終章:もしも世界が滅びなかったら
中学の卒業式の日を思い出す。前日に雪が降ったあの日、待ち合わせのファミレスに向かう途中だった。どこかの家から夕飯のカレーの香りがする。解けた雪を踏まないよう、足元に気を付けながら歩いているところで、後ろから声をかけられた。
「ナカムラ!」
ハセコの声だ。俺は少し緊張して振り返った。ハセコはジーンズの上に厚手のコートを羽織っていた。ショートカットで化粧気のない姿は、相変わらず女子っぽくなかった。学校の外で見かける他の女子は、化粧をしてまつ毛を付けたり髪に手を掛けたり、もっと華やかにしているのに。
「今から行くんでしょ? 一緒に行こうよ」
学年全体の有志で卒業式の打ち上げをすることになっていた。俺もハセコも、その集合場所になっているファミレスに向かうところだった。
他愛もない話をしながら歩いている途中で進学する高校の話になった。正直なところ、ハセコはあまり成績が良い印象がなかったから俺とは違う高校に行くと思っていたのに、進学先は同じ高校だった。
「一番近いところに行きたかったから、頑張ったんだよね」
友達に話しているのを聞いた。小学校からハセコを見ている俺には、彼女が本気で取り組むと驚くほどの力を発揮することを知っている。
「また、高校も同じだね」
ハセコが無邪気に言う。そして。
「ナカムラが一緒ですごく嬉しい。これからもよろしくね」
こいつは平気でこういう事を言う。真っ直ぐに見つめられて、最高の笑顔でこんなことを言われて、意識するなという方が無理だ。口先だけでなく、本当にこう思ってくれている事は分かっている。でも、真に受けると馬鹿を見ることも分かっている。
ただ、思ったから素直に言う、ハセコの誉め言葉は軽いんだ。
沼にはまったのは小学生の時だ。いじめっ子を撃退した時に言われた『かっこいい』『ときめいた』『筋肉マッチョに恋するかも』を真に受けて、気が付いたら、筋トレが生活に根付き、あいつのことを好きになっていた。
あいつにとっては、あれはすぐに忘れてしまうような軽い言葉で、筋肉マッチョも好みじゃない、そう気づいた時にはもう手遅れだった。俺は沼の底まで沈んでいた。
不毛な中学時代を送ったが、高校になって学校が離れれば忘れられると思っていた。それなのに、また同じ学校に通う。
高校生になったハセコは、急に女性らしさが出てきて、長年見ている俺でも時折はっとするほど綺麗になっていった。それに気が付いたのは俺だけではない。あいつに興味を持つ男が明らかに増えていた。
それでも、いつものようにあいつが憧れの男に熱を上げているうちは、大丈夫だと思っていた。俺のものにはならないけど、誰のものにもならない。それなのに。気が付いてしまった。
あいつが憧れている浅見先輩も、あいつの事を目で追っている。
俺が所属する水泳部はプールに入れる季節まで、ハセコが所属する陸上部と一緒に練習をしている。ハセコが憧れの男をうっとり眺めるのは、見慣れた光景だったけれど、相手もハセコに興味を持っているパターンは初めてだ。
俺は焦ったけれど、何もできなかった。
そんな中、彼女の願い事を聞いた。
部活が終わった後、駅前をぶらついてから家に帰った時。駅前であの国とあの国が停戦した、という号外を配っていた日のことだ。受け取った号外を小脇に挟み、坂道を登り切り、神社の裏口から家の方に向かう途中、お願い事をする大声が聞こえた。
『浅見先輩とうまくいきますように』
声ですぐに分かった。ハセコだ。
3年生の引退の時期が近づいている。あいつはきっと、告白するつもりなんだ。
この願いはきっと成就する。
脇に挟んでいた号外を手に取ると、片手で思い切り握りつぶし、自転車のカゴに放り込んだ。勢いが付き過ぎて、カゴから飛び出し地面に転がる。拾いたくない。屈んだらもう、立ち上がることが出来ないだろう。
浅見先輩が、あいつの何を知ってるんだ。
髪にニワトリの餌のクズをつけたままの姿も、コロッケの日だけは給食の残りジャンケンに参加することも、涙もろくて体育祭も文化祭も毎年泣いていたことも、音痴なことを気にして、合唱はいつも口パクしてることも、何も、何も、全然何も知らないじゃないか。
こんなにずっと好きなのに、俺はずっとあいつを見てるのに、俺は好きになってもらえない。
『あいつが誰かのものになるなんて絶対に嫌だ。こんな世界滅びてしまえ』
俺は、強く強く思った。
だけど、もちろん世界は滅びたりなんかしなかった。
◇
陸上部の練習中に、ハセコと浅見先輩が二人で話す姿を見かけるようになった。同時に、あの二人が付き合っているらしい、という噂も耳に入って来た。
俺は、やっぱり、と思った。うちの神社はパワースポットなんだ。
