第15話

 与えられた部屋は予想していたよりも狭かった。本当に寝るためだけの部屋なのだろう。一応ユニットバスといった雰囲気のトイレとシャワーはついており、小さなテーブルと椅子も置かれている。ベッドは小さく、二人で寝るにはどう考えても狭すぎる。


「荷物、床に置くと移動に邪魔ですので椅子に置いておきます」


 言いながら瑠璃は背から荷物を下ろすと椅子の上に置く。その様子を見ながら心桜はため息を吐いた。床に置こうが椅子の上に置こうが荷物が大きすぎて、結局は通路を塞いでしまっている。


「その荷物、とりあえず端っこに寄せよう。うちら身動き取れなくなるって」

「たしかにそうですね」


 瑠璃は頷くと椅子を持ち上げて部屋の隅に移動させた。


「てか、もう座る場所なくない?」

「ベッドがあります」

「まあ、そうだけどさ。小さすぎない?」

「そうでしょうか」

「二人で眠れると思う? このサイズ」

「心桜様はわたしよりも小さいから問題ないのでは?」

「それはどういう意味よ」


 心桜はため息を吐きながらベッドに座るとそのまま仰向けに倒れた。布団は思っていたよりも硬い。天井は低い。この部屋は何もかもが狭くて小さい。


「ボロ宿」

「違います。良心的な安宿です」


 すかさず瑠璃が訂正する。心桜は顔を横に向けて彼女を見た。瑠璃は座るでもなくベッドの横に立っている。


「嫌なおばさんだった」

「そんなことはないですよ。この街の中では良い人です」

「……仲良いの?」


 とてもそうは見えなかったが、もしかすると瑠璃の感覚では仲の良い部類なのかもしれない。そう思って聞いてみたが瑠璃は「いえ」と即答した。


「ただ昔、助けていただいたことがありまして。それ以来、シャドラ様とも契約を結んで屋敷へ食料や雑貨などを卸していただいているんです」

「宿屋なのに?」

「宿屋ですが食堂も兼ねていますし、食堂では野菜などを売っていたりもしますからね。この世界では限定的な職業は存在しないんです。ですから収入が保証されている契約商売は重宝されるんですよ」

「ふうん」

「どうでも良さそうですね」

「興味ない」

「そうですか」


 言って瑠璃は口を閉じた。沈黙が部屋に降りてくる。瑠璃は立ったまま動かないようだ。心桜はゴロンと転がってベッドの端へと移動する。


「座れば?」

「いえ。わたしは大丈夫です」

「立っていられると落ち着かない」


 心桜の言葉に瑠璃は静かにベッドに腰を下ろした。しかし何も話さない。すんとした表情でぼんやりと荷物の方へ視線を向けている。心桜は小さく息を吐いて「それで」と口を開いた。


「これからどうするの?」

「あなたはどうしたいですか?」


 瑠璃は静かな口調で言いながら視線を心桜に向ける。


「わたしは――」


 呟きながら心桜はフーディーのポケットに手を入れてスマホを取り出した。不思議なことに充電が減らないスマホを開き、彼女から送られてきたメッセージを表示させる。


『心桜、どこにいるの?』


 送信された日付は文字化けしていて分からない。手がかりになるようなことも彼女からのメッセージにはない。心桜は小さくため息を吐いて画面をロックする。待ち受けには楽しそうに微笑む慎の姿。


「大切な方なんですか?」


 ふいに瑠璃が口を開いた。視線を向けると彼女はスマホの画面を見ていた。心桜は「うん」と微笑む。


「とても……」

「その人を探す旅、なんですよね」

「うん」

「生きているという保証はないんですよね」

「生きてるよ」

「もし、死んでいたら?」

「殺した奴を見つけ出して死んだ方がマシだっていうほどの苦しみを与えてからなぶり殺す」

「殺した相手が見つからなかったら?」

「この世界を殺す」


 心桜が即答すると瑠璃は「そうですか」と頷いた。思わず心桜は彼女に顔を向ける。


「それだけ?」

「はい」

「そんなこと言うもんじゃないとか。そんなことは無理だとか言わないの?」

「はい」


 瑠璃は頷いて微笑んだ。


「わたしの意見など、あなたには届かないでしょう?」


 心桜は彼女を見つめ、そしてため息を吐いた。


「そういうところ、嫌い」


 言って心桜は瑠璃から顔を背けた。


「そうですか」


 大人のように穏やかな口調で彼女は心桜の言葉を受け流す。そんな、彼女がふとした瞬間に見せる大人のような態度が嫌いだ。

 自分が子供なのだと思い知らされる。

 こんな自分が慎を助けることなんてできるのだろうかと不安になる。

 そして慎がいなければ所詮はひとりぼっちなのだと絶望してしまう。


 瑠璃は近くにいるのに遠いところで心桜を見ている。


「大丈夫ですよ」


 ふいに瑠璃がそう言って寝転んでいる心桜の肩に手を置いた。


「……なにが」

「わたしはずっとあなたといますから」


 視線だけを彼女に向ける。瑠璃は穏やかに微笑んでいた。まるで心桜の不安を見透かしているかのように。心桜はそんな彼女の視線から逃れるように片腕を上げて額に置く。


「――嫌い」


 呟いた心桜の声に瑠璃は何も答えず、ポンポンと肩を優しく叩いた。まるで幼い子を寝かしつける母親のように。そのリズムが心地良い。


「少し、休まれますか?」


 ウトウトしてきた心桜に気づいたのだろう。瑠璃が囁くように言う。


「でも、これからのこととか考えないと……」

「あの方を探すのでは?」

「そうだけど」

「でしたら情報収集が必要です」


 瑠璃の言葉に心桜は腕を下ろす。瞼が重たい。


「どうやって?」


 ぼんやりとした意識のまま彼女に聞く。


「夕食は食堂でとりますから、そのときに他のお客様に聞いてみましょう」

「……もしかしてそのためにわざわざ食堂を?」

「はい。わたしたちが情報を得られる方法はそのくらいかと。聞いて何か教えてもらえる可能性は低いですが、やらないよりはいいです」

「そっか」


 やはり瑠璃は大人だ。何も考えていないようでいてちゃんと考えて行動している。自分とは違う。思いつきと勢いだけで行動してしまう自分とはまるで違う。

 ポンポン、とゆっくりリズムを刻む瑠璃の手は温かい。


「ですから少しお休みください。久しぶりにたくさん歩いたのでお疲れでしょう」

「ん……。瑠璃は?」

「いますよ。ここに」

「そっか」


 答えながら心桜は瞼を閉じる。

 どうして彼女は近くにいてくれるのだろう。こんなに良くしてくれるのだろう。その理由をいつか聞いてみようか。素直に聞けるようになったら、いつか。


 ――また、メイドだからって答えそうだけど。


「……心桜様。まだ起きていますか?」


 眠りに落ちかけた意識の中に瑠璃の声が降ってくる。


「んー……?」

「ありがとうございました」

「――なに?」

「さっき、怒ってくれて」


 ――なんでちょっと嬉しそうなの。


 そう思ったが、それを口にするまで睡魔に抗うことはできず、心桜は浅い眠りへと落ちていった。

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