第33話
「お待たせしました。本日はどのようなご用件でしょうか?」
カウンターの椅子に座ると真人の男性職員が愛想の良い笑みを浮かべながら言った。
「奴隷の店を探してるんだけど」
「はい。ご購入が目的ですか?」
「違う」
「では売却でしょうか」
言って職員は瑠璃に視線を向けた。
「は? 何言ってんの? 殺――」
「心桜様」
後ろから静かに、しかし強い口調の瑠璃の声が聞こえて心桜は口を閉ざす。そして舌打ちをすると「買わないし売らない」と職員を睨んだ。
彼はわずかに笑顔を引き攣らせて「では、どのようなご用件でございましょうか?」と先ほどよりも丁寧な口調で言う。
「人間の情報を知りたいだけ」
「情報、ですか」
「この街に奴隷を売ってる店って何軒あるの?」
「正規の店でしたら富裕層街に二軒となっております」
「正規の?」
聞き返すと職員は頷いた。
「この街で店を構えている奴隷商は世界的な商会に所属している商人だけとなっております。もうすぐ開催される奴隷市では世界中から商人がやってきますが、信用のおける店ということでしたら富裕層街の二軒かと」
「信用のおけない商人もいるの?」
すると職員は困ったように「そうなんですよ」と小さく息を吐いた。
「髪の色や目の色が若干、普通とは違う真人を二級の奴隷と偽って売る者もおりまして。流れの奴隷商人にはそのような輩が多いですね」
「ふうん。つまり奴隷市があってもまともな奴隷商人はいないってことだ」
「いえ。全員がそうというわけではありません。もし市で信用のおける商人を探されるのでしたら、商会のエンブレムを掲げた店を探すのが良いかと思います」
「エンブレム?」
「はい。商会の会員は必ずこのエンブレムを見える場所に掲げていますので」
そう言って職員はカウンターに銅板のようなものを置いた。そこには複雑な絵柄が掘られている。何かの意味があるのか、ないのか。とりあえず分かりづらいエンブレムで心桜には覚えられそうにない。
「……まあいいや。とりあえず、この街に店を出してる二軒の場所教えてくれる?」
心桜が言ったタイミングで瑠璃がサッと地図をカウンターに置いた。職員はそれに印をつけながら「あの、余計なことかもしれませんが」と迷うように口を開いた。
「なに」
「奴隷商は総じて口が固い者が多いので、情報収集のみが目的となると少し難しいかと」
「いいよ。口を割らせる方法なんていくらでもあるでしょ。誰だって痛いのは嫌だよね?」
瞬間、職員は顔を引き攣らせた。そして「できれば、街の評判の為にも穏便に済ませていただきたく想うのですが」と愛想笑いを浮かべる。
「無理でしょ。だって普通に聞いても教えてくれないんでしょ?」
「はい。しかし、力に頼る以外にも方法はあります」
「例えば?」
「一番は金銭での解決ですね」
「情報を買うってこと?」
「はい。奴隷を扱っているといっても元来は商人ですから。といっても貴重な情報を誰にでも売るような者たちでもない。ですが魔者の方が相手となれば金銭で解決できると思いますよ」
「……あのさ」
「はい?」
職員が顔を上げる。心桜は少し考えてから「この店、ここからだと遠い?」と地図を覗き込んだ。職員が丸をつけた場所は富裕層街の中心部の辺りだ。しかし距離感がよくわからない。
「そうですね。今から行っても、おそらく店は閉まっていると思いますよ」
「そう。わかった」
心桜は席を立つと「行こう、瑠璃」と声をかける。
「はい。ありがとうございました」
瑠璃が丁寧に職員に頭を下げると、彼は困ったように笑みを浮かべていた。
「別に礼を言う必要はないんじゃない?」
「あの人からは情報をいただきましたので」
「情報って、たいしたことなかったじゃん。それに仕事でしょ」
役所を出て宿の方へと戻りながら心桜はため息を吐いた。
結局、得られた情報はこの街には二軒の奴隷商の店があり、金を積まないと情報が得られないだろうということ。そして奴隷市に来る商人のほとんどは偽の奴隷商だろうということ。
「奴隷市っても、闇市みたいなものってことだよね」
「それでも需要があるから開かれるのでしょう」
「でも売られてるのって人間じゃないんでしょ?」
心桜が言うと瑠璃は「それはわかりませんが」と首を傾げた。
「でも人間みたいな真人を売ってるって」
「あの職員はそう言ってましたね。ですが、そういう真人はどこかで人間の血が混じっていることが多いそうですから」
「そうなの?」
瑠璃は頷く。
