幕間 約束

第27話

 少女には生まれた瞬間から自由などなかった。生まれ落ちた場所は納屋。育った場所は薄暗い小屋。最低限の食事とボロボロの服。外れない魔力の首輪。

 周りには『人間』が数人いたが、誰もが生きることを諦めたような顔をしていた。少女の両親すらも。

 少女は双子だった。しかし少女たちを産み落とした母親は一度も少女たちを抱くことはなかった。当然、育てることもしない。代わりに少女たちを育てたのは乳母だ。

 乳母といってもまだ十代の少女。彼女には人間とは違う獣の耳が生えていた。

 少女が言葉を理解できるようになった頃に聞いた話では、彼女は獣人と人間の混血で二級の奴隷だという。この話を聞いた時、初めて少女は『奴隷』というものを知った。そして自分たちには奴隷という未来しかないのだということも理解した。

 この世界で人間は存在することが許されない。唯一の存在方法が奴隷であると乳母から教わったのだ。


「奴隷も悪くはないよ。わたしの主人は奴隷商だけど一応はちゃんと生活させてくれてるし」


 乳母は言って少し笑ったが「奴隷を買う奴なんて変人が多いからさ。殴られるだけならマシな方だよ」と沈んだ表情で続けた。その右目にはひどいあざが浮かんでいる。

 乳母はいつもどこかにあざを作っていた。毎日殴られでもしているのだろう。しかし、それでも今の生活がマシだと彼女は言っている。


 ――ああ。だから、ここの人たちはこんな顔をしてるんだ。


 少女はそのときようやく自分の両親を含め、この納屋で暮らす人間たちの表情の意味を理解した。ここにいる人間はそのうちどこかに売られる奴隷なのだろう。だから諦めているのだ。まともな生活を送ることは無理だと理解しているから。

 それでも少女は幸運だったのかもしれない。少女の持ち主である奴隷商が少女たちに教育を受けさせたのだ。読み書きや計算ができる奴隷は高く売れるから、と。

 外に出ることは許されず、狭い納屋の中での最低限の質素な暮らし。乳母から様々なことを教わりながら過ごした時間はどれくらいだったのだろう。

 決して幸せとは言えない時間だったが、それでも悪くはない日々だったように思う。しかし、それは突然やってきた。


「お姉ちゃん、わたしね、もうすぐ新しい家に行くんだって」


 そう言ったのは少女の双子の妹だ。ちょうど夕食の後片付けが終わり、寝支度をしているときのことだった。


「新しい家?」

「うん。買い手が見つかったって、さっきおじさんから言われた」


 おじさんというのは奴隷商のことだ。少女は眉を寄せる。


「わたしは何も言われてないよ?」

「買われたのはわたしだけなんだって」

「どうして? わたしたちは双子なのに」


 生まれたときからずっと一緒にいたのだ。奴隷になっても当然一緒にいるのだと思っていたのに。

 少女の妹は薄く微笑む。


「双子でも一緒にはいられないんだって」

「どうして……?」

「わたしたちが人間だから」


 少女の妹は悲しそうな笑みを少女に向けた。


「離れ離れになっちゃうね」


 そう言って彼女は少女の手に触れる。その小さな手を握りながら少女は「いつ行っちゃうの?」と聞いた。


「わかんない」

「じゃあ、どこに行っちゃうの?」


 しかしそれにも彼女は首を横に振る。


「何も教えてくれなかったの。ただ、お前を引き渡すって、それだけ言われて」


 彼女は強く少女の手を握りしめると「お姉ちゃん、またいつか会える?」と泣きそうな表情で少女を見つめた。少女は一瞬言葉に詰まり、それでも懸命に笑みを浮かべる。


「もちろん。絶対にまた会えるよ。迎えに行く」

「ほんとに?」

「ほんとに。お姉ちゃんがウソついたことある?」

「ない」

「でしょ?」


 少女は泣きながら笑って彼女の頭を撫でてやる。


「あんた、すぐ風邪ひくからちゃんと暖かくして寝るんだよ? さみしくなっても我慢して。絶対にお姉ちゃんが迎えに行くからね。だからそれまでは頑張って」

「……頑張れるかなぁ」

「頑張るの。どんなことがあっても絶対にお姉ちゃんが行くまで頑張って。ね? 約束」


 言って少女は握っていた彼女の手の小指に自分の小指を絡ませる。彼女は不思議そうに絡ませた小指に目を向けた。


「なにこれ?」

「これね、人間が約束するときにするおまじないなんだって」

「おまじない?」

「そ。これで約束は絶対になるから」

「……うん。わかった」


 彼女は笑った。


「待ってるね、お姉ちゃん」


 涙を流しながら彼女は笑う。それが少女が見た最後の妹の笑顔だった。

 翌朝、目を覚ますとすでに彼女の姿はなかった。大人たちに聞いても誰も何も言わない。乳母に聞いてようやく妹が新しい家へと旅立ったのだということを知った。

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