何が入ってんの?」
「荷物です」
「知ってるけどそうじゃない」
思わず睨むと、彼女は少し考えてから「数日分の簡易食料、着替え、タオル、野営用のテント、寝袋、調理道具、雨具などでしょうか」と言った。
「テントも入ってんだ?」
「あなたはきっと地べたに寝るようなことはしないでしょう?」
「……あんた、わたしをどこかのお嬢さまとか思ってる?」
「日本の女子高生はしません」
「それはそう」
心桜は頷くと瑠璃の腰に巻かれたベルトに視線を向ける。
「それは?」
「ナイフです」
「だからさー……」
思わず心桜がため息を吐くと彼女はハッとしたような顔をして「ナイフが二本です」と力強く言い直した。心桜は呆れた表情で彼女を見ると「まあ、いいや」と再びため息を吐いた。。
「変な奴だね。あんた」
すると瑠璃は「そうでしょうか」と首を傾げる。
「そうでしょ。屋敷では大人みたいなこと言ってたのにさ、なんかたまに子供みたいな返答するじゃん」
「それは――」
しかし瑠璃はそこで言葉を切って口を閉じた。心桜は首を傾げる。
「それは?」
「いえ。それよりもそろそろ行きませんか?」
「もう? わたし病み上がりなんだけど」
「魔者は回復が早いとシャドラ様が仰っていました」
「バレてるのか」
心桜は舌打ちをすると立ち上がって水筒をリュックのサイドポケットに入れた。
「……ねえ」
「はい」
「なんで聞かないの?」
「何をでしょう」
無表情に彼女は水を一口飲んでから水筒をリュックに戻した。心桜は「何をって」と眉を寄せる。
「わたしがどこに向かってるのか、とか」
「どこかに向かっているのですか?」
「それは――」
そう言われると『そうではない』という答えになるのだろうか。目的地はない。しかし目的はある。まだ慎のことを話していない彼女には説明が難しい。
考えていると瑠璃は「探しに行くのでしょう? 大切な人を」と静かに言った。心桜は目を見開く。
「え、なんで」
「うわごとでずっと呼んでいましたよ。シン、という方の名を」
「……そうなんだ」
「はい」
言いながら彼女は敷物を畳んで片付けていく。何も言わず淡々と作業する彼女を見ながら心桜は「え、それだけ?」と思わず聞いてしまう。すると彼女は何を言われたのかわからないとでも言いたげな顔で振り向いた。
「いや、普通は気にならない? その人は誰ですか、みたいな」
「……いえ、別に」
「マジ? あんたは誰ともわからない人を探す目的地も定まらない旅をする女と一緒に来ようとしてんだよ?」
「そうですね」
敷物をリュックに収めながら彼女頷く。
「あんた、人間なんでしょ?」
「はい」
「危険なんじゃない?」
「危険です」
「殺されるんでしょ?」
「かもしれません」
「引き返すなら今だよ?」
「そんな気はありませんが」
「なんで?」
訊ねると荷物を片付け終わった彼女は無表情に振り向いた。
「あなたにはわたしが必要だからですが」
当然のことだとばかりに真顔でそんなことを言ってくる彼女に、心桜は思わずキョトンとしてしまう。そして次の瞬間には吹き出すように笑っていた。
別に彼女の言うことがおかしかったわけではない。なんだか嬉しかったからだ。このよくわからない世界に来て、よくわからないまま魔者という存在にされ、よくわからないまま慎を探そうと決めた。そこに頼れる者は誰もいない。
そう思っていたのに。
「なぜそんなに笑うのですか」
困惑したような表情で瑠璃はその場に突っ立っている。どんな反応をしたらいいのかわからない。そんな感じに見える。その姿はやはり子供のようで可愛らしくすら思えてくる。
心桜はひとしきり笑うと「はぁー……」と息を吐き出した。そしてリュックに手を伸ばす。
「行こうか」
「あ、荷物はわたしが」
少し焦った様子で瑠璃がリュックに手を伸ばす。しかし心桜はその手を「ダメ」と掴んだ。
「ここから街まではわたしが持つ」
「でも――」
「わたしが持つんだってば」
言いながら心桜はリュックをグイッと持ち上げた。しかしとてつもない重さに思わず「うっ……」と変な声を出してしまう。
「ものすごく重いですよ?」
「くっ……。先に言ってよ」
なかなか背負うことのできないリュックをなんとか持ち上げようと心桜は葉を食いしばる。
「ですからわたしが持ちますと――」
「ダメだってば!」
心桜は強く声を吐き出すのと同時に勢いをつけてリュックを背負った。思わずよろけてしまったが、重心に気をつければなんとか歩けそうだ。
「なぜですか。わたしはあなたのメイドなのですから荷物くらい」
「わたしはあんたをメイドだとは思ってないし」
心桜の言葉に瑠璃は「え……」と驚いたように目を丸くした。
「では、わたしは――」
「とりあえずは友達じゃない? なんかあんた面白いしさ」
「友達……」
「そう。友達に荷物をずっと持たせる奴はいないでしょ。しかも、こんなクソ重いやつ」
心桜は言いながら一歩足を踏み出す。大丈夫だ。歩くことは出来る。
「てか、あんたよくこんなの平気で背負ってたね?」
「鍛えてますから」
「メイドなのに?」
「暇だったので」
それを聞いて心桜は再び笑う。
「屋敷でも言ってたよね、それ。暇だから筋トレもしちゃってたの?」
地面を見つめ、ゆっくりと歩き出しながら心桜は言う。その隣に並んで歩く瑠璃は「そうです」と頷いた。
「ちょっと筋トレ教えてもらおうかな。この荷物を簡単に持てるくらいになるまで」
「……いいですよ」
聞こえた彼女の声がさっきよりも柔らかくて心桜は視線を上げた。そして目を見開く。隣を歩く瑠璃は微笑んでいたのだ。嬉しそうに。
「へえ」
思わず声を漏らすと、瑠璃は怪訝そうに「なんでしょう?」と眉を寄せた。
「ちゃんと笑えるんだなぁと思って」
「人間ですから笑いますよ?」
「見たことなかったもん。今日まで」
「その言葉、そのままお返ししますが……」
小さな声で彼女は言って、なぜか顔を俯かせた。
「え、なにが?」
聞き返すと彼女は顔を上げ、まっすぐに心桜を見てくる。そして「いえ、なんでも」と微笑んだ。今度は楽しそうに。
「ふうん? まあ、いいけど。てか、やっぱり街までは無理かも」
「変わりますか?」
「いや。せめてあの木まではわたしが持つ」
「どの木かは分かりませんが、お好きにどうぞ」
そんな会話をしているとまるで本当に友達同士のようだ。瑠璃との会話は気が楽だ。それはきっと、彼女が少しだけ慎と似ているからだろう。
慎もこんな風に大人のようなことを言うくせに、たまに子供のようなことを言っていた。内と外のバランスが取れていない。そんなところがよく似ている。
――でも、慎じゃない。
一歩、重たい足を踏み出しながら自分に言い聞かせる。
彼女は慎ではない。彼女に慎の代わりを求めてはいけない。わかっている。わかっているのだ。
しかし、ほんの少しでも寂しさを癒してくれる相手が隣にいる。
それが、嬉しかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます