第16話
目を覚ますと部屋は薄暗かった。狭い室内には心桜一人しかいない。
「……瑠璃?」
ぼんやりとした意識でベッドに座ると部屋を見渡す。しかし人の気配はなかった。窓の向こうに視線を向けるとすでに日が沈みかけている。どれくらい寝ていたのだろう。
――出掛けるなら起こしてくれたらいいのに。
そんなことを思った自分を意外に思い、心桜は小さくため息を吐く。
不安感がある。
当然だ。ここは言ってみれば自分以外の存在全てが敵なのだ。冷静に考えてそんな場所に一人残されてしまえば普通は不安にもなる。そんな普通な感情が生まれてくる程度には、まだ人間らしさが残っているということなのだろう。
心桜は座ったまま自分の両手に視線を落とした。
「……平気で殺そうとするのにね」
一度殺してしまったからだろうか。殺意が芽生えた時にためらいはない。あの門番に対してもそうだった。
心桜はもう一度ため息を吐くと再びベッドに仰向けに寝転がった。
瑠璃を探しに行こうか。
一瞬そんなことを思ったが外に出たところで自分が迷うだけだ。それに街中の住人からあんな視線を向けられるのも気分が良いものではない。
――瑠璃は平気そうだったな。
慣れ、なのだろうか。だとしたら嫌だなと心桜は思う。
あんな視線に慣れてしまうくらいならいっそのこと全部消してしまった方がマシだ。
だけど瑠璃にはそれができない。その力がない。
彼女は人間だから。
しかしだからこそ、あんな視線に耐えられるわけもないはずなのに。
心桜は天井を見つめながらため息を吐く。さっきまで薄暗かった部屋はあっという間に真っ暗になってしまった。しかし灯りをつける手段がわからない。
シャドラの屋敷にいたときもそうだったのだが、この世界の灯りは魔力で出来ているらしい。
天井にぶら下がった古びたランプのようなもの。あそこに魔力で何かすれば灯りがつくらしいのだが、屋敷ではシャドラが何か仕掛けでも作ったのか暗くなると自動的に灯りがつくようになっていた。だから、どうすれば魔力が灯りになるのかよくわからないままだ。
心桜は試しに手を天井に向けてみる。
「……灯りよ、つけ」
呟いてみたものの何も起きない。
「だよねー」
心桜は苦笑しながら手を下ろすとベッドの上に置きっぱなしになっていたスマホを手にした。
スマホの画面を開くと仄かな灯りが部屋を照らす。理由はわからないが充電が減らないということはカメラやライトとしてもずっと使えるということだ。
「けっこう便利かも」
呟きながら慎とのトークルームを開いた心桜は「え……」と声を漏らした。そして勢いよく身体を起こす。彼女からのメッセージが増えていたのだ。
「なんで……。通知だってなかったのに」
呟きながら新たに送られてきたメッセージを見つめる。
『心桜。既読がついてるからきっと生きてるよね? これも届いてるよね? わたし、心桜のこと絶対に見つけるからね。待ってて』
心桜はしばらく慎の言葉を見つめていたが、やがてフッと微笑んだ。
「なに言ってんだか。わたしが待ってるわけないじゃん」
こちらから探すのだ。彼女のことを、絶対に見つけてみせる。
心桜はメッセージを指でなぞってから試しにもう一度返信を打ってみる。しかし、やはり何も文字は入力できなかった。
「――不公平だなぁ」
どうしてこちらから言葉を送れないのだろう。一度でいい。一度だけでも彼女へ言葉を送ることができれば、彼女が今いるであろう場所の手がかりだって得られるかもしれないのに。
心桜はスマホを胸に抱えるようにしながらぼんやりとした灯りに照らされた天井を見つめる。
――でも、きっと大丈夫なんだ。良かった。
今回のメッセージには少し余裕が感じられる。きっと上手く逃げることができたのだろう。もしかすると協力者と出会えたのかもしれない。あるいは……。
考えてから心桜は息を吐いて目を閉じた。
もしかして慎もまた魔者となってしまったのではないか。
そんな考えが脳裏をよぎる。もし彼女が魔者になったのだとしたら、それはつまり彼女が誰かのモノになったということだ。誰かも知れない魔者の一部を体内に取り込み、そしてキスをしたということ。
――殺そう。
考えたくもないが、万が一にも彼女が魔者になっていた場合はその主を殺そう。そして自分の一部を彼女に与えて彼女を自分のものにするのだ。
――そうすれば、慎はずっとわたしのもの。
「ホントかよ」
ぼんやりと考えていたとき、ふいに廊下から声が聞こえて心桜は顔をドアの方へと向けた。廊下を歩く音がする。靴音はおそらく二人分。
「少し前に俺らの隣の部屋から出ていく奴隷を見たんだよ。胸くそ悪いよな。マジで部屋変えてもらおうぜ」
「でも奴隷なんだろ? じゃあ、隣の部屋にいるのは金持ちの変態なんじゃねえの?」
「変態は嫌だろ」
「でも金持ちだったら脅せばちょっとくらい小遣いくれるんじゃね?」
「なるほど。んじゃ、ちょっとご挨拶に行くか?」
足音が近づいてくる。心桜は片手をドアの方に向けた。左目がじわりと熱を帯びてくる。
「誰もいないんじゃね?」
「でも出て行ったのは奴隷だけだったぜ?」
カチャッとドアノブが微かに動いた。左目から手の先へとじわりと熱が伝わっていく。部屋が微かに焦げ臭くなったような気がする。
「やめとけよ」
そのとき、声と共にトントンと階段を上がってくる音が聞こえた。どうやら三人目が現れたようだ。
「たぶんそこに泊まってるの、魔者だぞ」
「げ、マジ?」
「街で噂になってた。奴隷を連れた魔者が今日、街に入ったって」
「奴隷と魔者って最悪の組み合わせじゃねえか」
「魔者はやっかいだよな。関わるだけこっちが損するだけだわ」
声はそのまま遠くなっていき、やがてどこかのドアが開閉される音が響いた。
――行ったかな。
手をドアに向けたまま、しばらく耳を澄ます。するとドアノブが急にガチャッと回った。そしてゆっくりとドアが開く。
「――わたしを殺しますか?」
ドアの向こうから現れた人物は驚きもせず、無表情にそう言った。心桜は息を吐いて笑うと手を下ろす。
「殺さないよ。瑠璃のことは」
「そうですか」
彼女は頷くと静かに部屋に入り、そして眉を寄せた。
「少し焦げ臭くないでしょうか」
「気のせいでしょ」
心桜は言って「それより」と彼女を睨む。
「どこ行ってたの?」
彼女は怪訝そうに首を傾げる。
「なぜ怒っていらっしゃるのですか?」
「起きたらいなかった」
心桜が言うと彼女は少し考えてから「ああ、寂しかったんですか」と納得したように頷く。
「違うでしょ」
「違うんですか?」
心桜は深くため息を吐くと「で、どこ行ってたの?」と再び同じ質問をした。
「買い出しに」
彼女は言って胸に抱えていた紙袋をテーブルの上に置いた。
「なに買ったの?」
「日持ちのする携帯食と解熱剤などの薬品を少し」
「解熱剤?」
「これから旅をするのであれば持っているに越したことはないと思いまして」
「ふうん」
心桜が頷くと彼女は「きっとあなたがよく熱を出すと思うので」と続けた。
「は? わたしめちゃくちゃ健康児だけど? 病院にかかったことだってないし」
「魔者の魔力は馴染むまで身体を傷めることが多いとシャドラ様が仰っていました」
「なにそれ。どういう意味?」
「魔力の制御ができないと大変という意味です」
「制御できてるし」
「ドア、焦げてますね」
彼女は言ってドアに視線を向ける。
「それは、なんか隣の部屋だかに泊まってる奴らが不法侵入してこようとしてたから」
「そうですか。では灯りをつけてもらってもよろしいでしょうか?」
彼女は言って天井を見上げる。心桜は舌打ちをして「無理」と答えた。
「灯りをつける程度の弱い魔力の放出。まずはそこから練習ですね」
彼女は淡々と言うと買ってきた荷物をリュックの中に詰め込んだ。そして「行きましょう」と心桜に視線を向ける。
「え、どこに」
「食事です。ちょうど時間ですので」
「あー……」
「心の底から嫌そうな顔しないでください。あなたの為の情報収集ですよ」
心桜は深くため息を吐くと「はいはい。わかりましたよ」とスマホをポケットに入れて重い腰を上げた。
「食堂ってこの下?」
「はい。宿屋とは逆方向の入り口ですが、中廊下で繋がっています」
彼女は言いながらドアを開けて廊下に出た。心桜は彼女の後に続きながら「ねえ、瑠璃」とその背中に声をかける。
「なんでしょう」
「平気なの?」
「何がですか?」
振り向きもせず彼女は聞き返す。
「あんな街中から嫌な目で見られて」
すると彼女は立ち止まった。そして少し考えるようにしてから「何もいない」と答えた。心桜は眉を寄せる。
「え、なに?」
「何もいない。誰も見えない。わたしはいつも一人。時に襲ってくる暴力は不運な事故。そう思うようにすれば楽になると気づいてからは平気です」
彼女は静かな口調でそう言うと再び足を進め、階段を降り始めた。
「……ふうん」
それはきっと平気ではない。ただ感情を無視しているだけだ。痛みに気づかないふりをしているだけ。
彼女は我慢しているのだ。
普通の人間では耐えれないほどの心の痛みを、ただひたすらに我慢し続けている。普通の人間ならば我慢しなくてもいいはずの痛みを。
イラッとした感情が心桜の胸の中に沸き上がる。
「心桜様? こちらです」
階段の途中で立ち止まっていた心桜に気づいて瑠璃が振り返った。
「ああ、うん。ごめん」
心桜は頷き、苛立ちを胸に抱えたまま彼女の後を追った。
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