「二級の奴隷同士が子を作るとそれはもはやこの世界の者とほとんど見分けはつかなくなります」
たしかに混血同士が子を作ればさらに人間の血は薄まり、この世界の人としての血が濃くなっていくのだろう。しかし、と心桜は首を傾げる。
「二級以下の奴隷はないんだ? その二級同士の子供はどうなるの?」
「普通は子供は産ませません。もし仮に生まれたとしても殺されるのが一般的ですね。奴隷としても価値はなく、手元に置いていても何の見返りもありませんから。しかし稀に生き残った二級同士の子どもたちがそのまま生き延びて偽奴隷として売られているのでしょう」
淡々と瑠璃は言う。その表情には何の感情も見られない。もはやそういうものだという事実の認識でしかないのかもしれない。
「……そういう子たちは、どこかで捕まったってことだよね」
「おそらく」
「てことは、どこかで生き延びてる人間もいるかもしれないってことだ」
「可能性としてはあるでしょう。世界は広いですから」
別に心桜を励まそうとして言っている言葉ではないらしい。彼女の表情は変わらない。ただ事実を述べている。それだけだ。心桜は笑みを浮かべて「そうだよね」と頷いた。
「それと心桜様。あれはいけませんよ」
ふいに瑠璃が圧のある口調で言った。
「え、なに」
「わたし以外の者に対してむやみやたらに『殺す』とか言わないでください」
「……ムカついたんだもん。あいつ、瑠璃を見ながら売るのかって聞いてきたんだよ? それに別に本気だったわけじゃないし」
「今のあなたが言うとまるで冗談には聞こえないんです。もしかしたら街全体を敵に回すかもしれない。あの人も言っていたでしょう。街の評判に関わると……。厄介なことになりかねませんから気をつけてください」
「気をつけろと言われても言葉が勝手に出てくるからしょうがないじゃん」
「自制心という言葉をご存知ですか?」
呆れた表情の瑠璃に視線を向けてから「でも、わたし以外にはってことは瑠璃には言ってもいいんだ?」と薄く笑う。
「ええ。あなたが本気であろうと冗談であろうとわたしはその言葉を本気として受け止めますから」
「……いや、本気で受け止めなくていいよ。怖いって」
「だったら言わないでください」
瑠璃の勝ちである。心桜は深くため息を吐くと「はいはい。気をつけます」と歩く足を速めた。
まだ太陽は少しだけ姿を見せているが、街はすでに夕食の時間帯らしい。商店は軒並み閉店し始め、住居からは夕食の良い香りがする。
「食堂ってどっちだっけ」
通りを歩きながら心桜は訊ねる。瑠璃はすでに地図を覚えてしまったのか「このまま真っ直ぐ行って二つ目にある横道を入ったらすぐです」と答えた。そういえば瑠璃は森でもまったく迷う様子がなかった。きっと記憶力も良く、方向感覚にも優れているのだろう。
「今度は燃やさないでくださいね。食堂も街も」
「しないよ。わたしだってお腹減ってるし」
「ええ。久しぶりにまともな食事ができそうですね」
見ると瑠璃も嬉しそうだ。さっきとは打って変わって子どものような表情を浮かべる彼女を見て心桜は想わず微笑む。
「でもさ、瑠璃が作ってくれる食事もまともじゃん。いや、まとも以上かも」
「え?」
「だって普通に考えてすごくない?」
瑠璃を振り向いてから心桜は笑みを浮かべる。
「獣を狩って捌いてちゃんと調理して食べるってさ。しかも携帯の調理器具で。もはや料理人の上をいってない?」
「――そうでしょうか」
「そうでしょ」
心桜は前方に視線を向ける。一本目の横道を通り過ぎた。食堂へはこの次の横道に入るのだったか。考えながら心桜は「わたし好きだよ」と微笑みながら続けた。
「瑠璃が作ってくれるご飯ってすごい美味しいし、なんか安心できるしさ」
「――そうですか」
あまりにも薄い反応だった。不思議に思って振り返ると彼女は俯いていた。
「え、瑠璃? なに。どうかした?」
「……いえ」
顔を上げた彼女はいつもと変わらぬ表情で「あ、そこを右ですよ」と食堂への道を指差す。しかし、その頬がなぜか少し赤くなっているような気がする。
「瑠璃? なんか顔が――」
「なんでもないですから。ほら、行きましょう。早く」
瑠璃はそう言うと心桜の背中を押す。まるで振り向かせないようにしているかのように。
「変なの」
呟きながら心桜は食堂への道を曲がった。
わたしは彼女を〇〇ため、〇〇になる。 城門有美 @kido_arimi
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