第32話
「えーと、エレールは貴族の家で働いてるんだよね?」
「はい」
「そこに奴隷はいるの?」
「はい。大人の二級奴隷が二人。あと一級奴隷の女の子が一人。ご主人様はそれだけでは飽きてしまわれたようで、今回の奴隷市で特級を手に入れるんだと意気込んでおられます」
そう言う彼女の表情は暗い。心桜は「へえ」と低く答える。
「今回の市で特級が出るの?」
「わかりません。その情報収集のためにわたしはここへ」
「そう」
「……ココロ様も奴隷を新しく買われるおつもりなんですか?」
エレールは視線を瑠璃に向けた。心桜は眉を寄せて首を横に振る。
「奴隷なんか買うわけないじゃん。そんなのいらない。言っとくけど瑠璃も奴隷じゃないからね」
「心桜様」
瑠璃がたしなめるように口を開いた。心桜は「いいじゃん。ほんとのことだし」と肩をすくめる。エレールは「え……?」と目を丸くして瑠璃へと視線を向けた。
「でも首に……」
「ああ。あれがないと言葉わかんないでしょ? あとあれ着けてると、とりあえずは殺されないらしいから着けてるけど取り外しは自由になってんの。瑠璃はわたしの友達だからね」
「友達……。人間が?」
「なに。悪い?」
「いえ、全然!」
彼女は大きく首を横に振ると「そうですか。人間が、友達……」と呟いた。そしてじっと瑠璃を見つめる。瑠璃は居心地悪そうにしながら「心桜様」と深くため息を吐いた。
「ややこしくなるので街ではわたしは奴隷として振る舞うとあれほど言いましたよね」
「は? そんなはっきりとは言ってないよ」
「言って……」
瑠璃は少し考えてから「ないかもしれませんが」言葉を続ける。
「雰囲気でわかるものかと思います」
「わたしがそれを嫌がってるのも雰囲気でわかるよね? てか、はっきりわたしは言ったよね?」
「はっきり仰っておられましたが、それはそれです」
「……瑠璃ってたまにそういうとこあるよね」
そんな会話をする二人の様子を見ていたエレーラは「本当なんですね」と呟いた。
「あの、ココロ様は――」
そのとき受付から番号を呼ぶ声が聞こえた。エレールは自分の持っていた番号札を見ると慌てて「あ、わたしです」と立ち上がる。
「あの、もしまたどこかでお会いできたらお話してくださいますか?」
「え、うん。別にいいよ」
「ありがとうございます」
彼女は嬉しそうに頭を下げるとカウンターへ向かった。その後ろ姿を見ながら瑠璃は「何か話したいことがあるようですね、彼女」と言った。
「そうなの?」
「でなければ魔者と自ら関わろうなんてしません」
「へえ。そういうものなの?」
「そういうものです。といっても、彼女にとっての魔者は世間一般的な魔者とは少し認識が違うのかもしれませんが」
「あまり頭が良くないって自分で言ってたけど?」
「いえ、知能の問題ではなく世間を知らない、というよりは常識を教わる機会がなかったのかもしれません」
瑠璃は言って少しだけ眉を寄せる。
「なにそれ。この世界で育ったら普通に身につくもんじゃないの? そういう常識って」
「普通はそうですが、彼女はもしかすると……」
瑠璃は言葉を止めると受付に座るエレールの背中を見つめた。心桜も彼女の背中を見つめる。
貴族の屋敷に住み込んで働いていると彼女は言っていた。それにしては質素すぎる衣服だ。いや、衣服と言えるほどのものでもないかもしれない。ただ布を雑に縫い合わせただけのもの。靴はボロボロのサンダルで、ほとんど裸足も同然だ。あれではまるで――。
「……ほんとの奴隷みたいじゃん」
思わず呟いた心桜の言葉に瑠璃は「そうですね」と頷いた。
「魔人って、もしかしてこの世界では差別されてんの?」
「いえ。ただ魔人はこの世界では数が少なく、人間ほどではないですが希少種に該当します」
「希少種……」
「はい。他の種族と比べて成長速度も極端に遅いため、親を失った子供は生活の場を失うことがあります。そんな境遇の子供を慈善活動という名目で引き取る貴族がいる、と聞いたことがあります」
「……名目ってことは本当は違うんだ?」
「はい。魔人種は基本的に容姿に優れていますし、魔力も他の種族に比べると強い。上手く育てて自分の横に置いておけば箔がつく、ということらしいです、あとは愛玩用に手元に置くという貴族もいるとか」
「うっわ。キモいし最低なんだけど」
「底辺の貴族らしい考えです」
「底辺って……」
「この街に暮らす貴族の地位なんてたかが知れていますよ」
淡々とした口調の瑠璃だったが、エレールの背中を見つめる視線には哀れみが含まれている気がする。心桜もエレールの背中へと視線を移した。
「あの子、わたしに何か言いたいんだよね?」
「そうですね」
「泊まってる宿の場所くらい教えてもいいかな?」
「……きっと教えても来られないと思いますよ」
「なんで?」
「あの子には外出の自由はないでしょうから」
たしかに自由に外出ができるのであれば魔者について知る機会だって得られたはずだろう。今日は外に出るための口実があったからここに来られた。心桜が今日来た魔者だということも、きっとここに来るまでの間に噂になっていただけなのかもしれない。
「このまま連れて帰る?」
「彼女の人生をこれから一生背負う覚悟がありますか?」
間髪入れない瑠璃の言葉に、きっと彼女も似たようなことを考えたのだろうと心桜は思う。
「じゃあ、この後ちょっと話をするっていうのは?」
「無理でしょう。おそらくは彼女の行動は監視されていますから」
「え、どこで」
「わかりませんでしたか? 彼女の角に小さな紋様があることに」
「紋様?」
目を凝らして見たが、この距離からではわからない。
「魔人種は魔力が強い。ですから貴族の中には自分の元に置く魔人の魔力を縛る者もいるんです。主の許可なく魔力を行使できないように。おそらくあの紋様があることで彼女の行動はすべて主である貴族に筒抜けになっているでしょう」
「つまり、寄り道したら怒られるってこと?」
「怒られるだけで済めばいいですけどね」
たしかに奴隷のような扱いを受けているのだ。ただ怒られるだけでは済まないだろう。心桜は深くため息を吐く。
「――会えるかな、また」
「そんなに気になりますか? あの子が」
視線を向けると瑠璃が僅かに首を傾げていた。その表情は意外そうだ。心桜は「んー、どうだろ」と息を吐く。
「なんかあの子がっていうか、あの子の目がさ……。なんとなく気になっちゃって」
「目、ですか」
そのとき要件が終わったのかエレールが席を立った。そしてこちらを振り向いて一瞬何かを言おうと口を開く。しかし結局そのまま軽く会釈して立ち去っていった。
その細く頼りない背中を見つめながら心桜はそうか、と思う。
あれは我慢している目なのだ。辛いこと、苦しいこと、嫌なこと、すべてを我慢している目。それはいつかの慎の目によく似ている。
その頃の慎はいつだって我慢していた。我慢して、偽りの自分を鎧のように纏って強くあろうとしていた。そんな彼女が時々、自分の前でだけ本当の姿を見せてくれる。それが嬉しかった。彼女は自分を支えにしてくれている。そう感じることができたから。
――あの子はどうなのかな。
いるのだろうか。本当の自分を見せることができる相手が。たった一人でも。
「心桜様」
ふいに瑠璃が心桜を呼ぶ。視線を向けると彼女は受付のカウンターを指差していた。
「呼ばれてますよ」
「ああ、うん」
心桜は立ち上がり、カウンターに向かいながら視線を出入り口へと向ける。もうそこにエレールの姿はなかった。
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