◇
毎年の夏まつりは憂鬱な行事だ。数か月前から、人の出入りが多くなり、敷地内にある集会所では盆踊りや祭囃子の練習が連日行われる。
さすがに高校に入ってからは、盆踊りの練習に付き合わされる事は無くなったけど、体に踊りが染みついている以上、聞こえてくる音楽を聞き流すのは難しい。家にいてもずっと気になって落ち着かない。
祭り当日の人の多さは尋常ではない。祭りの本部になっている集会所には、この暑さのなかギュウギュウに人が詰めかけている。ドアも開けっぱなしだから、冷房も全く効いていない。
俺と兄ちゃんは、みんなが熱中症にならないよう、常に麦茶を補充し続けている。酔っぱらったオッサンにもお酒じゃなくて無理やり麦茶を注ぐ。
レスラーを目指している兄ちゃんは、俺よりも体が大きく、巨体を縮こまらせて人の間を抜けながら、麦茶を注いでまわっている。
「ちょっと、休憩して来ていいよ」
疲れた様子の俺を見て、声をかけてくれた。俺は遠慮なく休憩させてもらおうと、集会所から出る。
盆踊りの音楽と、人々の喧騒、子供の奇声が混ざり、とても賑やかだ。射的の音も聞こえる。
俺が疲れて見えるのは、さっき嫌なものを見たからだ。浅見先輩とハセコ。二人で屋台をのぞいているのを見かけた。救いだったのは、他のカップルのように、手をつないだり、腕をからませたりと、親密な様子を見せていないことだ。
「それにしても、あっちーな」
人の熱気なのか、夏の熱気なのか、とにかく蒸し暑い。俺は家にいったん戻り、汗で湿ったタオルを洗濯機に放り込む。新しいタオルを手に持ち、冷凍庫から凍らせたペットボトルを取り出して、額に当てながら神社の裏に回った。屋台も出ていないそこは、あまり人が来ない。そこで、のんびり休憩するつもりだった。
集会所の脇を抜けて、社よりももっと奥にすすむ。少し開けた場所には、屋台関連の荷物や、盆踊りの土台を組み立てた資材の残りが転がっている。適当なところに座ろうとしたところで、奥から声が聞こえた。
(何だよ、カップルかよ。違うとこ行けよな)
でも、なぜか妙にひっかかる。
「あの、先輩、近いです」
(ハセコか!)
資材の陰から、そっと覗くと、浅見先輩とハセコが向かい合って立っていた。浅見先輩がハセコの両手を握っている。
(マジ最悪)
絶対に見たくないものに遭遇した。立ち去ろうと思ったけど、ハセコの口調が気になった。
「長谷川さんが、俺の事を好きって言ったんだよ」
「はい、えっと、そうでしたよね。えっと⋯⋯」
「俺は、長谷川さんの事が好きだよ」
「え? あ、そうおっしゃって頂きましたよね」
仲が良いカップルの会話としては違和感を感じる。俺は、見つからないようにそっと二人の様子をのぞいた。ハセコはにぎられた手を引っ込めようとしている。
「先輩、あの、少し離れてください」
「どうして? 離れたら、こういう事できないじゃないか」
浅見先輩が、ハセコに顔を近づけた。
(あいつ!)
ハセコは思い切り顔をそむけた。俺は思わず近くにあった資材を思い切り蹴飛ばした。
「ガタン!」
思ったよりも大きな音が響き、木材が二人の足元に何本か転がった。誰かが裏の山に走って行く音が聞こえる。俺は慌てて、もう一度のぞいた。
「待って、長谷川さん!」
(何であいつ、山の方に行くんだよ!)
人のいる方に逃げればいいものを、誰もいない山の方に走って行く。浅見先輩は追いかけようとして、足元に転がる木材に足を取られた。
俺は、反対側に回って山を登る。こっちの方が早い。
しばらく登ると、少し開けた休憩スポットのベンチに、ハセコが息を切らせて座り込んでいるのを見つけた。浅見先輩が追いかけてくる気配はない。
(あいつ、彼女が一人で山に入って行ったのに放置かよ。最低だな)
「ハセコ!」
声を掛けると、ハセコが勢いよく顔を上げた。顔が涙でくしゃくしゃになり、額に汗で髪の毛が張り付いてしまっている。
何か拭くものを貸してやりたいが、俺が手に持っているタオルは、俺が汗を拭いてしまっている。どうしたものか困っていると、ハセコが言った。
「ごめん、そのタオル貸して」
「え、だってこれ、俺、汗拭いちゃったよ」
「いいの。お願い、貸して。それで鼻水ついても怒らないで。洗って返すから」
ハセコがいいと言うなら。俺は大人しくタオルを渡した。ついでに、凍らせたペットボトルも差し出す。
「わあ! 嬉しい。ありがとう」
ハセコはタオルで顔を拭き、泣いて真っ赤になった目元をペットボトルで冷やした。
「ナカムラ、なんでここにいるの」
「俺んち、神社」
俺は少し見下ろした位置で明るく光る神社を指す。でも、ハセコは目元を冷やしているので、見ていない。祭りの喧騒が、少し遠く聞こえる。
「そっか、そうだったね。⋯⋯何でこんなところに、って聞かないってことは、さっきガタンってやってくれたのナカムラ?」
のぞき見をしていた恥ずかしさと、もしかして余計なことだったかもしれない、少し後悔していた俺は何も答えなかった。
「ありがとう」
盆踊りの音が聞こえてくる。
「⋯⋯彼氏、だったんじゃないの」
ハセコは、ペットボトルを顔から離して、困ったような顔をした。
「憧れと好きって違うのかな。好きだと思ってたんだけど、一緒にいるのは少し嫌だなって思った」
「何だそれ! お前、ひっでーよ」
少しだけ浅見先輩が気の毒になった。
「そうだよね、私、ひどいよね」
ハセコがまた涙ぐんでしまった。盆踊りの曲が聞こえる。
俺は気を逸らそうとして、思わず口走ってしまう。
「お前、盆踊り踊れる?」
「え? 踊れない」
「神社の息子の、特技を見せてやろう」
盆踊りの曲に合わせて踊った。全力で、完璧に踊ってみせてやった。
「すごい、何で覚えてるの!」
ハセコが喜んで笑ってくれた。また曲が変わるけど、ちゃんと覚えている。何曲か踊ったところでハセコも真似をして踊り出した。
「あ、間違えた! そうだ手拍子が先だ! あっは、難しー!」
しばらく二人で騒ぎながら、大笑いして踊った後、ついに曲がかからなくなった。もうすぐ祭りが終わる。遠目にも人が帰り始めたのが分かる。
「帰り、送ってやるよ」
ハセコは素直にうなずいた。
「ありがとう」
そして、ペットボトルを開けて中の水をゴクゴク飲んだ。
「ごめんね、飲み物奪っちゃったね。今度、3倍にして返すよ」
「足りないな、5倍だな」
ハセコが笑っている。この笑顔なら、もう大丈夫だ。ハセコは、帰る人々に目を向けた。
「浴衣着て来なくて良かった」
「何で着なかったの」
「私、背が高いし女の子っぽくないから似合わないんだ。彼氏が出来たって言ったら、母がはりきって一式買って来てくれたの。忙しいのに、仕事帰りに駅ビルに飛び込んで、結構高いやつ」
少しうつむいて、寂しそうな顔をする。
「でもね、着てみたら何か違うんだよ。似合わないの」
「⋯⋯そんなことないと思うよ」
「ありがとう。優しいね」
俺は見たいと思った。ハセコが似合わないと言う浴衣姿。絶対に可愛いに決まっている。思いついたことがある。でも、言う勇気が出ない。
ハセコがもう一度タオルで顔を拭いて、髪型を手で整えた。
今言わないと、もう言えない気がする。腹筋に力を入れて口を開く。
「来週、花火大会あるの知ってる?」
ハセコが少し考えるように首をかしげた。
「あ、海の方の」
「そう。あれに⋯⋯一緒に行かない? せっかくの浴衣、着ればいいじゃん。俺は見てみたい」
彼氏がいる女の子に言うことじゃない。ハセコも少し驚いたような顔をしている。俺は口に出したことを後悔した。でも。
「行く。⋯⋯行きたい。浴衣、似合わなくても笑わない?」
「大丈夫、絶対に似合ってるから」
「何それ、見てないくせに」
それでも、嬉しそうに笑ってくれた。
「ナカムラと一緒だと、人込みでも迷子にならないね」
「俺さ、よく待ち合わせの目印にされるんだよ。『いま、青い服のすっごくデッカイ人の横にいる』とかさ」
「あはは、分かるかも!」
そういえば、兄ちゃんに集会所を任せっぱなしだ。後で怒られるだろう。でも、ハセコを送るまでは戻れない。
生まれて初めて、夏祭りを楽しいと思った。
(終)
◇◇◇◇◇
あとがき
ここまでお読み頂きまして、ありがとうございました!
令和の世界の二人について、もう少し。
この後しばらくして付き合い始め、27歳で結婚します。
ナカムラは兄がプロレスラーになったので神社を継ぐことになり、ハセコはデートで行った水族館でイルカに夢中になって、大学卒業後は水族館で働いています。ハセコは通勤時間が長いので、家事育児全般をナカムラが担当してます。
ナカムラは滅びなかった世界でも、想いが報われて幸せいっぱいなのでした。
よかったね、ナカムラ。
あちらはあちらで、予想通り父男爵がヴィクトーを認めなかったり、諦めないレオナードがじりじりと距離を詰めてきたり、イリスが浪人覚悟で本気で研究院を目指したり、楽しく青春を謳歌しています。
みんな、頑張れ。
新連載を始めました。もしお時間ありましたら、お立ち寄り頂けると嬉しいです。
同じ学園の35年前の話です。この時代の学園は舞踏会の相手を自分で選びます。もちろんモメます。楽しすぎる。研究者を目指す女の子と、反抗期ツンデレ男子のお話です。
シリコンバレーな王立学園 大森都加沙 @tsukasa8omori8
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